2023/4/7 巨人の星に、きらめいて

今日は午前2時に起きた。
すごく健康になったりすごく不健康になったりの振り子がふりふりである。

起きたというよりも目が覚めた。午前2時に起きてしまったならやるべきことをやってしまおう。
恒例の情報収集の開始である。週刊誌を大量に読みあさる。見ることができていなかったワイドショーを見ながらメモをとる。さまざまな情報が雪崩のように脳にシバシバと入っていく。
ミクロの視点、マクロの視点で世の中の動きを覗き見する。覗いたところでつかめるものではないが、つかむ努力をする。できないことをできないと投げていては死ぬまでできないままである。

ある程度、ルーティンとなるものは見ておいた。続いて日記を書く。なんだか久しぶりにゆるい日記になったと思う。自然と頭にあらわれたものを文字にするのだからそれは否定すべきではないのだろう。ただ、現状の我々の立ち位置を見ればそれでいいのかと不安になるものだ。

ラジオを聞きながら6:30頃に眠ってしまった。12:30頃に目が覚めた。Youtubeなどで人の漫才を見ていく。今の私の中の課題は「自分達らしさ」である。時事ネタ漫才は古今東西なるべくすべてを見るようにしてきた。これは今後も続けていくべきことの内の一つだと考える。
今の私に足りないものは圧倒的に、自分らしさを理解し操ることである。売れている芸人さんというのはほぼ全員、自分たちらしさを知ってか知らずか求められれば見せることができているものだと思う。となれば、たくさんの芸人さんのネタを見て、この人は何が自分らしさだと理解しているのかを読み取ろうとする。

自分らしさの表現としてのお笑いのネタではあるが、ネタを見ただけで理解することは難しい。この矛盾する感覚は伝わるだろうか。
結局のところ、自分らしさというのは本人も明確に理解することは難しいものなのではないか。軽薄なネタこそが自分の中では自然に感じるのだが、それは真の自分らしさではないのだろう。軽薄さの中にうっすらと見え隠れするものを掴み、濃縮したものがネタになる。ということだと現時点の私は理解している。これも間違っているのかもしれない。

このように毎日同じようなことを考えているが、では毎日考えているこの様子こそが自分らしさなのだろうか。自分らしさとは果たして、本当に考えることで明らかになるものなのだろうか。それすらも取っ払うことができた時、ふと正解を掘り当てるために掘り続けた穴の先が、気づけば入口に続いており、私はずっとそこにいましたよというように突如目の前に現れるものなのではないか。つまりは本質を見抜くために考察は不要であり、その考察に疲れ果てることができた時にすぐ隣にあることに気付くことができるのではないか。
漫画、巨人の星の大リーグボール3号の打ち方のようなものが「自分らしさ」のヒントにならないかと今思いついた。

大リーグボール3号は真の魔球である。星飛雄馬は大リーグボール1号、2号をまさしく血のにじむような努力で手に入れた。飛雄馬は体が小さいことから球威がないことに気付く。それを乗り越えるために魔球を生み出してきた。
しかし、努力の先に手に入れた魔球はさらに努力を重ねたライバルに打ち破られていく。その先に見つけた大リーグボール3号は、いままでの概念をひっくり返して、想像を絶するほど球威がない球を投げることでプロ野球選手のスイングによって生まれる空気の流れに球が乗り、バットをよけてしまうという魔球である。
これはまさに星飛雄馬の「自分らしさ」を表した究極の魔球であった。体格に恵まれないからこそ、バットをよける魔球を生み出した。欠点を武器に昇華したのだ。

完璧と思われた3号は思わぬ形で打ち破られることになる。物語の終盤、中日ドラゴンズの監督は父・星一徹が就任し、これまで女房役であった伴宙太は中日へトレードされることになる。

ここでいったん立ち止まって、この令和の時代にここまで熱をもって巨人の星を語る人間はいるのだろうか。念のためではあるが、ネタバレになるので巨人の星をこれから楽しもうとしているなんて言う人がいたら、いったんここで読むのを辞めることをお勧めする。

大リーグボール3号を手に入れた星飛雄馬は己の投手生命と引き換えにこの完璧と思われる魔球を投げ続ける。
星一徹はベンチスタートの伴に、試合中はベンチで逆立ちをし続けているように指示を出していた。試合が終盤となったが飛雄馬は魔球で中日打線を押さえ続けている。伴はその間も逆立ちを続け、へろへろになっている。
そこで、一徹は「代打・伴」をコールする。バットを持つこともやっとの伴が打席に入る。飛雄馬は青春を共にした伴との対決に当然、大リーグボール3号を投じる。へろへろになった伴のバットのスイングは到底プロのスイングとは言えない。しかし、それこそが大リーグボール3号を捉えるために必要なことだった。スイングが弱いことで、空気の流れが起きずジャストミートする。右中間に打球が飛ぶ。ヒット性の当たりこそ生まれたが、伴は一塁に到達することができずアウトになる。
結果、伴はアウトとなったがこの勝負に一徹・伴のコンビは勝利を納めた。そしてこの投球の瞬間、飛雄馬の腕は完全に使い物にならなくってしまい、そのまま引退することになる。

という話なのだが、書いていてとても楽しかった。巨人の星って本当にいい漫画だなあ。
と、この話を通じて私が言いたかったことというのは、いま私が悩み苦しみ続けている様は、飛雄馬の魔球開発とそれを打たれること。そして、最後の魔球に打ち勝つために、完全に脱力した伴のスイングのように意外で、すぐ自分の隣にあった正解を見つけるために必要なことではないかと思う。

私という人間は飛雄馬になるのか、それとも伴になるのだろうか。それはもうわからない。腕の腱がズタボロになりそのままマウンドを去ることになるのか。究極の疲労の先で一つの勝利を手に入れることができるのか。神のみぞ知るところである。

それにしても、巨人の星はおもしろいな。なんどでも言う。

とそのようなことを考えながら、いろんな芸人さんのネタを見てみた。皆が思い思いの大リーグボールを投じていた。
ネタを見ながら、私も明日のネタを作る。いろいろと悩み続けるがまだ形になっていない。頑張らなくては、逆立ちを続ける。

今日は夜に「爆笑問題のツーショット2022」をアマゾンで有料レンタルして、2周見てみた。また私は思考の渦に飲み込まれてしまった。爆笑問題さんの漫才は大リーグボール3億号くらいまでいっている。私のような半端者には到底理解できない域の漫才であった。
はぁーあ。悩み続けることだけが今、私が知っている世の中の真実だ。
しかし、これも違うかもしれない。

今日面白いと思ったことは「巨人の星は面白い」


こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。