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拝啓、櫻井敦司様。


 このような手紙を書くことになるとは思いませんでした。きっとあなたは、永遠に生き続けるに違いないという勝手な思い込み、それが確信となってなぜか私の中に常に、住み込んでいました。
 男から男へ送る「love letter」のようで気恥ずかしくもありますが、それ以上に、喪失感が拭えません。報せから1週間が過ぎても、未だに実感がなく、実感を得ようとすると「この声の持ち主が、すでにこの世界から旅立ってしまった」という事実を受け入れられず、涙が溢れようとします。特に初報から三日三晩は、ひたすら無気力のカタマリとなり、部屋にこもって人知れず泣くこと以外に何もできませんでした。
 なんで、あっちゃんなんだよ。
 世界にはもっと、連れていってもいいぐらいの人がいます。でもその人たちが未だにピンピンしているのに、世界はどうしてあっちゃんを選んだのか。どんなルールで動いているのか。その指示役は誰なのか。神がいるとしたら、詰問したい。でもそんなこと言ったら、あなたは「生命は平等なんじゃないですか?」とか微笑むでしょう。
 だけどどうして、あっちゃんが逝かなければならないのか。
 世を去る最後の最後まで、恰好よすぎる、猫好きで気配りがあって紳士的で声高らかでなく平和を願う、まるで自分の理想の男性像のような、あっちゃんが。
 
 思えば、私の人生は、常にあなたとBUCK-TICKと共にありました。これから自分の話が多くなることを、お許しください。
 私は高校生の頃、遅まきながらロックに目醒め、その当時のB-T最新作である『darker than darkness』に打ちのめされました。
 世には耳に入る「がんばれロック」ばかりだと思って馬鹿にしていたのに、何だこの世界は、と。不可解なようで深遠、かつ詩的。今までテレビから流れていた「ロックとか歌謡曲」のイメージが吹き飛びました。
 当然、過去作を買いあさるわけで、中でも『殺シノ調ベ』はやはり何千回聴いたかわかりません。この「実質的な再録ベスト」をもって、B-Tは「ロマンティック」だと思いましたし、それこそが最大の魅力であると感じました。それは今でも変わらず、敬愛する音楽ライター、市川哲史風に言うなら「永遠にループするロマンティシズム」こそがB-Tであると思っています。
 それからB-Tは、常に私の人生のそばにいました。いい時も、よくない時も、普通の時も。
 大学生当時に聴いた『COSMOS』の「人生の森羅万象すべてノイズまみれでも幸せなんだよ感」、『Six/Nine』の「今世ここに混沌極まれり、されど我人生を謳歌す感」、さらには『SEXY STREAM LINER』の「機械的でも絶望的でも最後には救われるんだよ感」。ここらへんが現在の私を作っているのかもしれません実際。
 大学卒業後の初就職から幾多あって実家に帰るまでのひとり暮らしでも、無常でも厭世的にならず快楽的でもいいから自分であり続ける『ONE LIFE, ONE DEATH』、常に夢と現実を隔てる薄く壊れそうなやわい膜を感じる『極東 I LOVE YOU』、暴虐的でいて浪漫的でもある『Mona Lisa OVERDRIVE』をくりかえし聴きました。このあたり、正確には『ONE LIFE, ONE DEATH CUT UP』の「PHYSICAL NEUROSE」から、過去の楽曲を積極的にライヴ演奏して媒体でも発表してくれて嬉しくなりました。B-Tも自分も、過去にとらわれる閉塞感から脱却しているのだな、と。
 私はそこで憂鬱かつ精神的に病んでしまいましたが、『十三階は月光』は沈んだ気持を上げるのではなく下げることで励ましてくれ、『天使のリボルバー』は振り返ることを教えてくれて、『memento mori』で生命の尊さを感じ、私を生き返らせてくれました。
 それから――『RAZZLE DAZZLE』以降は、私の人生は最愛の人を見つけたきっかけで急速に落ち着いていき、実質的に聴き込む時間も減っていき、それでも聴き続け、やがて「人生のBGM」となっていきました。孤高を気取る孤独ではなくなり、引っ越しの際にはまずBUCK-TICKのCDを荷造りして転居しました。
 そのうちに子供が産まれ、肉親が他界し、「JUPITER」ほかの楽曲の深遠さに触れ、それでも新作が出るたびあっちゃんの詩世界とB-Tの演奏で歓喜や涙を増幅させていただいたものです。まるで「俺たちは元気だよ」と伝えてくれる手紙のように、2年ほどで届く新しい音に胸躍らせていました。
 それがまさか、いま、終わってしまうとは。
 私の人生には、常に、BUCK-TICKと櫻井敦司の声がありました。ごくごく自然に。たとえば妻と会話の流れで「芸能人で会いたい人は誰?」と訊かれた際、私は考えもせず「BUCK-TICKの櫻井敦司」と答えていました。虚を突かれた質問だったので、自分でも意外なほどに。
 会いたかったなぁ。こんなに好きなのに、ライヴも結局1回しか行けてなかったなぁ。
 いつまでも、生きていると思っていたんだよなぁ……勝手に。
 
 私の音楽観を作ってくれたのは、間違いなくBUCK-TICKです。いちジャンルに縛られず、しかし確固たる自分を持って、揺らぎなく前進するその姿に、憧れと勝手な親近感を抱いて人生のBGMとしていました。B-Tさえ聴けばプログレだろうが衝撃にはなりませんでした。個人感ですが。
 だってB-Tはジャンルがない。とかくライターは利便性で「ヴィジュアル系の草分け」と書くけども、知っている人はB-Tが正確にはV系でないことは知っている。あくまで「お化粧系」「耽美系」だと。奇しくも2か月前に旅立ったISSAY兄貴率いるDER ZIBETと同じで、ね。愛しまくったSOFT BALLETも、BUCK-TICKがなければ出会えてなかった。グニュウツール、というかソロでギターを弾いてくれたジェイクもそう。他にもたくさん。
 デビュー時のねじ曲がったビート・ポップから暗黒路線、テクノを導入した前進性、ドラムンベース、ヘヴィ・ロック……「BUCK-TICKという芯」がある限り、変幻自在でしたね。
 でもあなたの逝去を知って、まず聴いたのはあなたのソロ作『愛の惑星』でした。そこにこそ、あなたのパーソネルがあるような気がして。
 なのにあなたは、なぜなんだろうなぁ。ソロなのに「人に気を遣って」るんだなぁ。参加メンバーの演奏を引き立てて、最大限に自分を発揮したように感じない。だってまぁバンド全体がソロ活動期になって「そろそろ、やっておきますか」だったしねぇ。それでもシングルのカップリングで自分のリスペクトする諸楽曲をカヴァーしたことに、ソロゆえのありがたみも感じました。勝手ながらソロ作は、今はライヴ音源と一部や全部を合わせて編集するなどして、個人的にアップデートして楽しんでいます。再発ボックスを買って一瞬聴いた以外は、10年以上聴かなかったことを後悔しました。自分自身を解放しまくったセカンド・ソロも聴いてみたかったなぁ。
 それから聴くものが、すべて「櫻井敦司の置き土産」にきこえてしまうのは、哀しいけど本当なんだよなぁ。「猫」とか、バンドの『ABRACADABRA』の「忘却」がこんなにいい曲だとは知らなかったよ。
 そうして発表された作品群、最後の歌唱曲が「名も無きわたし」。最後にステージで歌ったのが「絶界」。何でまたこんなに「それっぽい」のか。夢なんじゃないか、これは。そうして「ステージで朽ちる」って、どこまで恰好いいんだよ!
 いや本当に、夢であってほしい。あるいは冗談でもいいから。テレビが仕掛けた悪質なジョークで、数日後に「あっちにワインを持っていくの、忘れました」とか言って戻ってきてほしい。ああ、まるでhideの時のよう。彼も未だに「嘘だよ~ん」と言って戻ってきそうな気がしてならない。
 だけど……うん。現実は、まだ受け入れられない。
 だって録音された無数の楽曲が「人間・櫻井敦司」として残っているんだよ。それが膨大な数で、だけどそれをもって「これが全部です」と言われても「いやいや、そんなことないっしょ」と思っちゃうよ。
 
 今井寿の発言、「ずっとあっちゃんの横でギターを弾いていたかった」……これだよね。ファンも、みんな「ずっとあっちゃんの声を聴きたかった」。そして「永遠だと思っていた」。
 ああ、ああ。
 どうして太陽はあっちゃんを連れていったんだろう。どうして月は助けてくれなかったんだろう。
 だけどあっちゃんは、きっと不満には思っていないんだろう。常に全力で、全霊で臨んでいたから。ステージも作品も。
 昨今は市川哲史の追悼コメントにある「面倒くさい自分を諧謔的に楽しんでいる」という世界観がまさに、だった。コンスタントに届く「読みづらい手紙」を読み解くのが、楽しみだった。
「常に最新作が最高傑作」
 これは僕が、勝手に思い込んでいるBUCK-TICK評です。そこにはあなたの、櫻井敦司の声があったからこそ、実現可能でした。
 きっとバンドは「PARADE」のごとくB-Tや櫻井敦司を敬愛する複数のヴォーカルを招いてアルバムなりライヴなりをこなす気がする。それこそが、失望感の最もベターな回避方法でしょう。わかってる。
 でも、わかってる。今井も星野もユータもアニィも。
 櫻井敦司の代わりは、誰にもつとまらないと。
 だから今井発言の「続けるからさ」の真意がどこにあるか、わからないながら安堵するわけだけど、つまりはそういうことなんだと思う。
 
 なのに、ずるいなぁ。あっちゃんは。
 こんなにわちゃわちゃしている下界を見て、ほくそ笑んでいるなんて。ワイン片手に、きっと。「すみませんねぇ……急なことで」みたいに。いやホント、きっとだけど。
 あなたはいつも、そうでしたもんね。バンドの作品性から暗黒魔王のように見られるけど、決して悲観的にならず、新しい音楽性と世界観を求め続け、常に前進していましたものね。
 BUCK-TICKに関しては語りたいことがありすぎて一向に書けていませんでしたが、すべては「大好き」に尽きる。だからいつか、書こうとは思う。もはやあっちゃんの弔いという大義名分もできてしまったので。勝手ながら。
 こんなふうにファンの心を、いなくなっても今でも動かしているよ。あっちゃんは。きっとこれからも、ずっとそうだよ。
 ありがとうね、あっちゃん。
 感謝してもしきれないよ。あなたがいなかったら、僕は音楽それこそを聴いていなかったかもしれないよ。そのぐらい『殺シノ調ベ』の「ORIENTAL LOVE STORY」には感謝しているよ。
 あなたの声が、音楽が、私の人生に色を染めてくれたんだよ。
 
……だから、さ。
 戻ってきてよ。お願い。いつでもいいから。
 お体だけは気をつけてほしかったなぁ。サヨナラなんて言えないよ……。

(2023.12.29追記)
 フェスみたいなゲスト参加はやらなかったね。
 実はそっちかとも思ってました。後出しジャンケンみたいだけど、一回書いてシメちゃったので。いやむしろ「歌なしの演奏だけにして、櫻井敦司不在をまざまざと見せつける」可能性もあるかと思っていたんですわ。
 でも「5人でBUCK-TICK」だね……やっぱり。
 今後の活動に、まだまだ期待しますよ。それこそ「AI櫻井敦司」だとしても。

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