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リトアニアでハチミツケーキを教えてもらったら大変なことになった話(後編)

この話は前編がありますのでこちらをどうぞ。

カウナスから北部の街へ

バスは一路パネヴェジーズを目指し、舗装のないガタガタ道を時に走りながら予定通りの時刻に進んでいく。「崩れませんように」と祈りながらまるで我が子のように座席に鎮座させ、時に混んでくると隣に人が座るため、ケーキの箱を膝の上に乗せた。
箱を膝の上に乗せると若干ケーキは傾き、私の脚の体温が伝わってケーキが悪くなってしまうのではないかと、箱を膝から出来るだけ浮かせながらなんとか2時間半をやりきった。いや、やりきったのかもわからない。
この時点でちゃんと運べているかもはや怖すぎて、確認すらできなくなっていた。だが、とにかくこのケーキの形になっているかどうかわからない箱をなんとしてでも今夜は宿の冷蔵庫に入れなくてはいけない。

翌朝、9時前に出発するバスに乗るため、予約した宿はパネヴェジーズのバス停から歩いてすぐだった。しかし、ラッキーは続かない。宿の入り口はどこなのかわからない。建物全体を一周してもなお、どこから入ればよいかわからない。
ただ、わかることは入り口のような場所の前で、明らかに柄の悪そうなおばちゃんがタバコを咥えて電話していることだ。
入り口捜索2周目に差し掛かるところで、おばちゃんのがなり声または怒鳴り声のようなものが聞こえ、振り向くとおばちゃんはリトアニア語でも英語でも、ラトビア語でもない判別がつかない言語で叫んでいた。いや、言語だったかもわからない。後で想像すると「あんた、泊まんのかよ!」と声をかけてくれていたのかもしれない。

おばちゃんに宿の名前をスマホで見せると「ここだよ、入んなよ!」的なことを言っているような気がした。私の荷物の重さを考慮しないおばちゃんがさっさと階段を上るので、おばちゃんに遅れをとらないように必死の形相でケーキの箱を水平にしながらスーツケースを持って上がった。

階段のボロボロ感にそぐわないほど、まぶしく白い壁の宿に入った。まずはケーキが冷蔵庫に入るスペースを確認しなくてはいけないと、荷物は廊下に置いたまま、ハチミツケーキ冷蔵庫の大きさを確認した。ケーキはもはやどんな姿になっているなんて知ったこっちゃない。
ケーキ箱のために開けられていたようなスペースが幸運にも冷蔵庫にあったので、すかさずケーキを入れると、シャワーを浴びておばちゃんと同じ部屋に寝たのだった。

ラトビアの首都でケーキを食べる相手を探す

朝のバス停前のベンチに鎮座し朝日を浴びるハチミツケーキ

翌朝、テレーセさんからケーキ(私ではなく!)を心配するメッセージが届いたので、とりあえず冷蔵庫に昨夜は入れられたという報告ができた。そして、次の目的地であるラトビアの首都リガ行きのバスにケーキを隣の座席に鎮座させた。バスの中でテレーセさんがリガあたりでケーキの賞味期限の限界を迎えるのではないかと心配してくれ、リガに住む彼女の友人に連絡し、一緒に食べてくれるように手配してくれていた。
このケーキは切った断面の写真を撮る必要があるのだった。ケーキが食べられる状態ではなければ、異臭による害がひどいことになると容易に想像できる。
テレーセさんのリガ在住の友人はその日仕事が入っており、ケーキを一緒に食べることができないと回答がきた。これでリガでこのケーキが消化される唯一の希望は失われたということを意味した。基本的に他人への期待が少ない私だが、車中でケーキを前に「考える人」のようなポーズで 眉間に皺を寄せて苦悩している自分が頭の中に現れた。

そして、リトアニアのカウナスで作ったハチミツケーキをエストニアの義母が住むタルトゥまで運ぶしかないということが同時にこの時点で確定した。

距離感の地図(青い場所が今回の行程で通る場所)

リガで、このケーキを作ってからおよそ24時間が経過していた。昨夜10時間ほど冷蔵庫に置かれていたとしても、リガでバスを乗り換え、最終目的地であるエストニアのタルトゥ行きのバスの出発はリガに到着してから6時間後なのだ。
その間、リガの街でケーキの箱を持ってうろうろするわけにはいかない。日中にどこに預ければ良いのだろうかと思いを巡らせていた。この日の気温は日中30度近くあった。
バルト三国にはバスターミナルに荷物預かり所があり、時間によって金額が変わる。ロッカーもあるがむしろ預かり所のほうが荷物の大きさに関わらず預かってもらえるので多くの人が利用する。
しかし、ケーキの保管は可能なのか?

彼らはどんな荷物でも扱うので容赦無く上に乗せたり、移動させることだってあるはずだ。その中でケーキなので動かさないでくださいという指定ができるか。聞く価値もないほど結果は明らかだ。
ふとバスターミナルの建物の中にあるロッカーを発見した。「ロッカーに入れよう!」
ロッカーは中サイズの大きさのものしか空いておらず、そこにダメもとでスーツケースとケーキケースを入れると、ケーキケースを少しだけ潰せは入る高さだった。ロッカーを閉めれば誰かがこれらを移動するはずもない。この旅の中での名案だった。ロッカーは幸いに建物の中にあったので、日光は当たりにくい。
祈るようにロッカーを閉め、私はリガの街へと足を向けた。残り5時間。私はリガで一番評価が高いと言われているカフェで、ハチミツケーキを食べることにした。
ハチミツケーキをロッカーに入れ、さらにハチミツケーキを食べる。暴力的な状況の中、ハチミツケーキは私の胃袋の中に入った。
バスターミナルに戻る時間が近づいてきた。バス出発の30分前に私は到着することにした。仮にロッカーの鍵に不備があってもなんとか解決できる時間だろうという予想だった。
ロッカーの鍵は無事開けられた。

リガのバスターミナルでスーツケースの上の鎮座したケーキ

ロッカーからふんわりサワークリームの香りが出てきた。もはやケーキの安否を確認する勇気は私には相変わらずなく、ただこの箱を義母のいるタルトゥまで運ぶのだ。腐ってようがどうなろうが、それに集中するしかないと考えた。

2023年のバルト三国の旅はこれでリトアニアやラトビアとは最後というのに、景色を見ながら旅の思い出に浸る心の余裕は皆無だ。考えることはハチミツケーキのことだけだ。
「5時間のバスの行程を果たしてこのケーキは頑張れるのか。いいや、5時間ではない。自宅まではプラス30分を見ておこう。帰宅時間は夜の11時半だ。」このケーキを冷蔵庫に入れて、翌朝義母と確認する。
カウナスで作ってからこのケーキは48時間後にようやく食べられることになるのだ。
日本の夏の常識では、ほぼ食べられる代物で無くなっているであろうが、ここはバルト三国。ケーキの実力を信じよう。普段はタルトゥのバスターミナルからは徒歩で帰るのだが、この時だけはハチミツケーキのためにタクシーを使った。
午後11時半に帰宅し義母に事情を説明し、ホールケーキを冷蔵庫に入れてもらい、「明日開けましょう」と言ってその日は寝た。

ケーキ入刀

翌朝確認することは、ケーキが無事食べられる状況なのかということ。
義理の母も興味津々でケーキを開けると、意外なほどカウナスで最後に見たケーキのそれとは変わらない様子だった。問題は中身だ。サワークリームがえらい方向に発酵していたらその時点でゲームオーバーである。
意外にもそのままの形を保持していることに驚いていると、義母は「大丈夫っしょ!」と言いながら潔く入刀した。美しい層となった断面は、カウナスからの数多くの困難の数の層ではないのかと思ってしまうほどだ。
朝からモリモリ食べる気分ではないので、私は細く切ってもらったケーキをいただくことに。
まったく問題なかった。むしろ味が落ち着いておいしい。程よい甘さは日本人向きだ。

48時間後のハチミツケーキ

義母も「これは最高のハチミツケーキだね」と言いながら、大きく切ったケーキを朝から食べていた。ハチミツケーキというものが如何なるものかリトアニアもエストニアも共通だと、期せずして明白になった。リトアニアから運んできたからこそ理解できるとも言えよう。
カウナスで心配するテレーセさんに写真と共に食すことができたことをまず報告した。ハチミツケーキが無事最終目的地まで届いたことに胸を撫で下ろしていた。

さて、22cmのホールのケーキを2人しかいない家で食べ尽くすことは至難の業である。
そう思った矢先、義母は「仕事場に持って行っていい?」と聴いてきた。「たくさん持って行ってあげて」と返すと、半分ほど同僚のために持って行った。
その日仕事から戻るやいなや、同僚がレシピを教えてほしいと言っていたと教えてくれた。翌日は義母の古くからのドイツ人の友人が家にくるというので、ハチミツケーキを出すことにした。ここでも大好評で、すべてのケーキがそれぞれの胃袋に消えて行った。

こうしてリトアニアのカウナスからエストニアのタルトゥまで紆余曲折あったハチミツケーキは、私にその賞味期限の限界と1晩(いや、2晩)寝かせることの重要性を教えてくれた。
道中にケーキを力強く支えてくれたテレーセさんの白いお皿は、義母が愛用するということで一件落着したのだった。

48時間後のハチミツケーキ

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