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小学校6年生時代が人生のピーク

中日ドラゴンズの優勝を体験し、プロ野球への興味が一旦落ち着いた1989年、私は小学校の最上級生となり、あらゆる活動に駆り出されていた。
まずは地元の大きな祭りに鼓笛隊として参加させられた。担任からのオファーで最初は断ったが、この祭りに出ることは名誉なことらしく、母がどうしても受けろということで、聖闘士星矢の超合金と引き換えに出ることにした。
次に地元の小学生を集めたローカルテレビでのクイズ番組に出された。ポップコーンとかいう芸人が司会で学校対抗のクイズ番組だった。5人チームでひとりずつ回答していき間違えると次に変わる。最後の問題が終わった時に残ってる人数が多い学校が優勝だった。私は2番手くらいに登場して2問目で間違えあっさり終わった記憶がある。
そして、夏休みには少年連盟からの派遣として北海道に7泊8日の研修にも参加したりした。親元を離れて小中学生だけで8日間も北海道を転々としながら集団で生活し、地域交流も深めるという取り組みで、これはかなり私の中で成長につながるイベントだった。
夏休みが明けると立候補で学級会長を務め、卒業行事の陣頭指揮をとり、市役所から善行児童として表彰されるなど、もはや人生のピークを迎えたといえる1年となった。
そしてやがて中学校入学の足音が聞こえてくるなか、いよいよ何かしらの部活動に入部しなければならないため、種目の検討に入っていた。
この時点で野球はすでに小学校で挫折しており、学童野球を経ない自分が活躍できるとは思えないというのもあり、早々に野球部という選択肢は消していた。しかし、そうなると他の競技で決め手になるものはなく、場当たり的に考えてしまうのが子どもというもので、その年の秋に盛り上がっていたバレーボールのワールドカップをみて、中学に上がったらバレーボール部に入ろうと心に決めた。決めてしまえばあとは入学を待つばかりだった。
ところが中学に入学して衝撃の事実を知った。その中学校には、男子バレー部は存在していなかった。部活選びは振り出しに戻った。

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