56日目 享楽日記「箱」

頂き物の島原そうめんを2束ずつせっせと食べ、ついに箱が空になった。

白い肌の木箱が空く日をずいぶん前からうっすらと待っていたような気がする。

早速箱を、はじめて箱そのものを見る、という目で点検する。底板が簡素に2辺だけ打ち付けてあるタイプで、底に隙間が空いている。天板の表のデザインがあまり好きではないから、それを裏返して底板の補強に貼り付けてしまうというのはどうだろう。

箱を自分好みに仕立てていく段取りを組む。

作家の田辺聖子も「蓋が身よりもひとまわり大きく作られているという、あたりまえのことが私にはうれしいので、箱の、蓋と身と、どっちが好きかといわれると、蓋のほうである。」と語っているように、箱好きの人間にとって、箱というのはかなり享楽的なアイテムである。

どんなに外で理性的に振る舞っていても、家では箱を集めている、という人は少なくないのではないか。

箱は軽いが場所をとる。

集められた箱の多くにおそらく好みはあれど用途はない。

有用の箱も、もともと入っていたものが消費された後に、持ち主の元で送る二度目以降の箱生(箱の人生)はきっとかなり個別性が高い。

各々の家の有用無用の箱を持ち主の顔写真と共に展示したら十分見ごたえのある美術展になる気がする。

あられもない箱展。

マッチ箱にフィルムケース、そのもっと前は何だったのだろう。iPhoneの箱と茶筒が並ぶやも知れず。

とりあえず我が家からは少なくとも素麺の木箱だけで3つは並ぶな、と頭を抱える。

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