kin765

ただの日記 ただの備忘録 ただの肥溜め。

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最近の記事

思跡

思うに。 自己の完結に至る道とは何なのかと考えた時に、それが『死』と断ずるのは些か単純すぎな気がするのだ。 と言うのも、そもそも『完結』とは何を指すのか。 『完結』に至る『過程』とは何なのか。 そんな曖昧の中で生きている自分が、それこそ酷く『曖昧』に感じてしまう。 僕は確かにここにいて。確かに生きてはいるのだが、何を指して生きるとしているのか。 何を目的として生きているのか。 その全てに答えが見出せないでいる。 見出せないでいる自分が浮ついていてイヤになる。 何を言っている

    • 回顧

      思えば、『道化』としての自分はどこで生れたのだろう? 僕という存在は一体どこで『普通』ではなくなってしまったのだろう? 本当の自分を見つける鍵はそこにあるのかもしれない。 少し昔を振り返ってみようと思う。 僕は北海道のしがない田舎に生まれた。 家は大した規模でもない家族農家だった。 そこの長男として僕は生まれたのだ。 僕のヒトとしての最古の記憶は、生まれたばかりの僕が母の実家から、 母と共に父の生家まで引っ越して来た日まで遡る。その日は快晴で家の居間に座った赤ん坊の僕は、銀

      • 最近

        約三年ぶりの投稿になる。 あれからの僕はというと、最後の投稿から約一年後に職場の女性と交際、直ぐに同棲を開始。 そして一年半の交際の末、今年の7月(奇しくも僕の誕生月である)にフラれ、独り身に戻った。 『異性として見れなくなった』 のが、理由だという。 たしかに、付き合いたての僕は年下の女の子(投稿1参照)に浮わついていたおかげで、半年で約25kgの減量に成功し、ファッションセンスも集めに集めた雑誌やSNSの投稿の賜物か、一昔前の僕とは一線を画す程に成長を遂げていた。自分

        • ただの肥溜め。

          最近嬉しいこととかどうでもいいことが重なったための備忘録。日記。肥溜め←声貯めと掛けてる、西尾維新みたいでしょ。 出来事1友人達が結婚した。 正確にはしてた。2年前に。 今回は式を挙げたって話。 その式に参加したわけで。 新郎は幼稚園、新婦は小学校からの付き合いな訳で。もう20年の付き合いなわけで。 月並みなんだけど、幸せそうだった。 二人もそうだし、僕たちも。 間違いなく幸せだった。 あの空間には、『怒り』『悲しみ』『憎しみ』。 その他のマイナスな感情なんか存在しなく