見出し画像

どこの国にでも「ダメなやつら」はいる

8月末にエストニアを発ち、数日ヘルシンキの友人宅でお世話になり、9月の初めにフィンランドから東京へと戻った。2023年の夏は8月の1ヶ月間をバルト三国とフィンランドで過ごしたことになる。
いつも仕事とはいえ、夏に北欧、バルト三国に行けることは役得だと捉える方が幸せだ。

さて、本やブログ、その他の場所でバルト三国について書くときには良い記憶、楽しかった出来事を多く紹介したいと思っている。だって、本当に良い場所に素晴らしい人々がいるから。だが、実際そればかりでもないということを書こうと思う。

2つばかり今回の旅で「ブチギレ」たことがあった。そのうちのひとつはフィンランドで起こったことだった。Xでつぶやいたら軽くバズったので、ここに貼り付けておこう。ヘルシンキにも「ダメなやつ」はいた。

「世界一幸せな国」と根拠があるのかないのか定かではないが、そう言われているフィンランドの首都ヘルシンキで起こった出来事だった。そこで起こったことだったからなのかは定かではないが、なぜか1.8万ビューをカウントしていた。比較的安全だと思われている場所で、多くの人にとっては意外な出来事だったのかもしれない。

ヘルシンキの出来事の他に、もうひとつ残念なことが、リトアニアで起こった。
リトアニアの首都ヴィリニュスに滞在していたときに、リトアニア料理店に行くことにした。やはり本場のリトアニア料理の味を再確認する必要もあると考え、観光客にも地元の人にも有名なレストランに行った。そのレストランの名誉のために店名はAとしておく。
あまりにも有名なため、Aはいつも混んでいる。価格もそれほど高くはない。私も何度か赴いたことのあるレストランだ。
昼少しすぎ、昼を過ぎているにもかかわらず混んでいた。1階は満席のようで今回は地下の席に案内された。

店はリトアニアの中世ごろの雰囲気をまとい、少しひんやりする階下への階段を降りながらタイムスリップをしているかのようだ。地下要塞さながらの体験が料理をいただきながらできるのは楽しい。

ウェイトレスに案内された席は、子供が多く耳をつん裂くような悲鳴や笑い声でもりあがっている部屋の中だった。
席に座っても収まることがなさそうな盛り上がりだったため、その手前の部屋の席に移動したいと希望し、私が希望した席に座ることができ、若干その音からは回避することができた。
メニューはテーブルになく、ウェイトレスが持ってくる形式だった。5分くらいしてもメニューが来ないので「メニューください」と声をかけるとしばらくしてメニューを持ってきた。
料理を選んでいると、隣に3人組の若いグループも席についた。オーダーを取りに来ないかと待ちながらメニューを見ていた目をふと前の3人組に目をむけると既にウェイトレスはオーダーを取りに行ったのだ。「先に料理決まってすごいな」と思ったのだが、待てど暮らせど私のところにはオーダーを取りに来ない。
どうしたもんかと思いながらウェイトレスを呼び、ツェペリナイ(肉が入ったじゃがいも団子)とシャルティバルシチェイ(冷たいスープ)そしてギラ(ライ麦を発酵させたドリンク)をオーダーした。

しばらくしてふと顔を上げると既に3人組には料理がテーブルに並んで食べている。そこそこ早く出るのだなと思ってこちらも心構えをしているが、10分経てども、15分経てども来ない。3人組の料理の残りを見て終盤に差し掛かっているではないか。

私は「オーダーが調理場に反映されていないのでは」と心配になり、ウェイトレスを呼んだ。するとなんということか2人いたウェイトレスのどちらもが私を無視するのだ。忙しいとはいえ、そんな対応をされた経験がないので、目が点になった。

「うーん」と、待っているとドリンクのギラが来た。「そうか忘れてなかったか」と思いながらゆっくり飲んでいたが、そろそろギラの炭酸が抜けそうだぞ。という頃になったので「スープはまだなんですけど?」と聞こうとまたウェイトレスの声をかけるが明らかに無視して通り過ぎた。
これには私も黙っちゃいない。レジで会計対応を終えたウェイトレスに直接「スープとツェペリナイが来てない」と言うと、「私はあなたの係じゃないから知らない」と言うのだ。いやいや、係かどうかは私の知ったこっちゃないし、係ではなくとも私の係に尋ねれば良いだけなのだ。既に私より後から来た3人組は店を出ていた。
そろそろ腹を立ててギラ代だけ払って出ようかと思っていたら、スープとツェペリナイが黙って出てきた。この時点でもう味は感じなくなっていた。怒りなのか惨めだと感じたのかスプーンを持つ手は小刻みに震えていた。私がリトアニアで食べた中で一番まずい料理だったと言えよう。いや、味の記憶は別の感情が大きすぎて皆無だ。
私が何をしたと言うのか。いや、ただ店に入ってオーダーをして待っているだけだ。不貞腐れながら彼らが出す料理を完食した。

食べ終わったら会計だ。もう一刻も早く店から出たかった。ヨーロッパではほとんどの店でカード払いにしていた。現金を使うときは現金をどうしても使わなくてはならない時だけ現金を使う。だから現金はキープしたかった。
カードで払う時も無愛想(本当はわからないが)に無言でカードスキャンの機器を差し出され支払った。私は知っているリトアニアのレストランでは10%程度はチップを出す必要があるのだ。私はこのサービスに対して絶対に払いたくなかったので、追加のチップは応じなかった。

ふと、最近目にした動画があった。
アイスランドでメダル授与を黒人の女の子だけスキップされた見ていると心が痛くなる動画だった。この動画を見てふと思い出した。リトアニアのレストランの時のことを。

私は軽々しく自分が人種差別によるひどい対応だったのかは判断しないが、段々と「あれ?」と気づくまでにいくつか判断材料がある。この子もそうだ。自分より後にメダルをかけられる子を見ながら、自分はなぜかけられないのかと段々状況を理解し、顔が明らかに曇っていったのがわかる。その表情は心が張り裂けそうになっているではないか。
いくつか重なっていくと、初めは「まさかね」と思っていたけども、幾つもが重なり明らかになって本人は気がつくと言ったものだ。

日本人も外国人も伝統料理が食べられるという評判のこの店を訪れることが多いと思う。全員のスタッフがこのような態度ではないとは思うが、同じ人と遭遇する可能性はある。私と同じような気持ちにならないようにと願い、GoogleMapの店舗情報のコメント欄に日本語で酷評を書いた。日本人に私と同じ体験をされ、不快になってもらいたくないからだ。
こんなサービスを提供しているレストランのオーナーは気づいていないのであれば、この事実を早く知るべきだと思った。しかし、改善しようがしまいがオーナーの勝手ではあるから、この店のサービスに警鈴を鳴らし、私がこの店に行かなければ良い。

店員の対応は恥ずべきことだし私はAには二度と自ら行かないが、だからと言ってリトアニアにもう戻りたくないとは思わない。
心が荒んだ人もいれば、同時にすごく美しい街並みで、美味しい料理があるし、心優しく素晴らしい人々もいるのだ。だから私は楽しい思い出や貴重な経験をしたものの多くを、たくさんの人に見てもらいたいと思う。
嫌な思いをした後に入ったチェーン店のカフェのスタッフは普通に優しかった。私はこの時頼んだコーヒーの味のほうが記憶に残っている。

何事にも多くの側面がある。日本にいたって嫌な気分になることはある。海外に行って予想外の出来事に深く傷つかないために考えておくことは、

どこの国にも「ダメなやつら」はいる ということ。

ただ、そんなやつらのためにあなたはただ傷ついたり、ずっと根に持つ必要はない。いつか習ったヨガの経典に、「嫌なことをする相手は、無視すれば良い」とあった。この啓示は私のお気に入りだ。

さて、次の場所に旅立とう。

ヴィリニュス大聖堂前の広場で

旅の珍道中そして、普通のバルト三国の人々の料理を教えてもらったレシピが掲載されている拙著『バルト三国のキッチンから』(産業編集センター)発売中です。お近くの書店、オンラインでご購入できます。


有益な情報、ためになったなーと思われた方はぜひどうぞ。いただいたサポートは次作の書籍の取材費として使わせていただきます。