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保険が必要な理由(社会論)⑥

安心安全な「空間」としての市街地と
安心安全な「(将来の)時間」としての保険

「子供が小さいうちに自分に万一あったら、家族の生活はどうなるだろう…」
「もし車で人を轢いてしまったら怖いな」

保険で安心を買う、保険は御守り代わり、とよく言われるが、そういった効用も無視できない。

ある人にとっては、こういった効用を軽視しがちだ。実際にモノが手に入るわけでも、サービスを受けるわけでもない。人生の中でほぼ出会さない事態に備えるなど馬鹿馬鹿しい。

このように考える人も多いと思う。

保険は「地ならし」と同じ役割があると考える。
人々は危険と隣り合わせの自然と対峙するのではなく、洪水に備え堤防を築き、高波津波に備え防波堤を備え、山道でも安全なようにアスファルトで固めた平らな道路を整備してきた。

登山経験のある私の感慨ではあるが、山は何が起こるか分からない。人の手入れが行き届いていない危険な場所はいくつもある。日が暮れると街灯となければ、足元もおぼつかない。

一方、市街地は安心安全な手の行き届いた、できるだけ危険を排除した空間が出来上がっている。

危機回避は人間にとって強い本能の一部だと思う。
空間だけでなく、時間軸においても危険はなるだけ避けておきたい。その上で保険が役立っているのではないだろうか。

つまり、この先何が危機あっても保険が穴埋めしてくれる、という安心安全な行く先への物語に対して、非常に大きな精神的な安定が得られるのではないか。

安全な市街地という空間だけでなく、先々の危機という将来においても安全な基軸を得るという作用を果たしている。

とかく時代の移り変わりが激しく、競争や権力意識の高まりで人々の軋轢(あつれき)も生じやすい。ニュースなど不安を煽る情報も多く見る。

物質的な豊かさだけでなく、人間は精神的なゆとりが必要だ。その一つの処方として保険が役割を果たしている。

契約者の保険料のかけすぎや、保険会社の利益の取り過ぎは良くないが、こういった精神的な安心をどれだけ果たせるかも、保険会社やその担当者として創意工夫が必要になってくる。

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