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【藤井麻輝 = SOFT BALLET説】

 さて。
 SOFT BALLET(ソフトバレエ、以下ソフバ)を各人ずつ語ってみて、いよいよトリは「破壊こそ我が人生」藤井麻輝の順番となった。なってしまった。最大の問題児の順番に。
 しかもとんでもないタイトルで書き始めるという、前代未聞のスタートである。大丈夫かこのお題。
 
 では、意を決して宣言しよう。
「SOFT BALLETとは、即ち藤井麻輝である」
 
 そもさん、ソフバは「宇宙野郎」遠藤遼一と、「クネクネ踊る金髪」森岡賢、そして「破壊こそ我が人生」藤井麻輝という個性が強すぎる3人が、たまたま奇跡的に合致したトリオである。この「たまたま奇跡的に合致」がキモで、3人とも本来は交じり合うはずもないほどに強い個性の持ち主だったのだ。
 本当はドアーズ好きのサイケ宇宙野郎、
 ダンス音楽とJAPANが大好きな踊る金髪、
 ノイズやインダストリアルなど非音楽を好む破壊者、
……こんな奴らが、普通は一緒に音楽をやるはずがない。やれるはずがない。
 ところが遠藤は作詞できるが作曲ができず、森岡は作曲センスがあるのにひとりで完成できず、藤井は歌詞の意味を必要としなかった。三者三様。
 だからこそ、お互いを補い合うようにソフバは融合できていた。フロントに立つ遠藤と目立つ森岡がおそらくソフバのパブリック・イメージなのだろうが、それでは「音」はどうかというと、圧倒的に印象は森岡のメロディである。藤井の楽曲は明るくなく、(叫びはするが)めったに歌わないため、はっきり言ってファンでもないと藤井の印象はゼロに等しい。
 しかし、だ。
 ファンであればあるほど、藤井なくしてソフバが成立しないことも、わかってくるのだ。
 
 たとえば初期。森岡の楽曲がアルバムの大半を占めていた時期でも、藤井は「ひとりで決められない森岡」を全面的にバックアップし、細部を作って楽曲を完成に導いた。3人のソロ楽曲を収録するコンセプトのミニ・アルバム『3 (drai)』では、作曲できない遠藤の補佐に回った。自身の楽曲では徹底的なまでの作り込みを見せた。
 中期になると藤井の楽曲個性も確立し、逆に刺激を受けた森岡がダークな曲を書くこともあった。そこでも森岡は楽曲イメージに長けており、藤井は構築に長けていた。
 後期の藤井は2人を立てるような立ち位置を好み、合作でも未完成部分の補完を主におこなっていた。そして藤井は3人のバランスを気にしており、あえて3人とも顔を合わせて会議しないようにしていたのだが――『FORM』でそれをせざるを得なくなり、とうとう「解散」を選ぶことになった。
 最も解散を恐れており、避けていたのは藤井だった。遠藤・森岡はソロでやる自信に満ちていたが、常に裏方に徹していた藤井は、自分が「主役」になれないことを理解していた。
 だからこそソフバ解散(正確には活動停止)後、藤井はリミックス・ワークを多く手がけ、自身では「She Shell」や「睡蓮 (SUILEN) 」のように女性ヴォーカルをフロントに立て、自分は裏方に回り続けた。
 ほどなくしてソロ・セールスの限界を迎えた遠藤・森岡と合流。最後の最後までソフバ再始動を拒んだ藤井だったが「SOFT BALLETに決着をつける」意味合いで合意した。ふたたび比類なき作り込みで徹底的な構築と破壊を施し、ソフバ再停止後も裏方に戻った。
 このように原則的に、藤井はあえて主役にならないよう活動しているのだ。
 それはステージでは後方に配置して微動だにせず無表情を保つスタイルにあらわれており、時にはガスマスクを被って顔さえ消した。恥ずかしがりや照れ隠しではなく、自分が主役になれないことを理解しているがゆえのスタンスなのだ。まるでそこに「音しか存在していない」ように。
 現に、ファンもそんな感じに藤井を見ているきらいがある。YouTubeで「LSB」というLUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKが一堂に介した今では考えられないツアーにて、12曲を演奏したソフバの曲間に客席から投げられる「好きなメンバーの名前を呼ぶ歓声」が如実だ。聞いた感覚だけど「8割遠藤、2割森岡、藤井は2回だけ」。いやホントに。「遠藤さーん!」「遼一さーん!」「モリケーン!」「森岡さーん!」はとっても多いのに、「マキー!」は終盤に2回だけ。それを叫んだ貴女に私は会ってみたいぞマジで。
 
 しかし、だ。
 たとえばソフバから藤井が消えたとしたら、ソフバたり得るだろうか?
 一瞬考えただけでわかる。答えはノーだ。そして不思議なことに、遠藤か森岡が欠けても、藤井がいればソフバとして成立するのだ。
 ソロ以降の活動を視野に入れてみよう。遠藤のエンズはどうだろう? 音の感触も何もかも、それこそヴォーカル自体もソフバのそれと違う。「本当はジム・モリソンになりたかった」遠藤のエネルギーが前面に出ているため、たとえ後期のデジタル路線でもっても「まったくソフバにならない」。ヴォーカルなのに、だ。
 一方の森岡はどうか? たしかに音色、というかメロディはソフバそのもの。しかし全体的に音がスカスカで、ややもするとすぐにディスコ・ビートに逃げてソフバのようなデジ・ロック・サウンドにはなり得ない。そこが「ひとりでできないもん!」森岡の限界だったのは前項で語った通り。
 それでは、藤井は?
 藤井は前述のように、ソフバ停止後に「She Shell」「睡蓮 (SUILEN) 」を立ち上げている。サウンド的にはShe Shellは「耽美的かつ幻想的」で、睡蓮は「和とインダストリアル」の要素が強い。そこに共通するのは「ノイズ音も音のひとつとして構築に使用されている」ことだ。
 ノイズ音も音のひとつとして構築に使用されている、
 はい、重要なのでもう一度書きました。そう、これなのだ。
 この「ノイズ音も音のひとつとして構築に使用されている」ことこそが、ソフバをソフバたらしめる重要な要素であったのだ。
 
 初期ソフバは、まず売れなければいけないため、ポップでキャッチーな森岡作曲の楽曲を中心とし、藤井が「その意向に沿って」トリートメントしている。ゆえに藤井の書く曲も「そうしたバンドの意向に沿ったテイスト」が強い。
 ファースト『EARTH BORN』収録の、藤井による4曲を見てみるといい。「HOLOGRAM ROSE」「SPINDLE」「BLACK ICE」はまさにそれで、どちらが書いたかわからないぐらいに「初期ソフバ」している。現にこれらの曲は一定の時期を過ぎるとライヴでのセットからも外された。きっと藤井は「自分の棺桶に入れる曲ではない」(『FORM BOOK』風に)と思っているのだろう。
 唯一、異なるのが「L-MESS」。演奏されるたびに異なったアレンジを施され、ライヴ映像『ARIAKE COLLOSSEUM』で聴ける中期では超弩級のパーカッシヴ・ナンバーになっていたし、コンプリート・ボックス付属のライヴ用音源に収録されていた後期ではノイズまみれの暗黒ナンバーに昇華されていた。こんなに魅力的な楽曲なのに、アルファ時代のシングルB面だったところをメジャーではカップリングの座を「KO・KA・GE・NI」に奪われているのも「デビューしたからまず売らなきゃ」だったことが垣間見える。
 時期によって姿を変え、新しい魅力で生まれ変わる。
 このテイストこそ、中期~後期ソフバのキモではないだろうか。それこそ楽曲だけではなく、作品も、バンド自体も。
 続くセカンド『DOCUMENT』では、何と10曲中6曲が藤井によるもの。
「NO PLEASURE」「MIDARA」「JARO '68」「ESCAPE」「FAITH IS A」「COMA BABY 」……やや小粒な印象があるものの、中期のライヴ常連曲になったものも多い。逆に森岡の書く曲がパッとせず、おかげでアルバム全体の印象がややフラットに感じる。
 この中でも最重要なのが「ESCAPE」だろう。藤井が「意図して売れる曲を作った」と語る曲で、シングル化の際には完全再構築された「ESCAPE -Rebuild-」として生まれ変わった、初期ポップ路線ソフバの傑作曲だ。それこそ森岡の曲かと思うぐらいのポップさで、しかし「パイロットではなく、B-29の機体の歌」というヒネり具合も藤井らしい。当時は珍しかったマキシ・シングルでの発売に、カップリング2曲はアルバム曲のアッパー・ヴァージョンという凝りようも藤井らしかった。
 でも、売れなかった。見事なまでに。
 ショックを受けた藤井は、そこで「売れるための歩み寄り」をキッパリやめる。その後『3 [drai]』で各人のソロ曲を収録することになり、キレイに3人のキャラに沿った楽曲に仕上がった。森岡いわく「僕が海でプカプカ浮かんで遊んでいたら、藤井がどりゃー!って攻めてきて、そこへ遼一が空から降りてくる」。うむむ、言い得て妙。
 そこでの藤井のソロ・ナンバー「MUCH OF MADNESS, MORE OF SIN」はいよいよ「ノイズまみれ曲」のスタートとなり、その後のソフバの音楽性を語るうえでのターニング・ポイントと言えるだろう。なお、バンド曲でも「BACK LASH」は後にリメイクもされたし、ボーナス収録扱いの「GODDESS」のようにライヴや映像ソフトのイントロとなる楽曲も藤井が手がけるようになることも「ソフバ全体の雰囲気」を語るうえでは外せない。
 そして登場した『愛と平和』。
 ここでは「キレイでポップな楽曲を得意としていたはずの森岡」が藤井からの影響を明らかにし、出世曲「EGO DANCE」を作り上げる。この楽曲ならびにアルバムは、ソフバにとっても「弱っちろい美青年が暗黒王子になり、金髪はTV出演で衝撃を呼び、藤井はガスマスクで完全に顔を隠す」大きな転換点となった。アルバムとしても2ヴァージョン収録の「SAND LOWE」を1曲と数え、10曲中森岡・藤井ともに5曲を作曲という、非常にバランスのとれたソフバ最高傑作に仕上がった。ついでに言うならとうとう藤井は作詞にまで着手し、妥協を続けてきた作品に自分ならではの完璧さを求め始めた。
 そこから先は、もはや音楽性について語るまでもないだろう。作曲者バランスを危うく保ったまま、藤井主導の暗黒『ミリオン・ミラーズ』、森岡主導の傑作曲目白押し『INCUBATE』、両者の音楽性が融合した『FORM』……そして1995年の活動停止。
 最も重要なのは「軌道に乗るまでの流れを、そのようにして藤井が作ってきた」ことなのだ。
 
 ソフバ停止後、まず藤井はソロとして「MAKI FUJII ASSEMBLED」名義での『DEVIATION FROM SYSTEM』(1996年)を発表。「NEEDLE」や「SAND LOWE」ほか、ソフバ楽曲を再構築したものだが、もとの楽曲の音をほぼ使わないという「リミックスなのに新作」という奇妙な作品で、オビにも「これは新譜なのか!?」というコピーが打たれていた。よほどのコア・ファンでないと楽しめない内容なので、売れる売れない以前の問題だった。おそらく藤井は、これによって一度ソフバにケリをつけたのだろう。
 その後、リミックス仕事などを経て「She Shell」始動。
 このユニットは正確には、市川哲史プロデュースのJAPANトリビュート・アルバム『LIFE IN TOKYO』(1996年)にて沖縄出身の少女、渡真利愛をヴォーカルに立てて組まれ、「Torrid」名義で「NIGHTPORTER」のカヴァーを発表していた。そこから1999年、She Shellへ改名したのが実態。
 透明感あふれるデビュー・シングル『reep』をリリースするも、すぐに渡が離脱。藤井をして「へへー!とひれ伏してしまう」MIZUという女性がヴォーカルとなり、傑作表題曲を含む『sin』を発表。この「sin」が藤井の集大成とも言えるほどものすごくいい至上の歌モノ曲なのだが、She Shellはここで活動停止。その後も藤井単独の名義として残ったが、実質的には1999年だけで終わってしまった。
 だがこの「女性ヴォーカルと藤井麻輝」という構想が、再始動ソフバを挟んで「睡蓮 (SUILEN)」に発展していく。
 
 前述もしているが2002年の再結成ソフバは、藤井は「SOFT BALLETに決着をつける」ために参加し、ライヴではギターに専念。アルバムでは相変わらずメロディだけの森岡や、作曲もできるようになったがイマイチの遠藤をまとめる役。ワガママな3人のように見えた以前のソフバに比べ、明らかに「ワガママな2人の世話をしている藤井」になっていた。
 構築と破壊の限りを尽くした混沌ソフバは2003年に再停止。森岡が逝去して遠藤が隠遁する現在、再結成は不可能に等しいため、それが実質的な解散となった。
 ついでに言えば1996年に結婚した濱田マリとも、2005年に離婚してしまった。「ノイズと大阪の融合」というとんでもないインパクトの優秀な作品もリリースしていたのだが。
 さらについでに言えば、この時期に藤井は「ボーカロイド」の開発に携わっている。といっても初期モデルの試作テストで曲を作る、といった感じの関与らしいが、新しもの好きかつ「遠藤の生声より女の声、それよりも機械の音が好き」な藤井らしい。遠巻きに言えばhide の最新曲「子 ギャル」は藤井のおかげで世に出た……と言うと過言である。テストに使ったぐらいなんだから。でも言いたくなる。
 
 再始動ソフバが終了するとすぐ、藤井は「睡蓮 (SUILEN)」を始動。
 そのスタートは、ソフバ再始動直前に発表された、zilch(デビュー前に逝去してしまったhideが主導するはずだったインダストリアル・バンド)のアルバム『SKYJIN』にて「SILHOETTES & CIGARETTES」に参加したこと。そこで藤井と組んだヴォーカルが「芍薬」。再始動ソフバを挟んで、芍薬と藤井で睡蓮を本格始動したのだ。
 邪推にはなるけど、もしも再始動ソフバがなかったら藤井はShe Shell名義で3代目ヴォーカリストとして芍薬を迎えていたのかもしれない。また、その構想があるのにソフバに参加せざるを得なくなり、ヤキモキしたことだろう。だからこそ「ソフトバレエをブッ壊す」目的で参加を承諾したわけだな。きっと。いや邪推ですあくまで。
 She Shellでつかんだ「女性ヴォーカルと藤井麻輝」という構想にのっとった睡蓮は、2004年からライヴ活動を始め、2007年~2009年にかけて4枚のアルバム(ミニ・アルバム)を発表。時代を先駆けてiTunesダウンロード限定のリリースもおこない、ライヴを収録した映像ソフトもリリースした……ところで、活動を停めた。
 アニメ『HELLSING』に2曲が採用されたことにより、意外や意外、そっちのフィールドにも藤井の名は知れ渡っていく。少しだけ、ひたひたと、だけども。この当時はBUCK-TICKもアニメ『Trinity Blood』に「ドレス」が採用されたりしたから、アニメ業界は人気や販路が狭まってきた音楽業界の、活路のひとつだったのかもしれないなぁ。
 
 この睡蓮が、おそらく藤井ファンの中では最も評価が高い。
 もとよりフロントに出たがらない藤井は、その代わりに「誰かをプロデュースする」ことが上手だ。ソフバの立ち位置がそうだったのは述べた通りだし、She Shellを経て、再始動ソフバでも同様だった。
 つまり、ワガママな人たちのまとめ役になり、女の娘のプロデュースに活かしたら、再びワガママな人たちの世話を焼くことになった。だからこそ藤井のプロデュース経験値も上がり、睡蓮は評価が高まる構築を実現できたのだろう。もし再始動ソフバがなければ、藤井のプロデュース能力はShe Shellのレベルで止まっていたかもしれない。ワガママな人たちのおかげなんだな、きっと。
 微細まで作り込んだ精緻なトラックと、妖しい天女のような芍薬のヴォーカル。和の世界観とノイズ。She Shellで磨いた歌詞……睡蓮の楽曲はどれも、それらが詰め込まれていた。はっきり言って森岡には逆立ちしても真似できない作り込みとこだわりだ。
 リリースを重ねるたびに完成度は高まり、とても順調に見えていたのに、自然消滅は至極残念。自然と活動停止していたため理由も何も明かされておらず、藤井と芍薬の痴話ゲンカだのと邪推された。
 ちなみに、渡もMIZUも芍薬も、藤井と関わった女性はすべからく、音楽活動から足を洗っている。ついでに濱田マリもすっかり女優業のみ。藤井の完璧すぎる完璧主義に付き合うと、音楽そのものが嫌いになるのだろうか。うむむ。
 
 やがて日本を、未曾有の震災が襲う。かの東日本大震災である。
 その2011年から、藤井は音楽業界を離れて建築関係の仕事に就いて現場仕事に専念していた。
「今やることは音楽じゃない。音楽では、ここは救えない」
 そんな想いから、2013年に退職するまで音楽関係者との連絡をいっさい断ち、それなりの地位に出世するまでの働きようを見せた。決して森岡には逆立ちしても(以下略)
 この時期、無料コンサートやボランティア活動をしたミュージシャンは数多くいたと記憶しているが、藤井のように「会社に就職して現場仕事する」人など、まずいなかった。みんな自分の安定をキープしたまま、できる範囲での人助けをしているに過ぎなかった。
 はっきり言えば、身を挺していなかった。
 これは裏方に徹する藤井ならではの行動なのかもしれない。遠藤や森岡だけでなく、ミュージシャンの中でそんな発想に至る人間がいたかどうか? 自己主張してあたりまえのミュージシャンの中で、他者を立てるためあえて自己主張せず、常に裏方に徹した藤井だからこその決断ではないだろうか。いやマジで。
 その後、特に市川哲史時代に世話になっていた雑誌『音楽と人』の編集長、金光裕史を通じて森岡賢と再会。そして現在も続くユニット「minus(-)」を結成する運びとなるわけだ。それがなかったら今でも音楽との関係を断ち切っていたかもしれない。だって藤井だから。
 
 そうして2014年、森岡&藤井のコンビで「minus(-)」(以下マイナス)結成。
「うわ、ソフバ復活か!?」と世間(というかファン)は色めきたったが、届けられた音楽はBPM高めのディスコ・ビートだった。しかもアイドル「BELLRING少女ハート」をライヴ・ゲストに呼んだり、ソフバを期待した人はさぞガッカリしたことだろう。何だよクラブかよ、と。
 しかし、だ。
 その音をよく聴けば、精緻の限りであることがよくわかる。ただのズッタンズッタンではなく計算されており、ノイズや生音も上手に含まれ、全体のトリートメントが行き渡っている。
 そして、何より森岡がイキイキしている!
 ディスコ・ビートを選んだのは、森岡を立てるためだった。「森岡賢をプロデュースする」ことを目的として、藤井はマイナスを組んだという。やはり自分は決して主役にならないのだ、この男は。
 minus(-)のライヴでは森岡は森岡、藤井は藤井でそれぞれの作曲者がヴォーカルを取る形態をとっていた。しかし声でも身を隠すような藤井のヴォーカルより、圧倒的に森岡のヴォーカルが印象に残る。しかもヴィジュアル面でのインパクトも抜群。やはり森岡は単体ではなく媒介あってこそ輝くのだ。しかも森岡をよく理解している、藤井という媒介でもって。
 マイナスと平行してBUCK-TICKの変態ギタリスト、今井寿とのユニット「SCHAFT」も復活(2015年)。1994年のライヴ映像でもそうだったが、やはり藤井はソフバ時代よろしく「前方より後方に回る」。そこでの主役は華のある今井とヴォーカリストだった。
 本当に藤井は「他者を立てる」ことが似合う。というか上手だ。決して自分が進んでヴォーカルに回ることはこの先もないのだろう。
 そう思っていた。まるで当然のように。
 しかし藤井が、どうしても主役にならざるを得なくなる事情が、まさか待っていようとは……。
 
 2016年6月3日。そんなことが起こるとは露にも思わぬ出来事が起きた。
 森岡賢、心不全にて49歳で急逝――。
 
 その直前、藤井は森岡と喧嘩沙汰になり、小馬鹿にしたメッセージを送って連絡をブロックしたという。その矢先のことだったので、一部のファンから「死因も心不全だし、繊細な森岡のこと、まさか自死ではないか」とさえ勘繰られた。
 藤井の後悔は計り知れない。「人懐っこい犬」と呼び、何だかんだずっと、じゃれ合ってきた仲間だから。
 しかし藤井はマイナスを活動停止せず、実質上ソロ・プロジェクトとして続行。森岡の曲についてもヴォーカルを担当し、映像ソフト『 minus(-) LIVE 2017 ''Dutchman's pipe cactus'' 』としてもリリースされた。ここでの藤井の「仁王立ちのまま、恨みを込めてつぶやくように、鬼の形相でヴォイスを発する」ヴォーカルは空恐ろしいものがあった。さまざまな、複雑な感情が交差していたに違いない。
 森岡をプロデュースし、演出するためのユニットが、自分だけになってしまったのだから。
 否応なく主役になってしまったことへの感情も、そこにはあっただろう。
 だがその後、ほどなくして藤井はまたヴォーカリストを呼んで作品をリリースする。きっと今後は「ゲスト・ヴォーカルと藤井のユニット」として存続するのだろう。
 そして決して、マイナスは消滅しない。
 森岡が存在した場所として、何かの間違いがあって森岡が帰ってきてもいい、その受け皿として。
 
 その作り込み、人脈、姿勢――すべてが「藤井麻輝=SOFT BALLET」であるという証拠になると思う。どうだろう?
 気づけば、遠藤や森岡のような「ソロのディスコグラフィ羅列」をしなかったな今回。だって藤井、いつも主役じゃないんだもの。実質的な「ソロと言えるもの」は、あの謎のソフバ再構築アルバム『DEVIATION FROM SYSTEM』しかないんだもの!
 しかしそんな「最強の裏方」のおかげで、ソフバは最初から最後までソフバたり得た。
 藤井麻輝なくしてソフバなし、
 これは長く彼の世界を楽しんできた、いちファンとしての純粋な感慨である。
 
「SOFT BALLET - 遠藤遼一」は、もはや「SOFT BALLET - 遠藤遼一 & 森岡賢 = 藤井麻輝」になってしまったけれども。
 これからも、ソフバ遺伝子を楽しみにしています。
 どうもありがとう、フジマキ。

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