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軍人勅諭、大逆事件を創出した「山県有朋」

「山県有朋・明治日本の象徴」岡義武著・岩波文庫2019年9月発行

著者(1902年~1990年)は吉野作造に師事、東京大学法学部長を歴任した政治学者。専門は日本政治史、エピソードを多く加え「講談政治学」と言われた。

昨年、安倍元首相の国葬で菅義偉氏は弔辞に本書のエピソードを取り上げた。安倍事務所の机上に本書があり、伊藤博文暗殺を偲んで山県が詠んだ歌にマーカーしてあったという。

「語り合いて尽くし人は先立ちぬ、今より後の世をいかにせむ」

二人はともに松下村塾で学んだ。明治で元老となり、政党政治に対する意見の違いで対立する。

本書は山県有朋を中心とした明治、大正政治史である。山県は「痩躯鶴」のような人物。広く張りめぐらした自らの派閥を背景に、政界に君臨し、内閣の製造、破壊を繰り返す。烈しい権力意志を貫いた。

同じ長州出身者として安倍氏がどのようにこの本を読んだのか?興味深い。自らの政治権力の指導書としてか?または山県有朋の極めて政治的人間の典型に興味を持ったのか?

山県有朋は陸軍参謀総長、内務大臣、内閣総理大臣、枢密院議長を歴任、伊藤博文と明治政府の権力機構を二分した権力者である。

山県は「閥族・官僚の総本山」「軍事主義の権化」「侵略主義の張本人」と評された。歴史学者藤村道生は「日本軍国体制の生みの親」「官僚・軍部支配から太平洋戦争に日本を引きずり込んだ」と批判する。有馬学は「権力欲・日本の暗部」と否定的に評する。

一方、徳富蘇峰は山県をこう評する。「山県は穏健なる帝国主義者。武力、侵略の頭目ではない。外国を買い被り、黒船の恐怖から英米を恐れる人である」と。

本書は、政党政治を目指す伊藤博文内閣、政友会を中心とする大隈重信内閣、西園寺公望内閣との抗争、対立、妥協を通じ、日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、大正デモクラシーまでの政治の動きを描く。

その政争の合間で妥協と調整、政友会政党政治の育成を図る原敬の図太さ、枢密院、貴族院の操作、元老との交渉など。それは山県の「三党鼎立論」と原敬の「民衆政党論」の対立である。「講談政治学」岡義武の本領を発揮した書である。

山県は、大正6年ロシア革命、7年米騒動の大正デモクラシー発生時、徳川家達へ送付した意見書にこう記述する。「無識・無産の輩が国体をわきまえず、甘言に迷い、道徳乱れ、勝手無責任な主張、功利の思想が国家滅亡を招く」と。まさに「忠君愛国」の反社会主義的思想である。

山県は大正11年2月1日、死去する。87歳。「国葬」は2月9日、日比谷公園で実施された。その1カ月前に大隈重信の「国民葬」が同じ日比谷公園で行われた。

大隈の国民葬は盛大だった。山県の国葬は不参加者多く、寂しかった。東京日日新聞はこう記事に書く。「大隈候は国民葬、山県候は「民」抜きの国葬でガランドウの寂しさ」と。

著者・岡義武は山県を次のように評する。「山県は明治から大正のかけて、特に伊藤博文死後、政界に君臨した」

「しかし実体は明治維新に歴史的起点を持つ天皇制の上に築き上げられたもの。彼の支配の基礎に民衆は居なかった。宮中、枢密院に配下を配置し、権力維持に努めた」

「彼にとって民衆とは単に客体に過ぎない。彼の権力意志の先は、支配機構を掌握することに集中された。彼は終始、民衆から遊離していた。故に民衆も彼に対して、冷ややか、無関心であったことは当然であろう」と。山県の本質を突いた言葉である。

安倍晋三はいまだ多くの支持者と人気がある。安倍氏の本質とはいったい何か?真の「安倍晋三評伝」を期待する。

アベノミクス、異次元緩和黒田氏を継いだ植田総裁はかつて日銀審議委員のとき、速水総裁のデフレ脱却の量的緩和策に対して、こう言って賛成した。「マーケットに『イリュージョン的』なものがあるかもしれない。それが効果を発するかもしれない」と。

イリュージョンとは「錯覚」「幻想」を意味する。アベノミクス、安倍政治とは錯覚、幻想だったのだろうか?

「三党鼎立論」は下記を参照してください。

山県有朋と宇垣一成 (furuyatetuo.com)

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