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氷室京介と布袋寅泰、どっちがBOOWY?


 いやはや。
 昔っから議論されていたテーマである。そして答えはわかりきっている。
「どちらも元BOOWYであって、単体ではBOOWYではない」ということが。
 それでも近年、その観点において差が出てきたように感じる。というのも、両者ともBOOWYの楽曲を解禁してソロで演奏する(歌う)ようになってからの差が。
 まず先に、わかりきった結論を2つ出しておこう。

(1). BOOWYとは氷室京介・布袋寅泰・松井常松・高橋まことの4人である。
(2). ソロの氷室と布袋では、どうしても「氷室こそBOOWY」である。

 これって、ファンあるいは非ファンの大多数(←それじゃほぼ全員じゃん)が思ってるんじゃないだろうか。
 まずは、どれだけ氷室が歌っても布袋が再現しても、BOOWYにはならないこと。それこそリズム隊が松井・高橋より上手であったとしても、それはBOOWYではないこと。
 布袋は実際、ライヴで松井あるいは高橋をゲストで呼ぶことがあった。2019年の曲「Thanks a lot!」ではリズム隊に松井・高橋を招いた。しかしどうしても「声が布袋」なので、決定的にBOOWYになれない。当時は一部マスコミが「BOOWY再結成!?」という行きすぎたコピーを打って大顰蹙を買っていた。
 一方の氷室は、ライヴで高橋が飛び入りしたことはあったものの、松井は一度レコーディング参加しただけで、布袋とは共演ゼロ。なんせ布袋・松井はBOOWYの「LAST GIGS」の打ち上げにも来なかったぐらいだもの。どころかきっと、布袋とは永遠に共演しないだろうというのがファンの認知。
 BOOWY解散については、高橋まことの著書『スネア』で真実が明かされたが(←面白い本なので読んでくれぃ)、それ以前に氷室と布袋が組むことは、もうないだろう。
 ファンの間で、まことしやかに囁かれている噂がある。
「布袋・松井・高橋は再結成したがっているのに、氷室が拒んでいる」
 それが事実かはわからないが、実際に布袋は「氷室と組みたがっていた」気配がある。何度も。何度でも。しかし完全に拒まれ、解散後に顔を合わせたのは偶然会った1回だけらしい。ひえー。
 そのため音楽業界マスコミまで含め、それはもはや「まことしやか」ではなく「まこと」として噂は流布している。高橋がドラムだけに(←親父ギャグやめんか)。
 詳しくは、面白おかしく書き立てた記事が「伝説のバンドBOOWY!布袋が氷室にやらかしたこと一覧」というタイトルで検索できるので、腹を抱えて笑ってくだされ。いやー可笑しかったそれ発見した時。あ、でもNAVERだから消滅しちゃった現在。

 で。
 本題に戻ろう。「氷室と布袋、どっちが(ソロでも)BOOWY(に近いと感じる)か」である。
 答えは出ている。氷室京介しかない。理由は単純で、「BOOWYの『声』だから」。これに尽きる。
 はっきり言ってしまえば、どんなバンドもそうなのだ。それゆえに以前「ZIGGY=森重樹一でいいのか」っていう文章も書いたわけだし、しかし認めざるを得ないわけで、それって氷室も同じなのですよ。だから論ずるより先に、詰めて言えば「氷室がBOOWYの曲を歌えばBOOWYになる」。

 布袋が「コレBOOWYジャナイ」になってしまうのは、やはり「声」が原因だ。ソロ・デビューしてヴォーカルをとったときの、あの「コレジャナイ感」。さらには日本語で歌ったときの「コレナニ感」。それはファンが布袋にBOOWYを求めてしまったからであって、本人のヴォーカルがヘタクソと言ってるわけではない(←おいおい)。
 その後、ソロとしての地位を確立した布袋がBOOWYナンバーを歌っても「ただの布袋」になってしまう。あくまで「布袋のセルフ・カヴァー」であって「BOOWYの再現」とは思えないのだ。変な喩えだが、布袋がはっきり言って縁もゆかりもほとんどなかったはずのhideの「ROCKET DIVE」をいきなりトリビュート盤で歌っていた違和感。しかも最後に独自の歌詞も足してるよおいおい! というあの感じ。つまりギターはともかく、歌うことで「これ本人じゃない」と思ってしまうわけだ。だって氷室の声じゃないから。
 だから原曲も布袋がヴォーカルだった「DANCE CRAZE」は例外。おおBOOWY時代の持ち曲やってるねぇ! と好意的に受け入れられたはずだ多分。でもそれ以外の布袋ヴォーカルは、BOOWYファンにとって「コーラス」なのだ。「Marionette in the mirror……」とか、「はなざむんらーひ!(←夜のヒットスタジオの「ONLY YOU」)」とか。
 よって、歌えば歌うほどファンは「ああこれがBOOWYだったらなぁ」「せめてヴォーカルが氷室だったらなぁ」と感じてしまう。きっと氷室は耳にすることがあったら「へっ」とか言ってる。そして布袋が歌えば歌うほど、再結成の可能性もすり減っていったのだろう。

 一方の氷室は、2003年のベスト盤で「わがままジュリエット」「ハイウェイに乗る前に」「CLOUDY HEART」をセルフ・カヴァーしたのを皮切りに、2004年の東京ドーム公演でBOOWY曲を解禁。高橋を観客として楽しませ、松井を落胆させ、布袋に再結成させたがらせた。ライヴ盤としてもリリースされており、さすがの貫禄に誰も文句は言わなかった。
 その評判は「大好評」。好評すぎて2011年には震災チャリティ・ライヴとして全曲BOOWY曲の公演を実現してしまった。また高橋は応援し、松井はがっかりし、布袋は「いったん」再結成をあきらめた。またも文句を言う人は誰もいなかった。
 そして2016年4月、難聴によるライヴ活動停止発表後のベスト盤で、自らの足跡を総括。ここにはBOOWY曲のライヴ音源だけでなく、スタジオ再録音も多く収録された。その選曲は「THE BOOWY」とでも言うべき内容で、文句を言う人は、やはりほぼほぼいなかった。

 対する布袋は、2005年のベスト盤でCOMPLEX時代の「BE MY BABY」を再録音したついでに、BOOWY曲の「BEAT SWEET」「BAD FEELING」を再録。まるで氷室がBOOWY曲を解禁したのに続いたようで、ベスト盤を買わせる特典のような立ち位置。しかもヴォーカルが「コレジャナイ」と言われた。
 さらには氷室のライヴ活動停止後ベストを追うように2016年6月にベスト盤を出し、そちらには「BAD FEELING」「NO. NEW YORK」「DREAMIN'」のライヴ音源を収録。氷室に遠慮したのかソロに自信があるのか、入れないなら入れないで「もっとBOOWYやれ」と言われた。かわいそうだが。
 その後ライヴで「TEENAGE EMOTION」「LONDON GAME」なども演奏。ファンの反応はいいが、ヴォーカルが布袋である違和感は拭えない。あとJILLのコーラス。

……と。
 この反応はずっと追っているファンではなく「かつて大ファンだったのに、身を引いた」僕の感慨です。それにずっと追ってたら両方とも全肯定になっちゃうんじゃね?
 なので、布袋にシヴィアなのは「やっぱ声が違う」から。それは布袋も承知の上で、自分の色が濃いナンバーだけに絞っているのだろう。常に氷室の後を追っていく形になってるし。
 で、逆に氷室は「布袋色が濃いナンバーを除くと、ほとんど氷室の曲」なのを武器にして、かなり数多くのナンバーを演奏している。ソフトとして残ったもので、ライヴとスタジオどっちも含んでみると……

『MORAL』 3/13曲
・IMAGE DOWN
・NO. NEW YORK
・ON MY BEAT

『INSTANT LOVE』 1/8曲
・FUNNY-BOY

『BOOWY』 7/10曲
・DREAMIN'
・黒のラプソディー
・BABY ACTION
・HONKY TONKY CRAZY
・BAD FEELING
・ハイウェイに乗る前に (TO THE HIGHWAY)
・CLOUDY HEART

『JUST A HERO』 6/10曲
・ROUGE OF GRAY
・わがままジュリエット (JULIET)
・JUSTY
・ミス・ミステリー・レディ
・BLUE VACATION
・WELCOME TO THE TWILIGHT

『BEAT EMOTION』 6/14曲
・B・BLUE
・ONLY YOU
・RUNAWAY TRAIN
・BEAT SWEET
・B・E・L・I・E・V・E
・DOWN TOWN SHUFFLE

『PSYCHOPATH』 6/12曲
・LONGER THAN FOREVER
・RENDEZ-VOUS
・MARIONETTE
・PLASTIC BOMB
・MEMORY
・季節が君だけを変える

アルバム未収録曲 1曲
・''16''

……前期はさすがに少ないものの、『MORAL』では最重要ナンバー3曲。特に『CASE OF BOOWY』にて「BOOWYにとってどうしても大切なナンバーです」と紹介した「ON MY BEAT」を演奏したのは、布袋も悔しかっただろう。
『INSTANT LOVE』ではデモ・テイクが一番多く、ラジオ放送中止の憂き目に遭いながら発表した「FUNNY-BOY」を再録音までしている。それを知ってるファンはもう涙ものだ。
 中期はBOOWYが最もBOOWYしていた時期なので選曲も多い。布袋色が強いもの、松井が作詞したものをちょこっと引いた程度。中でも布袋のカッティング・ギター真骨頂の「BAD FEELING」をサポート・ギタリストであっけなくやっつけてしまったのには、布袋も唇を噛んでジェラシったことだろう。タイミングがジャストすぎて逆に「布袋っぽくない」と感じるパラドックスも含み。
 後期の2作は布袋色の強いものを引くというより、氷室色の強いものを選んだ印象。特に『BEAT EMOTION』は布袋のパワー・バランスが強かったため、収録曲に対して演奏曲が少ない。その中でも「DOWN TOWN SHUFFLE」「PLASTIC BOMB」なんてセレクトは氷室ならでは! また「BEAT SWEET」のトリッキーなギターも再現したことに、ギタリストが布袋であった意味さえ完全になくなる。ていうかそれを狙ってるんじゃないかとさえ。「布袋じゃなくてもできるだろ?」ってな感じで。
 しかもアルバム未収録曲「''16''」まで演奏・再収録しているのは「どうだ、まいったか」という感さえある。このナンバーは完璧に、ヴォーカルが氷室でないと成立しない。布袋が歌うと演歌になる。
 布袋がソフトで残したセルフ・カヴァーはほとんどやってのけており、起死回生で布袋は「TEENAGE EMOTION」「LONDON GAME」をやることにしたような印象にさえなってしまう、徹底したラインナップ。でも氷室がやれば、一瞬で印象は裏返るだろう。
 布袋が「仲よくしようよ」と誘うのを跳ねのけ、「ふざけんなよ氷室!」と怒っても逆に徹底的に演奏してしまう。そうすることで氷室は、「氷室京介=BOOWY」のイメージ・輪郭を濃くし、自分がBOOWY唯一無二の「声」であることを証明した。
……っていうか、氷室がやったことを布袋がゴマすりながら追って、それに「ざけんな」と思った氷室が徹底的に、布袋に真似できないほど一気にBOOWYナンバーを歌ったような。実はただの「大人のケンカ」である。
 宇宙規模で身内のケンカする『スター・ウォーズ』か、君たちは。

 というふうに。
 どうしても「声」という存在は大きく、代えが利かない。氷室がやると「セルフ・カヴァー」だが、布袋では「ただのカヴァー」にきこえてしまう。
 いやもちろん異論はあると思いますがね、たとえばBOOWYは聴いてたけどソロは聴いていない人が氷室・布袋の「NO. NEW YORK」を聴いたらね、そりゃ氷室のほうを支持するわけですよ。ていうか「おお、ライヴ・ヴァージョンだ」ぐらいに思ってしまうかもしれない。一方で布袋は「何このモゴモゴ歌う人」と言われるかも知れない。ってヒドいな俺。
 そしてどんなにすごくても、ギタリストは代えが利く。もちろんBOOWYとも布袋ソロとも感触は微妙に違うけど「間違えていない」なら、それは同じものとして認めてしまう人も多いわけで。それで言うならリズム隊だってそうだ。氷室ソロも布袋ソロもリズムはBOOWY時代よりジャストでタイトだけど、大きな文句は出たことがない。
 ところが。
 氷室と布袋がもし組んだら、きっとマスコミとその情報に踊らされる世間はそれを「BOOWY事実上の再結成」と叫んでしまう。
 きっとそれを、氷室もわかっていたはずだ。だからこそ「それを狙っている布袋」のアプローチを拒み続けたのだろう。BOOWYのイメージを利用すんじゃねぇよ、と。イメージ・ダウンさせんなよ、と。
 布袋には悪いが、節操ない素行とキャリアを見ると、一本筋の通った氷室に対してはそう見えてしまう。いやホントすまんが。ファンの頃は「いろいろ手広くやってスゲー」だったけど、身を引いて俯瞰で見ると、かつて馬鹿にしていたはずのアイドル連中とも共演や楽曲提供をしたり、人気の後輩にすがったりして「節操ねぇなぁ」になってしまうのだよ。はっきり言ってBUCK-TICKのリミックス仕事とか、センス古いし趣味悪かったよ(笑)。
 だもんで今の両者がもし対峙したら、バンド・メイトだった頃より相反するのは目に見える。両者ともプライドが高く、BOOWYを引っ張ってきた自負が強い。自分の仕事に自信を持っている。そこへ一本気の通った氷室に対して、いろいろなことをやりたい布袋。昔(の関係性)に戻りたいだけの松井。順応できるのは高橋のみ。
 うん。
 間違いなく、再結成はないな。

 氷室・布袋どちらも、ベスト盤やらシングルスやらがとにかく多い。アルバム数枚出したらもうベスト、という感じさえしてしまう。
 それらベスト盤を聴いただけでも一目瞭然だが、コロコロ方向性を変えた布袋に対して、氷室は常に氷室だった。布袋は作詞もして自分が歌うようになったことが大きく、どんどん「前向きなメッセージを伝えるアニキ」になっていく。逆に氷室は作詞をしなくなったことが作用したのか、常に冷静。方向性がブレず、ファンを歓喜はさせないが落胆もさせない。ポップ路線に進んだ布袋よりも、氷室の売り方のほうがポップ歌手然としていたわけだ。なるほど(←書いてて納得)。
 僕は個人的に、氷室をロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーと同一視している。いやもちろんルックスは違うけどね、バンドではハチャメチャから大人のポップスに近づいていくところがBOOWYと同じだし、ソロでは楽曲の雰囲気は常に均一。質がブレない。だからベスト盤とか聴くと、さまざまなアルバムからの抜粋でも雰囲気に楽曲の一貫性がある。そう考えると布袋は音楽性を変えていったフィル・マンザネラか。ルックスも含め(←さすがに冗談です)。
 けどね。
 自分語りになっちゃうけど、氷室をリアル・タイムで追ったのは『I・DE・A』まで、でした。あの複雑なパッケージを開けて出したCDで、それまでの氷室と変わり映えのない曲を聴いて、また複雑なパッケージにしまう。そこで「もう好きじゃない」と気づいたのです。その後『MELLOW』を中古で買って、そのあとはやめてしまった。
 一方の布袋は、古参ファンが嫌うポップ・サイドにシフトしてからも評価していたので(←偉そうだな)買い続けていた。でも「THANK YOU & GOOD BYE」で離婚を自己肯定していて「ん?」。その次のアルバム『SUPERSONIC GENERATION』で「何だこの糞アルバム」と思い、あげくシングル「NOBODY IS PERFECT」。ああダメだこの人もう自分を正当化することしかしないんだ、と感じてピタッと追うのをやめた。ヘンなリミックス盤とか出すようになったし。
 思えばどちらも2000年あたりでやめたわけだ。それって社会人になっていろんな余裕がなくなったうえで、きっと取捨選択しちゃったのだと思う。
「BOOWYの幻影」として、ふたりを追うのはいけないな、と。
 同時に同じく追っていた松井・高橋は買わなくなっただけではなく、処分までしてしまった。松井の『グレイシア』とかどうして買ってるのかもわかんなくなってたし。でも、まこっちゃんの『楽しき人生』は急に聴きたくなるんだよなー。もったいなかった。

 そんなふうに、離れてから20年も経つ僕ですが。
 ベスト盤とかは聴いていて、離れたからこそ、思うんですよ。やはり「BOOWYの『声』である氷室こそBOOWY」なのだな、と。
 ついでに言えば、ソロ活動を追っている最中は「BOOWYの声は氷室で、布袋は音だ」と思うことで、購入を続けていたようにも思う。それが「これはBOOWYじゃない」と思ったとたん、一気に追わなくなってしまった。
 正確には、追うのに疲れて休んでいたところに氷室がBOOWYのセルフ・カヴァーを発表して「あれ、演奏が布袋じゃなくてもちゃんとBOOWYだ」と思ってしまったのかもしれない。そして同時に「でもこれは氷室で、BOOWYじゃない」と気づいてから「そもそも、もうBOOWYじゃない」と、やっと呪縛から解かれたわけだ。おそらく。
 あ、思い出した。
 決定的だったのは、氷室・布袋とも東芝EMI所属で、2000年代当時に横行してしまった「CCCD」なる害悪仕様を、両者とも受け入れてリリースしていたからだ。
 それで「こいつら、アーティストなんかじゃねぇ」と一気に醒めたのが、決定打であった。チャンチャン。

……でも。
 もしも、どちらかだけを聴くという選択になったら――迷わず氷室を選ぶと思う。
 それだけは、はっきりしている。だって「BOOWYの声」だもん。

 そんなわけで、氷室のCDを実家に置いたまま、現在の住まいに持ってきていないことを惜しく思った現在。なんかすごく『Memories Of Blue』が聴きたいぞ、今。あれ夏に聴くといいんだよねー……。
 あ、ついでに布袋も。

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