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悟れない坊主、マイケル・キスク


 それにしても、マイケル・キスクである。
 何がって、未だに「ハロウィンのイメージ」が。
 というのも、本当にキスク脱退で離れてしまった(もと)ハロウィン・ファンは多いのだ。というより『守護神伝』ファンが。残ったファンも未だに現在のハロウィンに文句をつけていたりする。じゃあ聴くなよ、と言いたくなるぐらいに。
 なぜなら、そこには「ハロウィン=キスク=守護神伝」という、初期ファン暗黙の了解がある。「ハロウィンが好き」と自称する人の7割以上はこの法則にヒットするので、もはや黄金の法則に等しい。それだけインパクトが強いということでもあり、みんなそこで追うのをやめたという証拠でもある。
 そのように、ハロウィンは10枚以上のアルバムをリリースしているのに、いまだに最初期の2・3枚めのアルバムが幅を利かせている。何その異常事態。キング・クリムゾンを『宮殿』だけで語る人みたい、と例示すれば知ってる方にはわかると思うが、みんな「そこで止まっている」のだ。
 この「ハロウィン=キスク=守護神伝」という認識はファンだけではなく、ファンの意見がフィードバックされるバンドにとってもだった。だからこそアンディ時代になってからも『守護神伝 -新章-』なんていう「禊」みたいなアルバムも作られた。残念ながら本家『守護神伝』と違い、メタル名盤みたいなセレクトにも選ばれないが。
 しかし、だ。
 その重圧を一心に背負ったのは、バンド自身ではなかった。誰あろう、看板ヴォーカリストであったマイケル・キスクだった。脱退しても何やっても現在に至るまで、ずーっと。
 キスクの呪縛にして「どうしても悟れない悲劇」は『守護神伝』から始まったわけだ。鎮まれ守護神、ナムアミダブツ。

 とにかく、当時のマイケル・キスクは大人気だった。
 カイ・ハンセンの「魔女みたいな」ヴォーカルではない、伸びに伸びるハイ・トーン・ヴォイス。18歳の若さに金色の長髪。ムサ男ばっかりだった当時のメタル界の中では、おそらく顔もハンサム(←当時表現および当時価値観)な部類。それまで男ファンばかりだったハロウィンに、一気にキスク目当ての女性ファンが増えた。
 しかも日本ではデビュー作が『守護神伝』。カイ時代の作品は人気爆発後に遅れてリリースされた。そのため日本では最初から女性ファンも飛びつき、一気に人気バンドの仲間入りを果たした。
 その人気は楽曲にも反映。わざわざ過去曲から「スターライト」「ヴィクティム・オブ・フェイト」の2曲がシングルのカップリング用に「再録音」されるほどだった。ライヴ盤でも「ハウ・メニー・ティアーズ」を熱唱し、原曲を越えるデキを見せている。これらのせいで、他の曲もやってくれないかとファンは渇望した。「ライド・ザ・スカイ」とか「ジューダス」とか。なるほどこの時点でファンの「懐古主義」は始まっていたのだな。
 バンドは順風満帆かのように見えたが、カイ・ハンセンの脱退、続くアルバム『ピンク・バブルズ・ゴー・エイプ』での移籍トラブルから、歯車が狂い始める。キスクは作曲面やバンドの方向性で自我が強くなり、一気にバンドの中心者になった。そのエゴが剥き出しになったのが『カメレオン』であることは他の項で書き記してきた通り。
 おかげでのちに、当時のギタリスト(ローランド・グラポウ)に「ミスター・エゴ」と皮肉られた曲まで書かれる始末。書いた本人は永久追放を食らい、キスクは逆にカムバックするわけですが。

 キスクの「守護神」は、彼をどう動かしたか?
 同時に、そのピーク度を( )内に最大10で表現しましょう。だいたい。

1987年 『守護神伝 パート1』で華々しくデビュー(8/10)
1988年 『守護神伝 パート2』でいきなり絶頂期(10/10)
1992年 『ピンク・バブルズ・ゴー・エイプ』でいきなり苦境(4/10)
1993年 『カメレオン』で大惨敗、戦犯扱いで解雇(2/10)
1994年 ハロウィンに残ったローランドに「Mr.EGO」で皮肉られる(1/10)
1996年 ソロ『インスタント・クラリティ』で見返す(5/10)
1999年 セカンド『R.T.S (Readiness To Sacrifice) 』発表、ファン離れる(3/10)
2001年 「アヴァンタジア」に細々と参加(2/10)
この頃からゲスト参加多数、特に2003年、マスタープランに参加してローランドと仲直り(ちゃっかり)
2004年 スーパレッド『スーパレッド』発表するも惨敗(1/10)
2004年 ハード・ロックからの引退宣言、もはや「過去の人」になる(0/10)
2005年 プラス・ヴァンドーム結成、一部で話題に(4/10)
2006年 サード『キスク』発表、辛抱強いファン喜ぶ(5/10)
2008年 ハロウィン時代のセルフ・カヴァー『パスト・イン・ディファレント・ウェイズ』で呆れられる(4/10)
2009年 ユニソニック結成、のちにカイ・ハンセン合流(6/10)
2012~2014年 ユニソニックで2枚のアルバム発表(7/10)
2016年 「パンプキン・ユナイテッド」で現ハロウィンと合流(8/10)
2020年 ワールド・ツアー大成功中に新作レコーディング(9/10)

……ふむ。
 こうして冷静に見ると、やはりハロウィンそのものより、「『守護神伝』とカイ・ハンセン」に踊らされてるんだなぁ。うむうむ。
 何が一番不幸かって、この人、何より「ファンに期待されたこと」が不幸なのだ。
 メタル以外のことをやりたいと言っても聞いてもらえず、そのうえで『カメレオン』を出したのに「メタルじゃない」と言われ、好きにやれるはずのソロでも「メタルじゃない」連呼。つまり「ハロウィンじゃない」の嵐。メタルやらないって言って、ハロウィンも離れたのに。ううむ。
 それでもカイが参加したファースト『インスタント・クラリティ』の評判は上々だった。少なくとも期待度が高かった『カメレオン』のファンがっくり度より、辛抱強くソロまで着いていったファンは満足した感じがある。毎度のことわざわざ買ってわざわざ文句つけるハロウィン・ファンも多かったわけだが。
 そんな古参ファンをふるいにかけたのが、セカンド『R.T.S』だった。音は遠慮ゼロで完全自分好み、投げ槍気味に「どうせ歌詞なんて読まないだろ?」と半分ぐらいしか掲載せず。もう誰も信じられずアートワークまで自分で手がけ、意味不明な暗闇ダルマが描かれたジャケットになった。さながら当時のキスク自身の心境を表しているようだ。
 ここでハロウィンの古参ファンは完全に離れ、文句も言われなくなったわけだが、残念なことには「キスクを追ってきたファン」の多くまで離してしまった。人間誰しも、クサクサ腐ってる人には近づきたくなくなるものだ。
 それでも集まってくれた旧友たちと「スーパレッド」というバンドを結成するも、友人の「キスクくんを励ます会」に終わって作品クオリティは素人同然。しかもキスクの武器であるハイ・トーン・ヴォイスも加齢で陰りを見せ始めた。そのうえ久しぶりに見せた姿が「太ってスキンヘッド」になっていた驚愕といったら!
 もちろんメディアや自称ファン、さらに本当のファンからも大バッシングの大惨敗。キャリア最低の評価をいただき、イヤになったキスクはとうとう「もうメタルなんかしない」と槇原敬之状態になってしまった。つまりそれは「なんて言わないよ絶対」にひるがえるんだけど。
 この「メタルやめます宣言」が彼を完全に「過去の人」にした。ファンは離れ、ここで追うのをやめた人は数知れず。だからその後のプラス・ヴァンドームやソロを知らない人も多い。急にユニソニックかユナイテッドに飛んでる人が。だからいきなりハゲててびっくりしたことだろう。追っていてもスーパレッドのジャケでビビッたけど。
 つまり「キスク・ファン」はやっぱり「ハイ・トーン・ヴォイスでメタルを歌うハロウィンみたいな音楽のファン」だったわけだ。これを「守護神厨」とでも呼ぼうか。
 結局「ハロウィンのキスク」ばかり求められているわけで、これはキスク自身、痛いほど感じていたことだろう。だってメタルじゃないって言ってるのに『カメレオン』は酷評されるし、メタルやらないって言って出したのにソロもメタルを期待され、インタヴューでも漏れなく「メタル歌わないんですか。ファンは期待してます」と言われるんだもの。みんなキスクが言ってることを聞かず、勝手な期待ばっかりして、わざわざ文句を言う。そりゃメタル決別宣言もしたくなるよね。
 すべて、基準はスタート地点の『守護神伝』。これじゃ守護神じゃなくて疫病神である。ああ。

 ところで一方の本家ハロウィンはというと、アンディ加入から新規ファンが一気に増えたので、キスク脱退もどこ吹く風だった。
 キスクから入った女性ファンも多かったが、アンディから入った女性ファンはその数十倍(当社比)。おかげで『マスター・オブ・ザ・リングス』ツアーの来日公演、あまりに女性が多くてびっくりしたのはライヴ初体験の僕である。年代的に、ちょうどキスクが見れなかったのだよ。
 そこからの新規ファンもキスクの幻影にとらわれず、かの『守護神伝』さえ、むしろ純粋なバンドの過去として聴く余裕があった。さながらキスクから入ってカイ時代の『ウォールズ・オブ・ジェリコ』を聴き直すように。だからアンディから入ったファンは、けっこう長くファンでいる。何事も後追いのほうが冷静に見られるし体験できるんだよね。
 でも縛られてるのはキスク時代のファン。初心者にハロウィンのことを教える際、ほぼ必ず「昔は声が高いヴォーカルがいて……」と語ってしまう哀しいサガ。
 守護神に縛られていたのはハロウィンでもなく、キスクと当時のファンだったわけだ。終わりなき「疫病神伝」。

 メタル・シーンに忘れ去られた頃のキスクは、かといってロック・シーンに歓迎されるわけでもなく、細々と複数のバンドへのゲスト参加をくりかえしていた。ソロ作もひっそりと2枚出している。
 そのうちに、キスクを不憫に思ったレコード会社の提案で、アンディ・デリスが在籍していたバンドであるピンク・クリーム69のメンバー、デニス・ワードと共にプロジェクト「プラス・ヴァンドーム」を結成。AOR風サウンドがリリースを重ねるたびにメタルに近づいていき、少しずつキスクをシーンへ復帰させていった。
 この頃のインタヴューで、キスクはシーンへのカムバックを匂わせる発言をしている。
「僕に『ヘヴィ・メタルを歌わなければいけない』と言うファンには納得できないが、ヘヴィ・メタルを『歌ってほしい』という意見自体を否定するつもりはないんだ」
 これはつまり、ゲスト参加やプラス・ヴァンドームをして「やっていくうちに楽しくなってきました。戻れるならメタル・シーンに戻ります」とカッコつけて発言したものだろう。今にして思えば。
 だってゲスト参加をお願いするバンドも、ほぼ「ハイ・トーン・ヴォイスのキスクくん」を求めているんだもの。そして応えているんだもの。ファンの要求にはプライドが許さないけど、生活のかかったカネの要求には逆らえないということだろうか。さすが合理主義・ご都合主義のドイツ人(←前にも言った)。
 プラス・ヴァンドームからの縁でユニソニック結成に至り、やがてカイ・ハンセンが合流。そしてハロウィンに復帰という「見えない縁」が重なっていったのはキスク最大の幸運である。まるで映画『スター・ウォーズ』のように、ひとつでも要素が欠けるとそこまで辿り着けない、奇跡じみた展開である。もはやアンディのハロウィンへの加入も、キスクのシーン復帰もきっかけを作ってくれたピンク・クリーム69には感謝しかない。たぶんキスクはしてないだろうけど。
 ついでに2010年、2014年にアマンダ・サマーヴィルというスケベ姉ちゃん(←偏見)と組んだユニット「キスク/サマーヴィル」名義で2作を制作。そういう息抜きもちゃんとしている。
 そうして2016年。めでたくキスクはハロウィンへの「帰還」を果たした。
 現在レコーディング中であるという新作が、どのようになるか。期間限定での復帰とのことだが、そのあとの活動はどうするのか。見守りたいところである。

――でもね。
 前述の文章中でサラッと飛ばしたけど、実はキスクの本懐は「ひっそりと出されたソロ2枚」に現れていると思うのだよ。
 それはサード・アルバム『キスク』と、ハロウィン時代のセルフ・カヴァー『パスト・イン・ディファレント・ウェイズ』。
 前者はスーパレッドで大失敗したのち「もうメタルなんてしない」と宣言してからの制作。つまり「もう既存ファンも離れて、本当にやりたかった音楽ができた」アルバムなのだ。
 完成度としても随一で、アコースティック主体に振り切った結果、ピュアで洗練されたサウンドを展開できている。「人間マイケル・キスク」を表現した、完成度云々より実に「きれいな」作品となった。
 それをもって腑に落ちたのか、それとも思うところあったのか。ようやく過去を振り返ってのセルフ・カヴァーをリリース。こちらもアコースティック主体なので、むしろ「俺はこういう音楽にしたかったのに、ハロウィンというバンドだからできなかった」という未練かもしれない。
 一応そのトラックリストを書き出しておくが……ローランドのセルフ・カヴァーといい、かえすがえすも「ハロウィンは即ち、マイケル・ヴァイカートである」と感じさせる楽曲群だ。キスクもローランドも「ハロウィン時代、つまんないと言われた部分」を改めて拡大しているのだよね。

01 You Always Walk Alone
02 We Got the Right
03 I Believe
04 Longing
05 Your Turn
06 Kids of the Century
07 In the Night
08 Going Home
09 Little Time
10 When the Sinner
11 Different Ways
12 How The Web Was Woven (日本盤ボーナス・トラック)

 新曲1曲とプレスリーのカヴァーを1曲、入れているのはキスクの意地だろう。でもずっと追ってきたファンにとっては「キスク、ハロウィンに未練あるってよ。」を証明したアルバムであることに間違いない。
 だがそうした未練のおかげで、キスクはシーンに本格復帰。ほどなくハロウィンに合流できたのだから、この2作の存在意義は大きい。
 もしも真っ白になった『キスク』がなければ欲は出ず、続く『パスト・イン・ディファレント・ウェイズ』がなければハロウィン復帰の希望もなかっただろう。
 頑固に『R.T.S』のまま立ち止まっていたら、きっと何度も同じような中途半端作ばかりリリースしていただろう。それこそ「Return To SupaRed」だったに違いない。おおR.T.S!(←上手いこと言ったと思っている)

 気づけばキスクはどっしりと太り、金色の長髪もなくなり、もはや坊主も同然のルックスになっていた。
 しかし坊さんと違うのは、坊主頭になっても体躯に貫禄がついても、いつまでも「悟れない」ということ。
 それこそ修行僧が煩悩と戦うように、キスクは過去と戦ってきた。楽曲「守護神伝」に代表される過去の怨霊をバンド時代は「アイ・ビリーヴ」で払拭しようとし、ソロに転じてからは過去を捨てることで前進しようとし、ソロ2作めでは前進のためにファンをも捨て、気づけば自分がシーンに捨てられていた。
 そこで潔く自分をさらけ出した『キスク』で心の浄化を済ませ、セルフ・カヴァーで過去の怨霊と対峙。払拭できないことだけは悟って、シーンに復帰した。
 もしキスクが悟りきった潔い人間だったら、『キスク』路線のままフォーク詩人にでもなっていたのじゃないだろうか。「道に迷ってアコギ弾く」はヴォーカリストの常であるが、そのまま裸の自分を大切にして、シーンから消えてしまう人も多い。
 ただそういう「アコギ迷子」と違うのは、キスクには「過去を望むファン」が根強くいたこと。これは好きになったものをいつまでも好きでいてくれる、メタル畑ならではの恩恵である。キスクはそれに気づいた。そして素直に、かつドイツ人ならではの合理性で、それに「あやかった」。そう考えるとキスクってけっこう潔いかもしれない。
 悟れない坊主、マイケル・キスク。
 むしろ悟らなくて、よかったね。

 おしまいに。
 喩え話になるんですがね。

 会社に新風を巻き起こし
 その勢いで新しい指針を打ち出したが、失敗
 しかし失敗を認めず、そのまま路線強行
 結果的に大失敗となり、責任を問われる
 退社して起業したものの、うまくいかず
 常にずっと前の会社への恨みを愚痴っている
 でもOB会に呼ばれたらホイホイ参加
「いい仕事あるよ」と誘われて乗っかる

……いるよね、そういう人。
 つまり人間マイケル・キスクってば、そんな人だったのである。シーンとファンが持ち上げすぎちゃっただけで。
 でもね。そんなキスクに「おかえり」が言えたのは、みんな同じく嬉しいよ!(←フォローになってるだろうかコレ)

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