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価値のある将来有望な若い女性と価値がないキモくて金のないおっさん

ドキュメント系の番組に出ていた女子プロレスラーがなくなり、SNSの誹謗中傷への対策が取られ始めた。この時、以下のツイートのように思った人は世の中には多いはずである。

広告代理店の女性社員のがなくなった時にもドラスティックに労働改革が進んだ。

一方で普段から死にまくっているおっさんには見向きもされない。

これは、ヒエラルキー構造で説明が出来る。基本的にピラミッドの底辺が死ぬと「そんなもんじゃん?」となるが、ピラミッドの頂点付近が死ぬと「まあ!何かあったんじゃない?大変!」となる。

生物的な価値

人間には生物的な価値と、社会的な価値の二種類が混在している。

「若くて可愛い女性」という生物としてみると非常に価値が高い属性の個体は、社会においてピラミッドの頂点付近に位置する。

一方で、「キモいおっさん」は、正直言うと価値がない。近寄りたくもない。社会においてピラミッドの最底辺である。価値がない人が死んだとしても、あまり関心をひかない。

男性も、社会的地位が高い人や大富豪が自殺した場合にはニュースになることだろう。何故ならば価値があるから。ここで金も社会的地位も何もないおっさんという意味ですべての最底辺「キモくて金のないおっさん」「無敵の人」ということだろう。

ざっくりいうと可愛くて有名で高学歴で大企業の若い女性なんて将来の価値も考えれば相当に高い。一方で、キモくて、金もなく、社会的地位なんてもちろんないおっさんなんて、将来的な価値もほぼなく、現時点での価値もほぼない。もうわかりやすいヒエラルキーが見て取れる。

軍隊とかでも同様。末端の歩兵が死んだところで何のニュースにもならないが、上級幹部が死んだら大ニュース。社会の末端、それがおっさん。KKOに至っては「え?生きてたんだ。」くらいのむしろ驚きと共に認識される可能性まで。

世論を動かすには・・・?

某広告代理店の件と、この件で、若くて可愛い(高学歴な)女性、要するに社会において価値が高い人物が自殺することで、ロビー活動や演説なんかよりも簡単に制度改革が進むことが明らかになった。次の一文が成り立ってしまう。

制度を変えるには、若くて可愛い女性が死ぬのが最適

メディアの印象操作なんていくらでも出来るし、そもそも自殺自体が偽造であっても(これもメディアによって暴かれない限り)効果がある。この点を利用しようとする人が出てきてもおかしくない、と考えるのは不自然だろうか。

近いうちに、また何かが起きるかもしれない。

キモいおっさんの生きる道

世の中の仕組みは、生物的価値と社会的価値で考えればわかることが分かった。人生はいろんなパラメータのポートフォリオで考えることが分かりやすい。しかしその中で全部のパラメータが最低の人物、特にきもくてかねのないおっさん、はどうすればいいか?以下に記しておいた。


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