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運命の再会

1990年4月、地元のJ中学校に入学した私は運命的な再会を果たす。同じクラスにマナブがいた。そう、私に野球を伝授してくれた先生であり、Kクラブのエースを務めたあのマナブだ。
マナブと私は誕生日が5日違いなので、生まれ順で並ぶ小学校1年生の時は座席が前後だったのだが、名列順で並ぶ中学校でも座席が前後になった。ふたりは同じイニシャルなので、名列順も近かったのだ。それにより4年のブランクを経て私たちはすぐにあの頃の親友関係に戻った。そしてマナブから部活何に入るのかと質問を受けた。聞けば迷っているという。私はてっきりマナブが野球部に入ると決めていると思っていたが、Kクラブで野球をやっていた同級生はマナブ以外に2人しかおらず、彼らは早々に中学では野球はやらないと決めたらしく、誰も知り合いのいないところに行きたくないといった感じだった。それに中学で通用するか不安もあり、3年生の兄がいるバスケ部か陸上部も視野に入れていた。
とはいえKクラブのエースである。野球部は彼を放っておくわけがない。顧問の命を受けた上級生が私たちのクラスに日参し、マナブの意思を確認しにきていた。既にマナブは必ず獲得しなければいけないドラフト選手なのであった。マナブは上級生に、トヲルも野球に興味あるみたいですよ、と紹介してくれたが、上級生は私など目もくれなかった。
マナブと一緒に野球部に入っても差が開くだけで、友達関係も継続できないのではと考えた私は野球以外の道を模索し、小学校の体育の授業で割と活躍できたバスケットボール部に入ろうと密かに考えていた。
J中学では、部活を決めるための見学期間というのが3日間設けられていたので、私は初日にマナブを誘ってバスケ部を見学した。マナブは3年の兄がいることでやりづらさがあるのだろう、乗り気にはならなかった。2日目はマナブの誘いで陸上部を見学。そして最終日に野球部を訪ねた。
これでもう、どの部活にするか決めなければいけない。私は正直、バスケがいいなとは思っていた。ただ、マナブの様子を見ていると、私が一緒に来てくれるなら野球部に入りたいという思いを持っているのが薄々と感じていた。マナブはKクラブでエースだったのだから、中学でも野球をやるべきだ、と思った。私が一緒に入ることでマナブが野球を続けるのなら、それは本望だと本気で考えた。なので私から切り出した。
「一緒に野球部に入ろう。」
そして私たちは野球部の門を叩いた。

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