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意識と言語

こんにちは。

先日、友人から面白い話を聞きました。
彼はブログをやりながら、そのアクセス状況を分析もしているのですが、どんな言葉に対して反応があるかを見つけ出そうかとしているというのです。
つまりはアナリティクスですが、その中で同じ意味の単語を英語より日本語にした方が閲覧に対する伸びがあると気が付いたそうです。
ブログの内容は日本人に向けてですが、海外のトピックであったためそのような違いにも気がついたし、日本人に向けているので、それは当然と思われるかもしれませんが、私にとってはとても良い気付きだと感じました。
この話は英語と日本語での比較ですが、日本語同士であっても共通する話です。

データサイエンティストという職種が注目されて久しいわけですが、なんとなくそのようなことを意識することは大切だとは感じていました。
しかし、実際には良い内容・良い文章であることが大切であると思い込んでいる節もあり、何か特別に単語を意識して文を構成するということがありませんでした。
一方で、自らが検索行為をする際には思いつく断片的な情報を単語入力していることに改めて気が付きました。
さらに今出てきているAIが会話形式で検索や調査が出来る優位性があることにも改めて気が付きました。
今回に関しては、どの単語を選ぶかということに注目しますが、それを適切に選ぶことは利用者の無意識にあるイメージをちゃんと理解することにも繋がるわけです。
どんなに名文であっても、誰のイメージにも合致しなければ検索に引っ掛かることもありません。
一方で、どんなに稚拙な文章であってもイメージと合致すれば多くの人にメッセージを届けることが出来ます。
もちろんその後の影響というのがあるか否かこそはその内容に依るところがありますが、まずは入口を設けられているかという観点で、非常に大切な意識で興味深い話でした。

さらに言えば通常の会話でも、心に届く単語があれば全く響かない単語もあると思います。
相手にとって理解しやすい、イメージしやすい単語を選んであげることがスムーズな会話にも繋がります。
正確で緻密な情報であっても、理解されなければ一方的な会話となりかねません。
専門性が高い仕事ほど、そのようなジレンマに陥ることがあり得ます。

自分の言葉が、相手にどのような影響があるかを意識することはお互いを理解し合うための大切な行為であると深く感じました。

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