見出し画像

【須田慎吾『ラムネ時代』によせて】


 はてさて。
 面白い新人がデビューする。名を「須田慎吾(スダ・シンゴ)」という。
 何が面白いって、近年メキメキと知名度を上げている和製プログレ・バンド、金属恵比須の鍵盤奏者(本業はベース)であるミヤジマケンイチ氏が全面プロデュースを手掛けているのだが、それが実に遊び放題。プログレやサイケの血をくすぐるのである。
 その中核に位置する須田のヴォーカルも、さながらソフト・サイケ。その独特の声色が、この世界観を唯一無二のものとする。
「当時の音楽より、当時っぽい」
 不思議だがこれは本当の話である。

 で、その須田慎吾。
 もともとプロデューサーのミヤジマと交流があり、お互いにキング・クリムゾンやピンク・フロイドが大好きという若いのに暗い青春を持つ(←おいおい決めつけんなよ)。
 のちにミヤジマがバンド、Electric Sheepにベーシストとして加入し、その後キーボーディストに転向して金属恵比須へ。ポール・マッカートニーの例を出すまでもなくベース弾きに多い、もともとマルチ演奏者なのだ。
 やがて須田がギターで曲も作って小規模ながらコンサートを開いていると聞いたミヤジマは、須田に音源を聴かせてほしいとお願いする。2020年になって突然、次々とデモ音源が送られてきて、惚れ込んだミヤジマはプロデュースを一手に引き受けることを決める――と。
 そんなわけでレコーディングが始まり、金属恵比須が「改臓人間」としてダミアン浜田陛下に見出されたプロジェクト「Damian Hamada's Creatures (D.H.C.)」や金属恵比須のアルバム『黒い福音』と並行しつつも、無事に完了。ものすげえ密度だなこの活動。
 しかも須田のデビュー作となる今作は、ミヤジマが「個人的には過去最高の手応えを感じた作品」とまで言及している。おお。音楽そのものは聴いていなくても、とにかくすごい自信だ!(←『キン肉マン』風に)

 そのプロデューサー・ミヤジマの自信作、須田慎吾による『ラムネ時代』は、以下の内容になっている。

01 アンドレ・ポップ
02 空がきえたら
03 紙飛行機のうた
04 ハイアニス
05 校舎の翳 (かげ)
06 アインシュタイン
07 ラムネ・デイズ
08 カーレンシー
09 パレード
10 みずいろシエスタ
11 ひかるあさ
12 木立ち
13 夏のまどろみ
14 たゆたひ
15 人魚に会いたい
16 木立ち (エピローグ)
(全作詞作曲:須田慎吾/編曲・補作曲:宮嶋 健一)

ヴォーカル:須田慎吾
ドラム:重本遼大郎
他楽器:ミヤジマケンイチ (=宮嶋健一 金属恵比須、ex.Electric Sheep)
※ゲスト
木下秀幸 (リード・ギター M7)
髙木大地 (キーボード M11、リード・ギター&キーボード M13) from 金属恵比須、ex.内核の波
鈴木和美 (フルート M12 M16) from キクラ テメンシス、ex.内核の波
栗谷秀貴 (ギター M13、ウクレレ M15) from 金属恵比須

……どうだ。どうだと言われても困るだろうけども。
 ゲストとして「金属恵比須」から髙木・栗谷、その髙木が在籍した「内核の波」の派生グループ「キクラ テメンシス」から鈴木といった、恵比須界隈(←地名か)の安心ゲスト。さらにミヤジマ人脈から、幅広い活動を誇る熟練ギタリストの木下秀幸も特別参加。おお。
 主役の須田は、全曲ほぼヴォーカルのみ。全曲のドラムは「小松左京音楽祭」での共演以来となる重本遼大郎。残る(ゲスト以外の)楽器はすべてミヤジマがこなしている。ギターにベースに鍵盤類にメロトロンに……大忙しである。
 そんなふうに、ともすれば「MJさん(愛称)のアルバムじゃないの?」と思われがちな本作であるが、れっきとしたヴォーカル・アルバムであり、どう転んだって主役は「声」。
 その「声」こそが、唯一無二の存在感を放っているのだ。
 アルバムの基本軸は、フォーキーなギターと須田の歌声。そこへ「プログレ的な」音色のギターや音圧高めのベース、シンセサイザー含む各種キーボードにメロトロンが重なっていく。
 つまり中核である須田自身の声と、音の基本となるアコースティック・ギターはプログレというよりフォーク的。あるいはアシッド・フォークな響きで追憶の風景にも似た幽玄の世界を作っている。さながらイタリアの謎のカンタウトーレ、クラウディオ・フッチに似た音色と、空気のように無色透明の声。不思議な感覚になる声だ実に。
 さまざまな音が響いている作品だが、最も特徴的なのはやはり須田の「声」。その透明な声は何色にでも染まれる無色をしていて、空気のようにすべての音を包み込む。そのためどんな音色でも吸収するように「無色化」してしまう。
 思い出してほしい。普通はパレットに絵の具を全色溶かすと、必ず「黒」になってしまう。ところが須田の声は、ギターにベースに鍵盤にドラムといった音が混濁したすべてを「透き通る無色」にする。俺にも透き通る世界が見えたよ煉獄さん!(←おい)
 変な話だけども、プロデューサーのミヤジマ氏とSNS上で会話した際「須田慎吾はラーメンで言うと何か?」と聞かれた。いやほんとヘンな話だけども。それに対して僕は「何味にでも染まれる、手作り麺」と答えた。もはや醤油味や塩味以前に、ラーメンでもつけ麺でもまぜそばでもなく、味もジャンルも染まっていない、これからいくらでも染まれる存在。閑話休題。
 だからこその「無色透明」。今後の可能性がいくらでも感じられる。

 サンプルとして僕は「アンドレ・ポップ」「アインシュタイン」「ラムネ・デイズ」「木立ち」の4曲を聴かせていただいた。どうだ4曲しか聴いてないんだぞこんなことを書いてるのに!(わはは)
 だがその4曲でも、そうした可能性を強く感じる。それは須田慎吾その人の独特な声が、そう思わせるからだ。また策士のミヤジマによるセレクトなので、きっとアルバムの「何かしか重要な部分」を占めていると考えられる(すまんMJさん)。

 それではせっかくだから、具体的に曲の感触を書いてみようか。

「アンドレ・ポップ」
 冒頭からして、デヴィッド・ギルモアを思わせる「ギターの一閃」!
 それこそフロイド作品『モア』のような気だるさに満ち、ハートウォームなアシッド・フォーク。そこへ演奏がかぶさっているような印象。耳につくメロディとやわらかいヴォーカルが、夏の朝やけにも似た空気感を醸し出す。いつの間にかギターはメロディを弾き始め、ギルモアではなくジョージ・ハリスンのようなあたたかい音になって響く。
 曲は一度終わりながら、「8+8+8+7」の変拍子インストになってリプライズされ、フェイド・アウトしていく。この展開がまた憎い。続けて聴きたくなる効果を生んでおり、これを1曲めに配したのはいいチョイスだと感じる。
 で、この曲はMVが制作されている。先行で見せてもらったのだけど、実に90年代風で懐かしくなって「スピッツですかコレは!」と言いたくなるヴィジュアル・ワーク。目立つプロデューサーさんを見つめる表情が実にやさしい須田慎吾の表情が、穏やかでグッとくる。

「アインシュタイン」
 聴いてすぐ「このベース、聴いたことあるぞ(笑)」と気づく。ドアーズの「ウィッシュフル・シンフル」冒頭だったり、フロイドの『ザ・ウォール』、イエスにも近いものがあったような。それを野太くくりかえすことでクリス・スクワイア的に響き、初期イエスのあたたかさに似た雰囲気がにじみ出てくるのが面白い。
 全体的に懐かしい雰囲気で、うろ聞きの歌詞も興味深い。やはりヴォーカルは象徴的で、スピッツの演奏と草野マサムネの声のようだ。つまりは分離しているようで合致している。早く歌詞カード(←昭和の表現)見ながら聴きたいわー。
 最後がやや強引にフェイド・アウトして短く終わるのは、意図的ではないかとも感じる。ライヴでどう化けるかも楽しみだ。

「ラムネ・デイズ」
 比較的長めの曲で、個人的に一番好き。フロイドの「サマー'68」と「デブでよろよろの太陽」をかけあわせ、初期イエスを目指して現代解釈したような楽曲。
 ハードめの演奏が続いて収斂していき、おだやかなヴォーカル・パートに入る展開は夏の夕暮れを感じさせる。そうかアルバム冒頭で夏の朝が明け、時間が経過してここで夜に向かうのか、などと勝手に解釈。
 目に浮かぶ風景は、おまつり。ラムネ。四人囃子のやさしく淋しくうら悲しい側面、特に楽曲「おまつり」にも似た雰囲気。だって「ラムネ時代」だもの。
 なるほどこれが実質的タイトル曲なのは、そうした要素がヴォーカルに寄って引き出せるからなのだな、と納得。言うなれば主張しない森園。演奏を吸い込むミツル。なんと稀有な存在。

「木立ち」
 やさしい。ゲスト参加のフルートがひたすら、やさしい。
 それでもやはり、肝はヴォーカル。声で主張するのではなく、それもひとつの空気として存在している。各種の音を包み込む空気となり、全体を包んでいる。だからこそ、このヴォーカルなわけで。だからこそ、様々なスタイルをとれるわけだ。
 しかもこの曲はアルバム最後にインスト演奏でリプライズされるらしい。素敵じゃないか(←ビーチ・ボーイズ風に)。

……以上、4曲だけでもさまざまな感慨が得られる。
 とにかくいい意味で、歌と演奏が分離している。歌が取り残されているのではなく、独立した歌と演奏それぞれが、同じ空間に同居している。そしてヴォーカルが入った途端、モーセの十戒のように演奏がサーッと開かれていくのだ。おおお。
 そのためヴォーカル以外の余白が実に大きく、演奏が自由。そのサウンド・プロデュースでミヤジマが遊びまくっているような印象さえあるが、このヴォーカルなくしては実現できない。
 ミヤジマいわく「ロマネスコのサード・アルバムに近い感覚で作った」とのことだが、たとえば後藤マスヒロのセカンド・ソロ『INTENTION』でプロデューサーとしての手腕を発揮したミヤジマ。そこから現在に続く経験が実に活きていると痛切に感じる。それを応援していた身としてはハンカチなしでは聴けないぜ。よよよ。
 しかしミヤジマによると「まだまだフロイドっぽい曲やクリムゾン全開の曲もある」とのことで、実に楽しみではないか。この「何色にでも染まれる、どんな演奏も包み込めるヴォーカル」が、どのようにそれを表現するのか!

 たった4曲を聴いただけで、大風呂敷を広げてしまっただろうか。
 いや、そんなことはないだろう。たった4曲でこれだけのことを感じさせる作品が、決して悪く仕上がっているはずがない。
 プログレ好きの方にも、サイケやソフト・ロック好きの方にも、スピッツや歌もの好きの方にも。幅広い層にアプローチできる傑作になっているに違いない!
 そう信じてアルバムの発売を待つとともに、プロデューサーさん(←美少女ゲーム風表現)に対して「MJさんありがとう」と感謝を伝えたい気分であると告げて、この文章をつづる筆を置くことにしよう(←PC入力ですけど)。

――「須田慎吾」。
 この名前を、決してお忘れなく。

(2021.03.02 村瀬 ''KEN'' 健二 a.k.a. KENの生悟り)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?