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3.11。あの日は、なにをしていましたか?

今日はちょっとだけ、それを考える時間があってもいいんじゃないかなと思います。

今日で、東日本大震災から9年が経ちました。

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当時のぼくは、宮城県で高校2年生。学校はたまたま休みで、友人2人とぼくの家で遊んでいました。

ガタガタガタと障子が揺れ始めた時、「そういえばさ、昨日地震で大勢の人が亡くなっちゃう夢を見たんだよね。」と冗談まじりに言ったことは忘れられません。

雷が近くで落ちたような轟音、タンスが倒れや食器が割れる音、悲鳴。激しい揺れに、立つはおろか座り込んですらいられない。丘の上にあるぼくの家は、山が崩れて落ちているのではないか。

それでもたまたま、生きていることができました。

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「このトンネルを抜けると、景色がまったく違う。覚悟をするんだぞ。」

父の実家は、山元町という海沿いの小さなまち。幼い頃からの見慣れた光景は、真っ黒な海に覆われていました。3月12日のことです。

6号線からまちを眺めると、いつもの潮の香りがまったくしません。映画でみた戦争の後のようで、津波の爪痕は人間の想像を遥かに超えるものでした。

高校生の自分もなにかやらなきゃいけない。地元のために、避難している人のために、津波で亡くなってしまった友人のために。そこからいろんな行動をして、いろんな経験をすることになるのですが、それはまた別の機会に。


あなたはあの日、どこでなにをしていましたか?
今日はそれを思い出す日。それだけで、今日はきっといいんだと思います。

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昨日、『Fukushima 50』という映画を見ました。

当時の光景がたくさん思い出されまして。そうそう、雪が降っていた。津波が襲ってくるシーンなのに、そんなことを考えていました。星が綺麗だったなーと、みんなが避難しているシーンで思い出していました。今は、大丈夫かな。この映画から被災地の今を想うきっかけにもなりました。

(映画の内容ももちろん素晴らしかったし、多くの人に観てほしい!)

あの日にもう一度戻って、「あーあの時はね…」って考えてみる。それを誰かに話してみる。SNSでもなんでもいいので、言葉に出してみる。きっとそれも、風化をさせない行動のひとつにつながるはずです。

ぜひ、自分自身と、まわりの人と、会話をしてみるきっかけにこの日がなってほしい。コロナもすごく大変だけれど、その隙間でもちょっと想いを馳せてみる。そのきっかけにこのnoteがなったらいいなと、微力ながら発信をしてみるわけです。

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最後に、桜について主演の佐藤浩市さんが語っている言葉が印象的だったので引用します。映画を見た人なら、わかるかなーと。

「桜は、人間のために咲いているわけじゃなく、自分たちのために咲いていますが、人は勝手に自分たちの想いを馳せます。それは、刹那的な美しさや希望だったりするわけです。でも人間はそうやって考えられるし、苦しみをなにかに転換したり、明日に向かって希望を持てたりする。そこが人間のすばらしさだと思うし、そういうことを最後に伝えたかったです。」

https://movie.walkerplus.com/news/article/225262/ より

桜の季節、もうすぐ春がきます。

#こういう時こそお花を飾ろう という取り組みがあることをご存知ですか?ぼくも昨日、大切な家族にお花を贈りました。こんな日だからこそ、こういう時だからこそ。

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パッキングが得意というかスキです。