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あわいの世界で生きていくこと

2020/4

年始ごろから始まった新型コロナウイルスの災禍は、いまや全世界に広がりを見せています。歴史に残るほどの規模で未知の病が社会を崩壊させていく、まさにその渦中にいるのだという認識でいます。
中国をはじめアジアの話だと思われていたのは2月半ばまでの話で、3月には米国やヨーロッパ各地でも感染が拡大してパンデミックとなり、世界各国で出入国制限や外出禁止、ロックダウンの措置がとられるなど、大変厳しい情勢となっています。
日常とはかくも脆く、生と死とが紙一重であることを改めて思い知らされる今、すでに誰もが「あわいの世界」で生きていかざるを得ないのだということを、書き残しておきます。  

1月に中国で感染が拡がり始めたとき、都市をまるごと封鎖して街中を消毒する姿が、驚きといくらかの嘲笑をもって伝えられました。しかしこうした対応が過剰反応どころか、徹底して感染拡大を封じ込めるために必要な措置であったことは、現在の状況を見れば明らかだと言えるでしょう。未知のできごとだからこそ、最悪の事態を想定して原因を徹底的に調査する、そうして得られた事実を基にして理論と実践を繰り返し、確度を高めていくほかに解決策は見出せません。
幸い現代には、事実を遍く記録して体系的に編集し、過去の知見を科学的に分析し、情報を広く迅速に共有することのできる道具と環境が、ある程度整っています。しかしながら、どんなに高性能な道具があったとしても、それを使える人がいなければ宝の持ち腐れです。いくら楽な環境があったとしても、その思考の向きが邪なものであれば道を誤ります。まして立場や権威といった徴は、その中身が無能であるほど害悪となります。  

国や地域によって感染の度合いも、文化も経済も医療のレベルも異なりますが、人類に等しく降りかかる脅威に対してはどこの誰においても、他人事ではありません。誰もがそれぞれの立場で出来ることがあり、やるべきことがあります。まずは命を守るために自分自身の行動に気をつけ、家族や友人などの身の回りに声をかけるなど、個人として自分の範囲で出来ることをやる。そして同時に会社などの組織や、国や行政にも声を届けていかなければなりません。それぞれの現状を伝えて今すぐに必要な施策を求めることも、責任を伴う立場にありながらやるべきことをしない者を批判することも、私たちが社会の一員としてやるべきことだからです。  

今回の新型コロナウイルスのような災禍に対して、個人で出来る行動には限度があります。そもそもウイルスは目に見えないので、検査を受けなければ本当に感染しているのかどうかもわかりません。まだ全貌は分かっていませんが、感染力が極めて強く潜伏期間も長めで、明らかな症状が出た頃にはすでに重症ということが多く、効果的な薬や治療法が確立されるにはまだ時間がかかるため、ひとたび罹ってしまえば成す術がありません。人から人へ感染する以上、個人が今すぐにできる最大の防御策は「なるべく人と接触しない」ことしかありません。
しかし、いくら人と会うな、外出を自粛しろと言われたところで、仕事をし続けなければ生活することすら厳しくなる人が、特に都市圏には多く住んでいます。会社としてもエンタメや観光業界、特に中小規模のライブハウスや映画館、宿泊施設、飲食や小売の店舗などに加えて、そうした業態との取引先となる関連企業では、すでに2月末からの自粛ムードによって打撃を受け続けています。しかもこれは感染の終息が遅くなればなるほど、より大きく響いてきてしまうのです。つまり個人においても社会規模としても、健康と経済とを同時に守る必要があるわけです。
ほとんどの国や行政には、個人の生活と自由とを補償する義務があります。速やかに感染拡大を防ぐことで、少しでも早く日常を取り戻し余力をつくることが、この災禍を乗り越えた先の日々を迎えるための絶対条件となります。そのために各国では徹底した検査と外出自粛と経済的支援とを同時に行なっているのです。その根本には責任を果たそうとする態度があり、今こそその真価が問われているのです。  

それでは日本国は、この新型コロナウイルスの脅威に対して、どのような対応を取ってきたのか。すでに2月半ばには感染拡大の兆しがあったにもかかわらず、3月末になっても国としての方針も具体的な対策もまるで示されず、4月7日になってようやく緊急事態宣言が発出されたものの、すべてが中途半端なままというのが現状です。市中の感染拡大防止についても医療の現場においても、もはや個人や組織レベルの自助努力では追いつかない状況にあるのは遅くとも3月半ばには分かっていたことでありながら、未だにそもそもの検査量も少なければ発表される数値も不揃いで、医療現場の把握もできておらず、感染防止策は「自粛の要請」という形で国民の努力に頼るだけ、ろくな補償も経済対策もせず、他国の知恵を活かそうとする気もなく、自己責任だと言わんばかりの案しか出してこない。とどのつまり現政権のこうした態度は、人の命などどうでもいいと思っている証左だと言わざるを得ないのです。  

なぜ無能な権力者のせいで、あなたの命が脅かされなくてはならないのでしょうか。
なぜ全体の権益のために、私の日々を諦めさせられなければならないのでしょうか。  

こうした危機的状況は、誰もが持つ心の闇をあらわにします。権力者からの甘言、分断を煽る虚言、諦観を是とする向き、根拠のない精神論と希望的観測とが繰り返され、現実との「あわいの」世界もまた、拡がっていきます。
しかしそれは、平時は見て見ぬふりをされているものに気づき、変えていくきっかけにもなり得ます。ひとりひとりが自分ごととして声を上げ、身近で起きている困ったことを認識しておかしなことには抗い、一人で難しいことは誰かに助けを求め、手続きとプロセスとを重視しながら、少しでもまっとうな方向へ軌道を修正する。その積み重ねにおいて必要なのは確かな言葉であり、最も大切なのは信頼と協調の態度そのものです。
もう遅いかもしれないからこそ、いますぐにでも始めなければなりません。人としてのまっとうな態度と理性の灯とを絶やさないことが、この災禍を乗り越えた先の世界における、確かな道標になると信じて、行動を続けます。

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