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軌跡8 ~近親相姦家族と出産~

誰しも1人1人
それぞれの歩いてきた軌跡や
それぞれのドラマがある。



これはクソだらけの私の軌跡のページ。

クソだらけの人生を歩くつもりは無かった。
だけど、いくつもの選択肢があった中選択し
自分が決めた道はほとんど全てクソ過ぎた。

Sの近親相姦の内容はこうだ。

親の共働きが多く兄妹だけの時間が多かった。
そこで性に興味を持ち始めて
妹に手を出したのが始まりだったとの事。

その出来事は小学生6年の頃。

その時はゴムとか分からなくて
ティッシュでアレを包んでシた。

妹も乗り気だったし
それから乗り気だったとの事。

その近親相姦の話を打ち明けるのは
勇気あった事だったと思う。

しかし聞いてからというのも
彼と妹といると疑いの目しか
向けることができなかった。

ちなみにSの家族はとても仲が良く
私はずっと理想の家族像だと思っていたから
その事実を受け入れる事は難しかった。

「バカ子ちゃん、もっとSの妹に良くしてあげて」
「あの子は寂しがり屋なの」
「あの子にお年玉あげて」
「あの子に・・・あの子に・・・あの子に・・・」
彼のお父さんお母さんに言われきた様々な言葉達。

孫を宿してるとはいえ、他人が転がり込んだんだ。
だから、肩身が狭くても我慢していたし
理不尽な事も我慢していた。

しかし、そんな月日と共に
“彼等にとって私とは一体何なのか ”
そんな疑問が少しずつ芽生えていた。

しかしお腹には赤ちゃんがいる。

それだけは確かな事であり
私には“難聴 ”というハンデがある。

産む事を決意しても当時は別れて
シングルマザーとして生きていくには
不安でしかなかった。

それに何もかもを捨てて選んだ道でもある。

赤ちゃんがお腹に無ければ
別れを選択していたけれど
人生にやり直しは効かない。時すでに遅し。

“ 産む”という選択肢をした以上
私には1日1日過ぎていく時の中
難しくても受け入れるしか無かった。

これ以上何も無いことを祈ってー

少しずつ芽生えてきた“疑問 ”に
心の捌け口も無く
心の支えもなく
辛い妊婦生活を乗り越えた私は
過ぎていく日々の中17歳でママになった。
その間も色んな事はあったけれど。

出産は無痛分娩だった。

無痛分娩は痛くないと聞いていたけど
壁|∀`),。o0(うそつきめ!!…)
とんでもない痛みだった・・・。

痛くなかったのは出産後の処理中だけ・・・。

それでも、生まれてきた赤ちゃんを見たら
愛おしくて涙が勝手に溢れてきた。
辛かった日々を耐え抜いて良かったと思った。

生まれてきた赤ちゃんは女の子。
名前は、Sに関わる名前を付けたくなくて
何となく私の名前と
母の名前から1文字ずつ取ってMと名付けた。

出産後の入院は約1週間。
決められた時間に母乳をあげたり
出産の痛みで苦しんでいた中、母が来てくれた。

「顔を見たからもう帰るわ」と
大した会話も無く、そう言って
すぐ帰ってしまったけど
この時は久しぶりに
ほんの少し、ほんの少しだけ母親の愛を感じた。


そして入院中の病院代や
出産費用はSの家族が出してくれて
退院後の2ヶ月は
育児に専念させて貰えた。

ただ育児をして、寝ている時も
補聴器をずっと付けっぱなしで
耳に炎症起きたり聴力が徐々に下がっている
そんな感じがしている中
育児は苦じゃなかったけれど
難聴である自分にイライラしていた。

しかし補聴器を外してしまえば
娘の夜泣きに対応出来ない。
耳に炎症がおきた所で
娘は病院に連れて行ってくれても
私を病院に連れていってくれることはない。

そして娘のパパ、Sは夜泣きに対応する事も無い。

「仕事してるんだから寝かせてあげて」と
Sのお父さんお母さんに言われていたから
私も無理に強制させることは無かった。

“出産費用や入院費を払ってくれたから ”
“ S以上に娘の事は可愛がってくれているから“

そうして2ヶ月経ち、家事を要求されて
育児と家事に追われていた何も知らなかった私。

どんなに辛くても
娘がいるから頑張れていたんだ・・・。

しかしある日どうしても眠くて
ふと日中に眠ってしまい、起きれなかった。

ふとヤバイ!!!!寝てしまった!!と焦って
目が覚めたら
いつの間にか耳の補聴器が外れていて
娘の姿が無かった。

ちなみにSとSのお父さんは
建築の仕事で日中は家に居ない。
Sの妹や弟は学校。

だからSのお母さんが、私が寝てしまったから
対応してくれたのかな?と思い
娘が寝ていたらマズいかな~?って
静かに娘を探していた所

Sのお母さんが娘におっぱいを
吸わせていたのを見てしまった。

近親相姦の件の事も忙しい日々に
浮かぶこともなかったが
この光景でフラッシュバックし

“この家族は狂っているのかも”

段々そんな気持ちに支配された。

今まで異常なまでに触らせない携帯。
異常なまでの妹の態度。
そして“ 与えられない自由 ”

近親相姦だけでなくそれ等の出来事も浮かんだ。

「ごめんね、Mちゃんが泣いて
おっぱい欲しがっていたから(笑)」

と言ったSのお母さんの言葉に

「ああ、そうだったんですね」

と辛うじて返すくらいしかできなかった。

少なくとも“ この人達がいなければ
娘に会えなかった ”とも思ったからだ。

しかしこの日を境に私は
娘と一緒にこの家から抜け出す事を考えるー・・・

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