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炭焼きレストランさわやかの思い出

ご冥福をお祈りします。


さわやかは静岡県ローカルの飲食チェーン。有名なメニューは「げんこつハンバーグ」で、中が少しレア状態の牛肉100%ハンバーグが客の目の前でカットされたあと、鉄板に押し付けられさらに加熱しオニオンソースをかけて食べるこのハンバーグはとにかく美味い。さわやかの衛生管理は徹底されているので中がちょっと赤くても大丈夫。子供の頃から何度も赤い状態で食べているけど一度も体調を崩したことはない!でももし不安ならよく焼くこともできるので安心してほしい。


さわやかが創業した菊川市は静岡県西部に位置し、同じく西部の浜松市出身である自分は、物心ついた時にはさわやかは身近な存在になっていた。


一番最初に行ったのは幼稚園の頃だった。両親がナイフとフォークを使ってハンバーグを切っているのを見て、見よう見まねで子供用のスプーンをナイフ代わりにして肉を切ったのを覚えている。

子供の頃は、食事後に貰える口直しのハッカ飴の存在意義が全く分からなかった。げんこつハンバーグがあまりにも美味しいので「肉の味を口の中にずっと残しておきたい!」と、自分だけ飴を舐めずにいた。


うちの母親はパートでさわやかに勤めていたこともあった。今は22時閉店だけど、当時は24時ぐらいまではやっていたんじゃないかな?仕事を終えて深夜に帰ってきて、当時は子育てのストレスがあったのか、普段ゲームを一切やらない母親が、ニンテンドウ64のぷよぷよSUNをやってから寝ていたと述懐していた。もちろんさわやか自体はクリーンな職場だったとも言っていたので誤解なきよう!

小学4年生までの子供は、店の出入り口付近にあるおもちゃを1つだけ貰うことができる。どのおもちゃにするかを、親が会計を済ます30秒ほどの間でスピーディーにチョイスしなければならなかった。大人になった今は、決断すべきところで悩んでばかり。あの頃の決断力はどこへ行ったのか。


中学生になり、静岡ローカル番組「ピエール瀧のしょんないTV」を見ていた時、静岡市出身のピエール瀧が「さわやか食べたことない」と言っていて衝撃を受けた。調べると、さわやかが静岡県中部〜東部に進出したのは2002年頃らしい。すでに電気グルーヴとして活躍していた瀧が食べたことないのも無理はない。さわやか本社のロケで、2つに割られたハンバーグの片割れを瀧が一口で頬張ったのを見て「ああ!!もったいない!!もっと味わって食え!!!」と強く思った。

高校生の頃か、社会人になってからかは定かではないが、ハンバーグを挟んだ炭焼きバーガーがメニューに並ぶようになった。もちろん美味しいから4回ぐらいは食べたけど、やっぱり熱々のハンバーグをオニオンソースかけて食べるのがさわやかの最適解だな、と思ったりした。


社会人になり、お金を貯めてハンバーグと一緒にステーキを頼んだ。こんな贅沢していいのか!と思った。ステーキは美味かったけど、やっぱり熱々のハンバーグをオニオンソースかけて食べるのがさわやかの最適解だな、と思ったりした。パート2。

去年ぐらいに1人でさわやかに行った時、自分はテレビアニメ「氷菓」のTシャツを着ていた。2012年に放送された作品なので周囲に知っている人もあまりいないが、さわやかの店員さんだけは「それ氷菓ですよね!?」と気付いてくれた。さわやかにはオタクもいる。ありがとう気付いてくれて。あんたは心の友だ。

沖縄の人と結婚した姉が、沖縄に戻ることにした旦那と一緒に移住することを決めた。しばらく食べられなくなるからと、先日いったん最後のさわやかをキメることになった。姉の子供である3歳の甥っ子とも一緒に食べたのだが、キッズメニューのハンバーグにはあまり手をつけず、デザートのゼリーにしか興味を示していなかった。ハンバーグ食えよ!!!と思いながら、残したハンバーグを僕が食べた。レギュラーメニューと違って中までしっかり火が通っていたが、それはそれで美味しかった。



コロナ禍や店舗の改装などは除いて、基本的には元日しか全店休業をしないはずのさわやかが、3月14日だけは創業者のご逝去を受けて全店休業するとのこと。お客さんのことはもちろんスタッフのことまでも思いやるというのは、なんとさわやからしい取り組みだろうか。今までもこれからも、自分の人生には深く関わってはこなくとも、無かったら確実に物足りない存在であるさわやか。死ぬまでげんこつハンバーグを食べられるように体調管理を心がけてこれからも過ごしていきたいと思います。


以上。

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