ネガティブだって腹黒だっていいんだよ

プロローグ

最近良く聞くようになった、

ネガティブやめなよ
ポジティブのほうがいいよ

とか言う言葉たちに私はずっと苦しめられていました。だってそうでしょう?今のネガティブな私は少なくともこの言葉を吐いた人たちにとっては否定されたのですから。

じゃあ、どうやってポジティブになればいいの?

と聞けば前向きになればいいとか、できたらとっくにポジティブ人間として生きてるよっていうことしか言ってくれないくせに、それを指摘すれば逆ギレして、

そんなんだからネガティブなんだ!!ヾ(*`Д´*)ノ

とか挙げ句の果てには

そんなに好きならずっとネガティブやってればいいよ(╬⊙д⊙)

とか

これだからネガティブな人ってホント大嫌い、世の中に迷惑かけてること自覚したら?(*`Д´)ノ!!!

とかこんな感じで他にも人格否定どころか存在否定までされる始末。
そんな環境にいてどうやってポジティブになれというのだろう?こういう人たちはきっと馬鹿なんだろうなぁ、それか想像力が欠落しているのだろう。きっとポジティブ拗らせて世界の中心は自分と考えているのだろう、あんなふうになるくらいならネガティブでいいや。なんて考えては私もさらにネガティブを拗らせていく始末です。

そんな私だからこそ、たどり着いた境地とでもいいましょうか、
そういった人間だったからこそわかるネガティブをポジティブにしつつ本質はネガティブというような、わかりにくい世界を記事にしようと思います

これは数年前に書いた記事ですが、基本はこれです。

他にも色々と書いているので探してみてください。基本は全部一緒なんですけどね。

中途半端なネガティブはやめてネガティブのプロになろう!

ネガティブの人たちの口癖のような言葉があります。それは
『嫌われたくないんです』

これ今からネガティブのプロの私が攻撃していきます(笑)
嫌われたくない、ということは、今現在はそんなに嫌われていない、またはまだ私のことを好きな人がいてくれていると考えているということです。
それが甘いんです。

私のような1流のネガティブ(笑)になりますと、

世界中で私のことを好きな人なんぞいるはずがない。そりゃおべっかとか下心があって好きだとか応援していると言ってくれる人もいるよ?でも実際どうよ?コメントもつかないし、いいねをしてもリツイートはしない、つまりこんなやつと一緒と思われたくないってことじゃん?フェイスブックのいいねと一緒だよ。『はい。見ましたよ、見てますよ、こないだのおべっかは嘘じゃないですよって証拠のいいねですよー!』ってだけだから勘違いはしないよ?
実際、こっそり応援しているとか、ひっそり応援しているとか、してないのがバレないようにするために、つまりはリップサービスというやつだね。実際はちがうからいわゆる【優しい嘘】てやつだよ。
大体世界に1人くらいは好きな人がいてくれるかもなんてのが甘いよ、自分をわかってないね。私のような面倒くさいやつを好きな人がいるとでも?自分だったら私のような人と友達になりたいと思うの?はい、論破!!

みたいな勢いで自分のことが嫌いでした。
実際にね、例えば電車に乗って座っているだけで、
『デブのくせに座ってんじゃねーよ』と全く見ず知らずの人に言われたり、
『ブスなのになんで生きて空気吸ってるの?世界に悪いと思わないの?』なんてこれまた不細工だけど金だけは持っている男に言われたり、
『同じ女と思われたくないんですけどーwwww』みたいなことも言われたりしてきましたし、『女に生まれてデブとかブスとかありえないんですけどw生きてる価値ないしww私なら耐えきれなーいw』みたいなことを言われることも結構ありました。

電車とかバスとかエレベーターとかそういったところで誰かがこっそりおならとかした時はすべての人が私を見て嫌な顔をするんです。それを見た犯人の人が申し訳なく思って『スミマセン、、私です』と言ってくれる人もいますが大抵はこれ幸いと私のせいですし、そのせいで『デブスのせいで臭くなった!ただでさえゴミなのによぅ!!』とか言われたりもしました。男女問わず敵ばっかりですよ、世の中なんて。

こういったことって、実際自分が言われてみたりしないとわからないんですよね。そんなわけ無いって思っちゃうし、そういう人に遭遇したときにどうしていいかわからないし。それを主張したとしてもこっちが嘘つき呼ばわりされて、『注目されたいからって嘘までつくなんて!』とさらに悪者扱いです。
そっちこそ何を根拠に嘘だって決めつけてんだよ!(# ゚Д゚)って感じですけどね。

私も今より体重が半分しかなくて、20代の若いときは見知らぬ人からラブレターをもらったこともありました。そんなときは全くそういった世界があることを知りませんでしたが、ナンパされて相手に対して、すみませんとか返答を返していたら、その気もないのに返事をするなと怒られ、それならと無視したら無視するなと怒られ、理不尽を感じていましたし、同じ女性には男に媚を売っていると言われ、それならと男性をさければ高飛車で調子に乗っていると言われ、母親や周囲の人が言うように生きる価値がないのかもって思っていました。

つまり、見た目が良くても悪くても、結局嫌われているということは私はそういう人間なのだと言うことです。私を好きになる人がいるはずがないと言う結論になりました。(今は違いますよ?そんなこと思っていないし、むしろ引き寄せの法則でそういった人を集めていたんだろうと思っています。今そういう人がいたら罵りますw)

そうすると、もうやけっぱちになれるんです。この世界に私を好きな人が1人もいないということは、何をやってももうこれ以上ないくらい嫌われているのだから、相手はやっぱりそういうやつね!としかならないですもの。そうして生きる価値がないと他人に言われたりするくらいですから、それならば無価値と名前をつけられたベリアル(悪魔の名前)のように、思いっきり好き勝手してやろうじゃないか!!と思ったんです。

 それまでは、【気を使っていることを気づかれると相手が気を使ってしまうので、気を使っていることが気づかれないように気を使わなくてはいけない】とか、【選択肢を相手に問いかけるときは一番始めに相手が望んでいる選択肢を言うことで私もそれを望んでいる風にして相手が自分の意見を言いやすいように伝え、私の望んでいる選択肢は一番最後か、あえて真ん中らへんで言うようにして私の望みがバレないようにしなくては相手が望んでいるものを言いにくくなったり気を使わせるから気をつけないといけない】と言うような感じで生きていました。すごく疲れるけど、それが当たり前にできないと嫌われてしまうと思っていたし、周囲に迷惑をかけないように生きるにはここまでやっても足りないと思っていました。

全てにおいてそんな感じで生きていましたし、逆にそうしないと悪口を言われたり、いじめられたり、誰かに攻撃をされる人生でしたが、どうせ嫌われているとやけっぱちになったので全部やめました。

畜生界・修羅界という地獄で生きる人たち

そうするとどうでしょう?
今まで私をいじめてきた人たちや、攻撃的だった人たちが消えていきました。彼ら、彼女らに共通していたのは【自分より弱そうな人を攻撃したい】というだけだったから理由は何でも良かったのです。

私に命令的で支配的だった人たちも消えていきました。
彼ら、彼女らに共通していたのは
【自分が命令され支配される前に相手を支配して思い通りに動かしたい】
というだけだったからです。

どちらも人間として生まれながら畜生界や修羅界という地獄を生きる人たちです。
強いものには弱く、弱いものには強く出る、そうして支配したりされたりを続ける地獄に生きているのです。
どっちが上か、どっちが強いか、勝つか負けるかで戦い続ける地獄で生きているのです。
そういった人たちが去っていきました。
私が彼ら、彼女らの思い通りにならないからです。
見下して下にしようとしても、強く出て言うことを聞かそうとしても、私はただ
【それはあなたの考えで私の人生には無関係です。そう思うなら自分でやったらいいよ】
といったからです。つまり、相手が上とか下とか、どっちが強いとか弱いとか言ってきても、対等でいいんじゃない?と勝負しなかったからです。
そうすると畜生界や修羅界で生きている人たちは混乱します。
どっちが上か、どっちが強いかは畜生界という地獄においてはとても大事なルールだからです。
どっちが勝者か、どっちが敗者かは修羅界という地獄においてはとても大事なルールだからです。
そうして自分たちのルールが通用しない人を怖いと感じるようで勝手に消えていきました。

裏を返せば、私もまた畜生界で最弱の草食動物のように生きていたということです。そうして修羅界で勝者になりたいと思いながら敗者というところに甘んじて生きていたということです。

本音を見せると変わったこと

 そうやってもういいやって自分を出して、上とか下とか前とか後ろとか、そういったところでなく、対等であることにウェイトをおいて生きていくと上とか下とか、前とか後ろとかが好きな人が消えていきます。
こういった人たちが地獄の住人だと聖者が言うのは本当の事だと納得するくらい私の周囲は平和になりました。

でも何もしなくても変わるわけではありません。当然ですが、いままで下だと見下していた人が自分とは違う意見を言ったりやったりするわけですから畜生界や修羅界で生きる人たちは面白くありません。あなたのほうが上ですよ!とおだててくれる人が1人減るわけですからね。当然今までどおり振る舞うように仕向けてきます。具体的には
『最近調子に乗っている』『生意気』『逆らうな』とかそう言う感じで圧をかけてきますが、ただ淡々と『それはパワハラですから人事に報告しますね』とか『あなたに従わなければならない理由を教えてください』と主張することで消えていきました。おそらく、自分でもどうかしている主張だという自覚はあるのだと思います(笑)

更に面白いことに、交友関係が広がりました。そうして友人がいった言葉にびっくりしました。それは『なんか最近やっと心を開いてくれた気がするよ』です。

 考えてみればそうですよね、例えば本当は赤がいいと思っているくせに、空気を読んで、気を使って青がいいといったとしても、周囲にとってそれは【本音で話してくれない】【嘘をついている】【心を許してはくれていない】と言うようにしかうつりません。そうしてその結果相手が感じるのは心の距離と遠慮だけです。そういた人を相手に自分は心を開いてさらけ出すという人は一体どれだけいるでしょう?あなたなら心を開いてくれず本音では話さない人相手に心を開いて本音で話したりしますか?つまりそういうことです。

それをやめたのですから、相手にとっては【やっと】心を開いてくれたと感じたのかもしれません。そうして本音で語るということは、周囲を気にしないということでもありますから、【模範解答】をやめて【オリジナリティー】が出てくるということでもあります。

模範解答であるということは、逆に言えばどこにでもある回答ということで、つまりはどこでも手に入るということでもあります。どこでも手に入るということはつまり、【あなたでなくてもいい】ということです。
それはたとえば、コンビニのおにぎりと同じです。
どこでも売っているのですから、どこのコンビニでもいいのです。その結果選ぶ理由としては【近いから】【安いから】ということになります。これは人間も同じです。別にあなたでなくてもいいけど、たまたま近くにいたから、便利だったから、頼みやすかったから、そういった理由でしかないのです。

逆にどうしてもあそこのメーカーのおにぎりじゃないと嫌だ!となったとき、それはそこに他とは違うものがあるから、つまり【オリジナリティー】があるということ。オリジナリティーとはまり、他とは違う、変わっている、変ということです。だからこそ、あそこの商品じゃないと!となるのです。つまり、【唯一無二】となるのです。それは人でも同じです。他の人じゃだめだから、あなたでないとできないから、あなたがいいからあなたに頼むのです。

そういったことに気が付かせてくれました。本音で話すということは実は結構大事なことなのです。ですがそれを【気を使って】できないということは、全く逆の効果でしかありませんでした。

本音を言っても揉めるわけではない

 本音を言えない人によくあるのは、『私が本音を言う』=『誰かを不快にさせてしまう』という方程式を持っているということ。例えば、みんながラーメンを食べに行こうという話になっているとき、私は寿司が食べたい!ということは場の空気を見出してしまうし、ノリが悪いと思われてしまうとか、私さえ我慢したら丸く収まるのだからとか、そういった思考になる人が多いです。

でもよく考えてみてください。逆の立場だったら?みんなが寿司を食べに行こう!と言っているときに、あなたの友人が私はラーメンがいい!といったとして、あなたはその友人を『みんなが寿司と言っているのにラーメンと言うなんて信じられない!』とか、『ラーメンですって?!お前なんてもう友達ではない!!』などと言ったりしますか?そんなことを言うならきっとはじめから友達ではなく利害関係しかなかったはずです。

それなのに、自分がみんなと違う意見を言う立場になるととたんにそう考えてしまうのです。これはただの思い込みです。
そうして考えてみてください。ちょっと言い方を工夫したらいいだけなんです。あなたがもし、みんながラーメンを食べたいと言っているときにお寿司が食べたいといったとき、一番みんなに迷惑がかかるのは
『みんながラーメンだとしても私はお寿司が食べたいのだから寿司屋に行くべきだ!』と主張したときだけです。そうしてあなたはそんなことはしないはずです。嫌われますから。でもこう考えてみてください。もしあなたが
『私は本当はお寿司が食べたいけれど、みんながラーメンというのならさっぱり系もおいてあるところならいいよ』とか、『私はお寿司が食べたいけど、今回はみんなに譲って背脂マシマシのこってりラーメンでもいいよ!』と言ったら、あなたはみんなに貸し一つです。そういったことは決して恩着せがましいのではなく、セルフプロデュースでしかなく、これは世渡りで処世術でもあります。どうせお寿司じゃなくてラーメンを食べるのなら少し恩を着せておいてもいいのです。そのほうがいい人だと思われます

さらに、もしあなたが、【お寿司が食べたい】と主張していたとしたら、『それならどっちもあるから回転すしにいこう』とか、『どっちもあるからファミレスに行こう』となるかもしれません。『それだったら私本当はラーメンじゃなくてイタリアンがいい!』とか他の人の本音が出てくるかもしれませんし、なんやかんやあって結局みんなでラーメンでもお寿司でもなくインドカレーを食べているかもしれません。そんなものです。本音を言ったら揉めるなんてことはないどころか、本音を言うことにはメリットしかありません。ただ忘れてはいけないのは、【本音を言ったら叶うわけではない】ということ。本音を言ったのだから叶えてくれて当たり前、周囲が譲って当たり前という思考はただのわがままでしかありません。

そもそもみんなって誰?

先程も書きましたが、本音を言えない人たちの多くに共通しているのは、【みんなに嫌われたくないから】という思考。このみんなって誰?と聞くと大抵の場合は私の周りにいるすべての人たちといいます。でもさ、それって違うんだよ、っていうお話を過去記事で見つけたから貼っておきます。
これを読んだら、ああ、みんなって違うなってわかると思います

にんげんだもの。黒い思いもあって当然

次によくあるのが、こんなことを思ってはいけないという思考。人間なのだから、あいつムカつくとかそういうことを思ってしまって当然だし、なんならあいつなんて死ねばいいのにとさえ思ってしまうことはあるんです。誰だってね。バカとかアホとかそういうことだって思うけど、そんなことを思ってしまったことに自己嫌悪してしまう人って実は結構いるんです。

例えばそれを本人に向かって言ってしまったり、SNSなどで〇〇死ねなどと書き込むようなことをしたとしたら当然炎上するし非難もされるでしょう。でも、あなたはただ思ってしまったことに対して悪いと思っているのです。

あなたは聖母ではないですし、聖者でもありません。イエス様やブッダ様のように悟りを開いているわけでもありませんし、奇跡を起こせるわけでもありません。ノーベル平和賞にノミネートされることもありませんし、愛と平和の象徴として存在しているわけでもない、ただ普通の人間です。そうですよね?それなのに、他の人と同じように思ってしまったことになぜ自己嫌悪しなくてはいけないのでしょう?例えばあなたの友人があなたと同じように相手を悪く言ってたとしてもあなたはそんなこと言わないほうがいいのにな、とかは思うでしょうが、そんなことを言うなんて死ね!などとは思わないはずです。なのに自分にはそうしているのです。

だからこう考えてみましょう。
私は普通の人間だから悪口は思ってしまうし、それは自分に向けられた理不尽や湧いてきた怒りを表現するために必要なことで、それは自分を大事にしているという証拠。でもそう思ってしまったから、今から〇〇さんの幸せを願います。〇〇さんが幸せになりますように★
これでチャラ!って。

1回悪口を思ってしまったら、3回幸せを願ったらプラスとマイナスで計算したらプラス2になるから、結果幸せになったということで!!みたいな感じです。3回じゃ納得がいかないなら5回でも10回でも自分が納得するまで相手の幸せを願えばいいです。回数じゃなくて、1分とかそういった時間でもいいですし、それは自分の気が済むまでしたらいいだけです。

人間なんだから常に聖人君子のように心清らかにいられるわけではありませんが、それを目指すのは素晴らしいことだと思います。でも大抵の人ができなくて、そうして難しいからこそ失敗して当たり前、つまりできなくて当たり前なんです。だから失敗したら救済措置を作ってだんだんとその回数を減らせばいいだけです。

それは三輪車から自転車に乗れるようになるためには補助輪をつけたり何度も転んだりして学んだように、あなたも実際に何度も失敗しながら最終的に例えば死ぬ前に『そういえば悪口をもう何年も言ってないなあ』とかそう感じて死ねたら成功とかでいいのです。中には一生悪口を言い続けて死んでいく人もいます。一生他人を恨み続けて死んでいく人もいます。そういった人たちはその行為がどんなに嫌われることになるかを知らないからです。そうして行ったということは自分もされるかもしれないという恐怖がつきまとい、そういう人たちを引き寄せるからです。そういった人たちに比べたら悪口を言いたくないなと思っているだけでもどんなに幸せな人生になるだろうと思いませんか?

だから思ってもいいんです。思っても仕方がないんです。だから思ってしまったときの救済措置を自分の中に作っておいてそれをしたらいいだけです。そうしたら気軽に自分を許せます。自分を許せると、他人も許せます。結果、あなたが受け入れられる人が増えていきます。そうするとあなたの周りにはたくさんの人が集まるのです。
たくさんの人が集まると、【みんな】に嫌われたくないが薄くなっていきます。例えばそれはドームコンサートの会場でたった1人が途中で帰ったとしても気が付かないのと同じです。小さなライブハウスで5人しかいない観客のうちたった1人が途中で帰ったとしたらとても目立つのと同じです。そうして、【みんな】とくくっているうちは、本当はどうでもいい人なのです。

大事なのはセルフプロデュース

セルフプロデュースなんて横文字にするとよくわからなくなりますけれど、要は【見せ方】です。見せ方とは、【魅せ方】でもあります。つまりは自分をどうやって周囲に売り込むかです。

お寿司とラーメンのときに話したように、私はそれでいいよ!というよりも、本当は嫌だけど今回はそっちにするね!という言い方のほうが、相手はあなたに感謝します。別に感謝されたいわけではなくても、そうしておくことは大事です。なぜなら、相手があなたに感謝するということは、つまり相手は『あなたに大事にされた』と感じたということですから。

例えば、テレビやラジオのショッピング番組のように、その商品を売り込むときに大事なことは、【セールスポイントを知っておくこと】と、【セールスポイントをいかに魅力的に伝えるか】ということ。そうして【ウィークポイントをいかにチャームポイントに変えるか】もまた大事です。
自分を売り込むということはこれと全く同じです。
でも友達って売り込んで作るものじゃなくない?って思っていませんか?
そんなことはありません

純粋に利害関係がなく、友達が作れるのはせいぜい中学生までです。それ以降はたいてい何かしらの利害関係が含まれます。お金があるから、ひとりぼっちは嫌だから、将来有利だから、とかね。大人になればなるほど、そういった友達をつくことは難しくなっていきます。だからこそ、セルフプロデュースは大事になります。そうして、たとえ友達になれなかったとしてもそれはあなたに価値がなかったのではなく、ほしいものが違っただけでしかありません。例えば、りんごがほしいと思っている人に時計をあげるといってもおそらく喜ばないでしょう。だからといって時計に価値がないと思いますか?それと同じです。あなたが無価値だからではなく、ただ今ではなかっただけです。

そうして、人には厄介な心理が働きます。例えば、『ありがとう』といつも言ってしまうことになる相手には、勝手に【恩】を感じやすくなります。いつも良くしてくれるから、いい人、など好感度が勝手に上がります。
 そうして人間には、好きな人の願いは叶えてあげたい、恩は返したい、とサイコパスでない限りはそう考えます。良いことには良いことで答えたいと考えてしまうのです。

あなたが、ただ我慢してラーメンを食べても好感度は上がりませんが、あなたがアピールしてからラーメンを食べれば好感度は上がります。同じ『嫌われたくない』が原動力で、同じ『ラーメンを食べる』という行動をするなら後者の方が効果的でお得なのはわかると思います。それを腹黒いとか、計算高いとかそうやって非難したり、批判する人もいるかもしれませんが、それは違います。
こういったことをしたことが無い人はいません。それなのに非難するなんてとんだ綺麗事です。こういったことはただの処世術で、世渡りで、円滑にするための手段でしかないのです。自分もしたことがあるくせに非難するなんて、大抵は『いい人に思われたい』という計算からくる行為のくせに自分事は棚に上げるなんてダブルスタンダードをしがちなやばい人にしかならないのに。と思って自分の心を守ります。そうやってネガティブな感情も腹黒さも計算高さもうまく使えば自分の心を守って、その結果相手を攻撃しないで済みますから平和で終わるんです。

こういったことを私のように大々的に口にして普段から計算で動いているよ!とアピールしているのならそれは腹黒いと言われてしまうかもしれません。だから私もできれば言いたくありません(笑)胸に秘めてるほうが良いですからね。でも私は占い師で、そういったことに悩んでいる人がいることを知っていて、しかもそれが結構な人数いるのを知っていますから、腹黒とか計算高いと心無い人たちに言われることを覚悟していっています。そうすることで心が軽くなる人たちがたくさんいることを知っているからです。

これは自己犠牲ではありません。私がこういったことを知っているのに黙っていてたくさんの人が苦しいままでいるよりも、私が心無い人たちに非難や批判されてももっとたくさんの人たちが笑顔になってくれる方が私が私に胸を張ってこっちの私のほうが好きだと言えるからです。でも本当はこういうことも黙っていたほうがかっこいいのかもしれません。私は非難されてもあなたのために言うのよ?みたいな方がかっこいいのかもしれませんが、それは嘘だから私は私に胸を張って生きて行けないから、嘘ついて罪悪感を抱えたくないので正直に言ってみました。

どうでしょうか?嘘ついてあなたのためよ?と言われたときと、私のように腹黒くても本音で話したときと、あなたはどっちの私に心を動かされましたか?どっちのほうが好感を持てましたか?本音で話すとはそういうことです。

腹黒くてもいいんです!ネガティブだっていいんです!

腹黒くても、ネガティブでも、それを【売り】にしている人は特に芸人さんに多くいます。そういったネガティブや腹黒を笑いに昇華することで多くの人が受け入れます。話してもいい、ネガティブや、話してもいい腹黒とはそこに【ユーモア】があるからです。
そうして、多くの人がそう思っているけれどとても口には出してはいけないと感じているようなこともはっきりいうと高確率で笑ってしまうというのもあります。もちろん、言い方とかも大事ですけれど。

大事なことは、そう思ってしまった自分を否定するのではなく、人間だからそう感じてしまうときもあるよね!とそう考えてしまったり、そう感じてしまった自分をまずは受け入れること。
その上でそういった自分が嫌なら、そう感じてしまった自分を受け入れたり、許すためにそこにユーモアを入れたり、幸せになれー!とかそういう方向で帳消しにすることを考えること。

あなたがあなたの周りの人にやられたり、言われたりしたときに、許してあげると思うことは自分がやってしまったときも許してあげること。たったそれだけで実は結構良い方向に進むんです。

だから無理してポジティブになることもありませんし、できなかった自分を責めてこんな自分は嫌いだと否定することもありません。きっともしあなたの友人があなたと同じように、悪口を言ってしまったり、ネガティブになってしまったときにあなたもその人に言うだろうことを、『にんげんだもの、そういうときもあるよね』って言ってあげればいいのです。そうしてそのときにするだろうアドバイスをあなたがあなたにしてあげればいいのです。

ーーーーーーー
現在は占い館フロンティア赤羽店に毎週金曜日、3月からはフロンティアの新店舗にて週3日鑑定予定(まだ公開許可が出ていません)。それに伴い、現在の池袋のお店は2月いっぱいで退店となります。池袋での鑑定をご希望の方はお早めにご予約ください。

また個人のホームページでは占い師になるための講座も各種ございます。隠しアイコンから飛べるようになっていますので詳しくはツイッターなどからご連絡ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?