見出し画像

JAPAN――「服を着た憂鬱」とその仲間たち


 ジャパン。いやJAPANなのか。
 というのも、表記がはっきりしないのだよ、このバンドは。洋楽だと普通はカナひらきされるものの、このバンドにおいては「JAPAN」と銘打たれているケースが実に多い。オビなんかもバンド名をロゴそのまま採用していたりして。それは「日本」を意味するバンド名への敬愛か、はたまたカナで書くと何となく間抜けだからなのか。ヒロミゴーが思い浮かぶ人もいるだろう。
 いちいち「全角/半角」キー押すのが面倒だからカナひらきでいこう。ジャパン。よしそれで。 

 近年になって再評価が進む(と聞いたけどホントかなー?)ジャパンだけど、ひとことで言えば「デヴィッド・シルヴィアンがやっていたバンド」。
 結成時は5人でニューヨーク・ドールズまがいの準パンク・サウンド『果てしなき反抗』でデビューし、レゲエを含むヘンテコなニュー・ウェイヴ丸出しの『苦悩の旋律』まではバンド・サウンドだったものの、急にシーケンスに凝ってディスコテックだったり絶望的に暗い曲に傾倒した『クワイエット・ライフ』を発表。レーベルを移籍して耽美的な世界観を突き詰めた『孤独な影』を発表したのち脱退者が出て4人になり、音楽的に煮詰めて煮詰まりすぎた『錻力の太鼓』をドロップして解散。その10年後に「レイン・トゥリー・クロウ」名義で4人が一瞬だけ再集結した。
……と、ごくごく短く全作を紹介してしまった。早ぇ。
 特に絶望や耽美に傾倒した中期は、日本の「ヴィジュアル系」開祖の一翼を担うBUCK-TICKやSOFT BALLETら「耽美派」のルーツとなっている。つまりは、日本のV系ってば「ジャパン(日本)」が発端だったりするわけで。そのうえV系の大先輩、土屋昌巳はジャパンの準メンバーだ。こりゃ面白い縮図。
 そうした元凶が、デヴィッド・シルヴィアンその人。もはや日本のV系の先祖とも言える。
 そりゃ日本での人気も高いわけである。

 はてさて、そのジャパン。
 初期は「中流階級なのに不満を持ったメンツが集まったことがよくわかる、初期衝動的な」バンド・サウンドなのだけど、つまりはポッと出で本国イギリスでの人気も知名度も皆無だった。だというのに、よく聞く「ビッグ・イン・ジャパン」に、それこそジャパンがなっていく。
 何よりジャパンというバンド名。フランス人形を男性にしたようなシルヴィアンの美貌。弟のスティーヴ・ジャンセンもハンサムで、どこかオリエンタルな雰囲気を放つミック・カーンもギリシャ出身だけあって彫刻のように彫りが深い。その3人に較べるとほか2名(リチャード・バルビエリ、ロブ・ディーン)の人気はイマイチだけども。
 その全員が化粧をしてバッチリ写っている、それこそV系な雰囲気は『ミュージック・ライフ』で数え切れないほどグラビア化され、当時の婦女子の間で人気爆発。アイドル状態になって日本で「だけ」ものすごい人気バンドになってしまった。
 何せそれまでは地元のバーやライヴ・ハウスなど小さなハコでしか演奏していなかったのに、初来日がいきなり武道館。当のシルヴィアンも「あんなに大勢の観客の前で演奏したことはなかったから、足がすくんだよ」と語っている。
 しかしそれが(それこそ『チープ・トリック at 武道館』のような)契機となり、本国イギリスでも注目されるようになる。やがてロブ・ディーンが脱退して音楽的究極を目指し、昇り詰めて解散。その最終作『錻力の太鼓』は、洋楽の名盤特集に必ず顔を出す。そのおかげで聴いたことはなくても「毛沢東のポスターの前で箸でごはんを食べるメガネかけた西洋人」のジャケを見たことはある人、多いはず。
 とにかく『錻力の太鼓』ばかりが評価されてしまうのだけど、当時からのファンの意見や、個人的にも「そうですかねぇ?」だったりする。というのも、たしかに傑作だよ。でも「ジャパンらしくない」し、何より「ジャパンがそれをやる必要性を感じない」のだよ。解散が決定してそれまでの苦悩や懊悩から解き放たれて、何となく中国に思いを馳せたり、何となく水上生活のことを考えてみたり、何となく「今までの自分は亡霊だなー」とぼんやりしてみたり。音楽的には高いのだけど、どこか「芯」がなくなってしまった。表現のというか、シルヴィアンのというか。
 そしてシルヴィアンはサウンドの要だったミック・カーンと揉め、ジャパンは解散の道へ。メンバーの交流はあったものの、肝心のシルヴィアンがカーンほかメンバーとの交流を「完全拒否」。弟のジャンセンさえも。どんどん仙人の道へ近づいているところにようやく和解してレイン・トゥリー・クロウとして再結成を果たすものの、やはりシルヴィアンが離脱。残った3人は「JBK(ジャンセン/バルビエリ/カーン)」として活動するものの、シルヴィアンは「ミックと演るなら、おまえらとも演らない」という子供状態。そのうちに自分を真似てインスト音楽を作るようになった弟とは交流するようになったものの、その弟とも「ジャンセン=バルビエリ」を組んでいるバルビエリとは疎遠。おかげでバルビエリはプログレ方面にシフトしてポーキュパイン・トゥリーを結成してスティーヴン・ウィルソンという「プログレ界の若き救世主」まで生み出してしまう。のは余談だが。
 そうこうしているうちに、ミック・カーンが2011年に逝去。シルヴィアンとカーンというジャパン二大巨頭が和解することなく、今後の再結成は永久に実現不可になってしまった。大人になったカーンはかつてシルヴィアンとの間に色恋沙汰があったことも気にしなくなっていたのに、頑固なシルヴィアンがゴネているうちに。なんだかminus(-)になっても常にケンカしていたソフトバレエの藤井と森岡のようだ。
 でも実は、シルヴィアンもカーンのアルバムにヴォーカルでゲスト参加したりしてたのだよね。本当は仲直りしたかったのに、意固地になっていたんだろうね。「美学男・デビシル」だから。

 ジャパンの5枚(+レイン・トゥリー・クロウ1枚)のアルバムは、すべて毛色が違う。進化の過程で微妙に被っている部分はあるものの、最終作『錻力の太鼓』だけは完全に別物。はっきり言って浮いている。だもんで、それをして「ジャパンの代表作」と言われると実に歯痒い想いに襲われるのは、全作が好きなファンゆえである。
 その進化過程とメンバーの成長ぶりを、ざっくり見ていこう。

1st『果てしなき反抗』(1978年)
 中流階級のくせに不満だらけで、音楽で鬱憤を晴らしたい素人4人が集まり、しかし知識ゼロなのでメンバー募集したロブ・ディーンにロックの基礎を習いながら完成させた「習作」。ニューヨーク・ドールズやT.REXに憧れて「とりあえずやってみました!」という感が詰まっている。
 そのためギターが中心の「よくある若者バンド」なのだけど、そこかしこにヘンな要素が詰まっている。基礎を知らないカーンのベースは早くもウネウネ鳴り始め、バルビエリはシンセだから好き勝手。シルヴィアンの歌声は「いかにも新人」な弱さと強さと勢いに満ち、ジャンセンはリズム・キープで手一杯。それをディーンの「きちんとロックに則った」ギターがまとめている印象。バンド・サウンドのはずが全然バンドらしくない、主張だらけの音。ディーンがいなかったら壊滅状態である。
 だから初期衝動みたいな熱さは感じるものの、基本的に曲が幼稚。そのうえシルヴィアンの歌詞が無意味に重いし暗い。
 よもやこのアルバムから中期以降のサウンドへと変遷していったことが信じがたい。というほど黒人音楽、それもファンク的な側面が強くフィーチュアされており「自分達の好きな要素をとにかくロックに詰め込んでみました!」という青臭さが漂う。
 だからこそ、実は面白かったりする。型にはまらず、自由に進化するジャパンの雛形になっている作品であり、まだまだ習作段階のクオリティ。何とか形にまとめたのはディーンの功績なのに、自由に進化するため型にはまったディーンがやがて離脱していくのが興味深い。たとえば舞台向けの曲「パレードに雨を降らせないで」をロック化して収録している部分に、それらは如実に出ているのではないでしょうかね。
 そして最終曲「テレヴィジョン」のやりたい放題に、ジャパンがジャパンたるゆえんを強く感じる。ディーンだけ「ちゃんとしている」のも。

2nd『苦悩の旋律』(1978年)
 全作と同じ年にリリースという駆け足ペースでわかるように、全体的な作風はそこまで変わっていない。あいかわらず黒人音楽の要素を採り入れ、レゲエやスカのリズムも多用してニュー・ウェイヴへの接近が見て取れる。
 ところが本作はシルヴィアンの「個人主義」がようやく芽吹いた作品で、それは「熱きローデシア」「郊外ベルリン」などに書かれたドイツへの記述が示している。ここに「異国情緒に想いを馳せ、現実逃避するシルヴィアン」が生まれたわけだ。
 この数年前に彼のヒーローのひとり、デヴィッド・ボウイが『ロウ』『ヒーローズ』でドイツを扱い、ヨーロッパの大陸的厭世観を歌っていたが、それに随従するかのようにシルヴィアンもドイツに想いを馳せたことになる。しかし決定的に違うのは、ボウイのそれがヨーロッパの厭世観を表現手段として用いたのに対し、シルヴィアンのそれは自己否定と自己肯定のための表現手段として用いられたことだ。
 だって広大なスケールや重いテーマの曲をやるようになったのに、他の曲の歌詞が「僕は気分がロウになる」ですよ。自分のことしか見ていない、それがシルヴィアンでありジャパン。サスガだ。
 重要な部分としては、いよいよカーンのフレットレス・ベースが「変態化」。演奏面でまず頭角を現したのは彼だったのが、看板たるシルヴィアンに追いつけ追い越せなバンド形成を表しているようだ。

3rd『クワイエット・ライフ』(1979年)
 シルヴィアン言うところの「真のジャパンのファースト・アルバム」。その前の2作は、のちの彼の中ではすっかり「なかったこと」になってしまっている。
 急に雰囲気が変わった本作は、ロキシー・ミュージックなどの仕事で著名なジョン・パンターのプロデュースによってようやく彼らの音楽性が咲き出した傑作。その内容はエレ・ポップを主体としてディスコテックなのに、全面的にシルヴィアンの厭世観が支配している。そのため曲だけ聴くとアッパーな曲もあるもののダウナーな曲の比率が飛躍的に増量。歌詞含め、ある種「自殺肯定アルバム」でさえある、絶望的な内容。その鬱病にも似ていながら、しかしどこか儚げなスタンスが、ずっと言ってきている「元祖V系」な魅力を放ち、本作をジャパン諸作の中で最高傑作と評するファンも多い。
 何せ曲や歌詞が「早く隠居したい」「でも僕に恋してほしい」「とにかく絶望」「どうせ流行だから廃れていく」「ずっとハロウィンの中にいるみたいだ」「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの薬物退廃讃歌」「どこにいても異邦人」「早く人生の違う側面に落ちたい」……何なんだこの「ぼっち感」全開の「構ってちゃん」は。
 しかし個人的に、この作品は「ジャパン流『ジギー・スターダスト』」だと思っている。思わせぶりでコンセプト「風」。そして最後の「ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ」が「ロックンロールの自殺者」と重なる。
 ここで頭角を現したのは意外なことにバルビエリ。シンセ・サウンドが全体を調和するようになり、いわゆる「ジャパンらしいサウンド」を形成した。逆に全体をまとめていたはずのディーンのギターが、リズム・キープと少しのソロのための道具になってしまっている。スタジオでは未だにリズム・キープ役のジャンセンも、ライヴではシーケンスのクリック操作をするなど才能を発揮し始めた。
 この後アリオラから離れてヴァージンへ移籍、ようやく本国でも売れてきたジャパンに、面倒を見ていたのに逃げられたアリオラが利益回収のためシングルを乱発。2曲を除く全曲に別ヴァージョンが存在するという、ほぼ「X JAPANの『DALIAH』状態」になった。「ライフ・イン・トウキョウ」ほか同時期のアルバム未収録曲4曲を含め、いくつ異なるヴァージョンが作られたのかわからない。
 それらのほとんどは再発盤ボーナス・トラック、ジャパンのよき理解者・市川哲史プロデュースの『シングルズ』、2021年になって発売された「デラックス・エディション」によって現在でも聴けるようになったというのが、まだ幸い。その多くはエディットだったり拡張版だったり、大きな違いもないことも事実だけど……ファンは、ねぇ。

4th『孤独な影』(1980年)
 ヴァージンに移籍して最初の作品。大手に移って急かされてリリースを急いだものの、そのため逆に前作の路線を踏襲しつつ順調に進化することができた。
 だからこそ全体の構成などが非常に似てはいるものの、前作の路線を煮詰めた内容になっていて、個人的には本作こそジャパンの最高傑作。アップテンポな曲で聴きどころを押さえながらダウナーな曲が増え、世界観は感傷的かつ閉塞的、おまけに最後は異国情緒へ想いを馳せる現実逃避。これぞ「THE JAPAN」である。
 シルヴィアンの自閉的な歌詞のピークであり、ヨーロピアン・モダーン・ミュージックをベースに敷いた中期ジャパン美学の到達点。歌詞が全体的に、タイトルの如く「ポラロイド」的客観視で眺めているものが多いというのが隠れたコンセプトであったりもする。市川哲史によるあだ名「服を着た憂鬱」とはよく言ったものだ。プロデュースは引き続き良き理解者ジョン・パンターで、その甲斐あってようやく本国でも売れてきた。
 逆にデキがよすぎて書くことが少ないのだが(笑)、このアルバムで急にジャンセンのドラムが達者になっていて驚く。まるで別人のように闊達なドラミングと裏までしっかり捉えるリズム・キープ、さらにライヴではクリックと鉄板の土台になった。YMOの高橋幸宏に弟子入りしたので、猛烈に練習したんだろうなぁ……そのため、カーンのベースがより自由にメロディを弾けるという相乗効果も生んでいる。バルビエリはメロディも上手になり、シンセでホーンの音を鳴らしたりと大活躍。ここに「JBK」の比類なき演奏力が完成した。
 一方でディーンはリズム・ギターもシルヴィアンに奪われ、時には本物のサックスも入ってメロディも担えず、どんどん存在感をなくしていく。哀しさあふれるギター主体のインスト「ザ・ウィドウス・オブ・ア・ルーム」を残してバンドから去っていったが、当時はアルバムに収録されなかったというさらなる悲劇(のちに再発盤でボーナス収録)。しかしその雰囲気が実に幻想的かつ幽玄的で、中期ジャパンの雰囲気に合っている。この雰囲気でギタリストとして存在感を出せればよかったのだけど……きっと彼もバンドになじむよう努力したけど、年下のメンバーたちの急成長に遅れをとってしまったのだなぁ。無念。

5th『錻力の太鼓』(1981年)
 そして最終作。ギュンター・グラスの同名小説からシルヴィアンがインスパイアされたイメージをもとに、東洋的なビートを導入……ということになっているが、実際のところはカーンの当時の恋人である日本人女性「フジイ・ユカ」が関係している。彼女は他のメンバーとも親しくなり、交流して「5人めのメンバー」と呼ばれていたとか。何そのヨーコ・オノ状態。そのフジイ・ユカが中国趣味に浸っており、メンバーが感化された作品がこの『錻力の太鼓』。だからギュンター・グラスに着想を得たのに音色がオリエンタルなわけだ。
 だからこそこのアルバムは、ジャパンのディスコグラフィの中で「浮いている」。それまでが論理的に理解できる「進化」だったのに、このアルバムは「突然変異」。通して土着的に、アフリカン・ビートに、であったはずの前作から一転、アルバム全体を隅から隅までオリエンタル・ビートが占拠している。それも東洋というよりはシルヴィアンの若き憧憬であった中国――ファースト収録の「コミュニスト・チャイナ」の歌詞よろしく。より具体的な形でもって、それも幻想破壊という、今までのシルヴィアンからは考えられない自己破壊的かつ前向きな歌詞にした側面が目立つ。またこのアルバムにおけるオリエンタル・ビートとはむしろ中国的イメージのことであり、さらに言い詰めるならば「広東(カントン)」のそれなんだけど、これもシルヴィアンの「思索の逃避」が成せるワザである。つまりこの人、現実逃避を作品にする人なんですわ。いつも。
 だもんで、各人の演奏能力はピークだし曲は濃密だし聴いてておなかいっぱいなんだけど、くりかえし聴く気になれない。「何でコレ?」という思いが強い。違和感のカタマリ。これを作品の質がいいというだけで「ジャパンの最高傑作」と呼んでしまうのはファンとして許しがたい。ええ言っちゃいますよ、許せません。
 だからこれを代表作として平気で載せる雑誌やムックは「ああジャパンのこと何もわかってないんだなぁ」と思ってしまう。悪いけどファンだから。
 もしかして本稿は、それが言いたかったのかもしれない。ファンだからこそ。
 その後カーンとシルヴィアンの間に揉めごとがあり、対立。2年ぶりのツアーなのにセットが気に食わないシルヴィアンがツアーをキャンセルすると言い出し、カーンが猛反発。フジイ・ユカに愚痴をこぼすと「私はデヴィッドのもとへ引っ越すわ」と鞍替えされてしまった。うわぁ。そうしてジャパンは解散の道へまっしぐら。バンドを崩壊させたのが女って、何そのヨーコ(以下、自粛します)

レイン・トゥリー・クロウ『レイン・トゥリー・クロウ』(1991年)
 ディーンを除く4人が再集結し、突然、10年後に発表された「実質的再結成ユニット」唯一のアルバム。
 ジャパンとしての最終作『錻力の太鼓』の延長ではなく、むしろ土着的な『孤独な影』を拡大解釈したようなアルバムになった。しかし当時のヨーロピアン・モダーン・ポップではなく、インプロヴィゼイションに主体を置いた演奏主体のアルバムなので、退屈に感じるかもしれない。ソロを経たシルヴィアンのヴォーカルも「老成」してるし。
 はっきり言って面白くない「イメージ作品」なので、あえなく廃盤。その後も再発したもののまったく話題にならず。しかし後期ジャパンの理解に役立つアイテムであることは間違いない。またソロ活動に転じた4人が、折しもインプロ主体の音楽を共に実践していた頃の会合であるところも興味深いし、これを一度きりの会合としたのもシルヴィアンであること、残る3人はその後も活動を共にしていることなど……さまざまに、興味深い事項が連鎖している。要素としては。
 でも正直、面白くない。せっかく全員が修行して戻ってきたのに、音が「遠慮」しかしていない。以前のようにバンドとして拮抗していない。
 なので個人的には「ジャパンのアルバム」としては取り扱いたくない。しかし「実質的な再結成」であることは間違いないし、後期ジャパンやその後のメンバーへの理解に対する要素としては、やはり必要。
 でも、おもんない。

……というように。
 実はジャパンは「成長の場」だったのだなぁ。最初は経験者であるロブ・ディーンがまとめていたものの、ミック・カーンはベースをメロディ楽器として操り出す。バルビエリはシンセ表現の枠を追求し、スティーヴ・ジャンセンはドラマーとして急成長した視点からインスト曲なども多く制作。「兄より聴きやすい(面白くはないけど)」と評判。成長できなかったディーンだけが去った。
 では、シルヴィアンは?
 実は成長しなかったのは、ディーンだけではない。シルヴィアンもだ。彼はソロ作を重ねて歌唱力こそ上がって『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』でシンガーとしての頂点を迎え、渋い歌手になりかけたものの方向転換。今や「何がやりたいのかサッパリわからないインスト仙人」になってしまった。
 というのも、カーンによる『ミック・カーン自伝』では「デヴィッドのソロ活動は、その時々、彼の中でブームになっていることを反映させただけ」と言及しているらしい。あああ、たしかに。
 カーンも『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイヴ』までは素晴らしいと感じて夢中で聴き、コンサートにも行ったが、それより前からホルガー・シューカイだのラッセル・ミルズだのと組んで「ワケわからないインスト」を乱発。そのため気づけばカーンは買うもののロクに聴かなくなったらしい。あげくロバート・フリップにはデビシルに絶対似合わないキング・クリムゾン加入まで勧められる。それを断ったことだけは誉めよう(←僕はクリムゾン・ファンでもあるけどデビシルには500%無理な仕事だ)。
 それで原点回帰して『デッド・ビーズ・オン・ア・ケイク』という歌モノ傑作を出したが、その後は意味不明のカットアップ盤『ブレミッシュ』に『マナフォン』、意味不明のインスト集の乱発。そりゃカーンも愛想が尽きる。唯一、実弟ジャンセンとバーント・フリードマンと組んだナイン・ホーセスのアルバムだけは傑作だった。これは個人的感慨だが。
「服を着た憂鬱」なんて誰が言った? って市川哲史だけど。ただの「マイブーマー」だったわけだ。頑固でつまらない音楽畑のみうらじゅん。何それ。顔がいいから許されてきたけど、歳とった最近は評価が低いのはそういうことか。
 ジャパンという個性派揃いのバンドでぶつかり合っていたからこそ、優れた楽曲が生まれていたことを実感せざるを得ない。あれだけ特徴的だったメンバーも個人になると小粒だし、シルヴィアンはワガママでつまらない(←いちおーデビシルはソロも全作持ってるファンです私)。再集結したレイン・トゥリー・クロウも、なまじテクが上がっているものだから「大人の遠慮合戦」。むしろJBKの『ビギニング・トゥ・メルト』のほうが音はジャパンっぽかったりする始末。むむむ。

 なので、本稿で言いたかったことがわかってきた(←答えを用意せず漠然と書きながら考えていくヤツ)。

「『錻力の太鼓』を最高傑作だと言うヤツぁ、それまでのアルバム全部聴き直してこい」
「シルヴィアンは『服を着た憂鬱』なんかじゃなくて『服を着たワガママ(マイブーマー)』」
「でも顔がいいから許されていた」

……何というまとめでしょう。
 でもこんなふうに、辛辣とも言える極論を書けるのは、自分が心底からのファンだからだと思っています。
 デヴィッド・シルヴィアンにとってデヴィッド・ボウイにマーク・ボラン、そしてニューヨーク・ドールズのシルヴェイン・シルヴェインがヒーローだったように、僕にとってはシルヴィアンがヒーローなんです。いくら本当に「ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ」に隠遁し、本当に「クワイエット・ライフ」を送る仙人みたいな容貌になっちまったとしても。
(※「デヴィッド・シルヴィアン 現在」で画像検索すると恐ろしい画像が見つかるよ)
 その後日本人と結婚し、土屋昌巳や佐久間正英との縁からバンドを組んだりゲストに来たりと、大の親日家だったカーンがいなくなってしまっても、やはり「日本」というバンド名をつけてくれたグループと、その中心人物は特別なんです。

 ファンは今でも待ってますよ。何かを。いつまでも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?