提灯暗航ライブ前の10の質問

noteの方では、はじめまして。
今回はしぇみさんの「提灯暗航ライブ前の10の質問」という企画? に参加したくて、ついnoteを始めた次第です。
最初はちょちょっと書いて投稿しようとしたんですが、結構文章が長くなったんでね。多分、どっかに書いて貼ると、ぶわぁーっなりそうだったんで、急遽こちらに投稿です。

ってなわけで、最初にちょろっと注意書きを。
私はヒメヒナ大好きで、ファン歴自体は結構長く4年ぐらいなんですけど、考察ガチ勢ではないです。また色々調べてはいるものの、ヒメヒナ世界に関する情報はかなり多岐に渡りかつ、出典も幅広いため、結構取りこぼしもあると思います。(特設サイトや、ツイッター発信の情報などは、知らなかったりすることあります。)
基本的には曲や歌詞カード、MVでの情報を元に、そこに「こうかな?」とか「こうだったら面白いな」みたいな、考察妄想を組み立てるのが私のスタンスです。
それらを考慮して、お楽しみいただけましたら幸いです。

Are you ready??




はい、それでは本題です。
今回は冒頭でも書きました、しぇみさんによる「提灯暗航ライブ前の10の質問」にお答えさせてもらいます。こちらの方、自由に回答させてもらってOKみたいなので、めっちゃ楽しみながら回答させてもらいました。
それではどうぞ。

01.提灯暗航のメインビジュアルがチョウチンアンコウである理由や表現意図は?
※一部ゴゴさんが語った内容まんまなとこもあるかもです。
「提灯」自体は道標としての意味だと思いました。暗い深海の中で、光も差さない闇を照らす明かり。「闇」は「病み」ともかけられるし、ヒメヒナの物語における「闇」と、現実のコロナによる世界情勢の「病み」の、双方を照らす明かりで道標なのかなと。
ただしチョウチンアンコウが発光するのは、そもそも「餌を捕食するため」。この光で餌となる小魚を呼び集め、チョウチンアンコウがその小魚を捕食します。いわばチョウチンアンコウによって、小魚たちは「導かれている」とも「踊らされている」とも取れます。
メインビジュアルが「チョウチンアンコウ」なのは、決してヒメヒナにまつわる世界が肯定的な物ばかりではない。「闇」や「病み」の中で、その道標は人によっては「希望」であり人によっては「死の間際に見る偽りの光」になるのかなと。
 ただヒメヒナは、その道標が意図的に作られた、見方によれば自分たちを利用するためのものであっても、それらを受け入れて生きていく強さを表現しているのだろうなとは思っています。

02.アルバム全体のテーマは?
 「自分の人生の道標を、自分で決める」。「運命の受容」。なのかな……? と。
 今回のアルバムを聞いての印象ですが、結構諦観の色が強いなと感じています。いや、神喰姫とかは運命に抗っている、視点人物の強い意志を感じますし、ヒメヒナが作詞している曲(≒ヒメヒナ世界の描写ではなく、二人の意志)は強い生命力があります。ただゴゴさんが作詞している「www」「棄てられた鉄の王国」「人間界不適合者」「提灯暗航」「閃光花火」辺りは、特に諦観を感じます。
 ヒメヒナの曲は「制限のある世界、導かれる『運命』の中にあっても、自分が思う道を掴み進んでいく」という意思を感じます。しかしこれらも、完全に「世界を否定している」ことはなく、あくまで世界の意志の範囲内での自己選択にすぎません。
 自分の定められた世界で、どう生きるか。自分が生きているということは何なのか。
 それらを考えた時、世界に反発するか、それとも愛して受け入れるかという選択が生れます。
 それゆえに「自分を取り巻く運命(≒世界)を受容』し、その中で「自分の人生の道標を、自分で決める」がテーマなのでしょうか。
 まぁそうなると、神喰姫でパノプティコンを抜け駆けているナイデとロンドはある種イレギュラーであり、今のヒメヒナと相いれない価値観。場合によっては「起こってしまった、
ヒメヒナの二人の行く末Ifルート」的な感じなのかなと思っています。このロンドとナイデの役割については、後述します。

03.花火はどういうことを表していると思う?
 生身の人間の命を端的に表していると思っています。「パッと咲いて、パッと散る」という、有限かつ美しい物としての例え。
 昨今では「機械は永遠ではない(メンテナンスをしないと、動き続けられない)」「ネット上は永続的だけど、永遠ではない(サーバーがダウンしたら、それまでの蓄積は全て消える)」というのは、ある程度共通理解になっているとは思います。
 ただつい最近まで、機械やクラウドは永遠であり、人類がいなくなっても残り続ける、とされている作品は多かったように思います(古典的なSFなどでも、人類が滅亡した世界に動き続けるロボットとかAIとかよく出てきますし)。そこから思ったこととして、「ヒメヒナ世界におけるロボットや永遠を推進していた人も、同じように思っていた(機械やクラウドは永遠)んじゃないかな、と。そしてそれらが今の我々と同じように否定されるタイミングがあり、生身の人間に対してまた重きを置く時代が来たんじゃないか」と考えました。この辺は閃光花火の「永遠はしだれ柳 やがて地に伏しる宿命」という歌詞からも、思ったことです(『永遠』を歌っているのに、それらが終わることを示唆している)。
 それゆえ、生身の人間に人々の意識が重きを置かれるようになったからこそ、「パッと咲いてパッと散る」という、刹那的な美しさが尊ばれるようになってのことなのかなと思いました。
 ただそうして、生身の人間に対する信仰といっても差し支えない思いが人々に伝播すると、ロボット辺りは苦しいんじゃないかな……(「棄てられた鉄の王国」「人間界不適合者」に繋がる?)。

04.月にはどういう意味があると思う?
「月はまるで地球が垂らす提灯みたいね」という部分や、ヒバリのヒメヒナが「一人でも笑って生きるんだ」「一人では生きていけないんだ」と話している(私はこのシーンを、「二人が今のヒメとヒナとして自我を持った最初のシーン」ではないかと考えています)シーンにも月があることなどより。私は月が「今、自身の目の前にある、世界や自分の道標」なのではないかと考えています。
 世界という大きな闇の中で、今見えている道標。でもそれは、チョウチンアンコウが自身の欲望(食欲)のために掲げられた罠かもしれない。けどそれらを踏まえて、知って覚悟をして、それでも手を伸ばし選択をする。
 誰かを無条件に導いたり、助けたり、垂らし、そして無条件に信用できる太陽とは違う。自分自身が疑いながら、それでも闇の中に見つけた道標。それが月の意味なのかなと。

05.ロボットは物語上でどういうことをしていると思う?
 「永遠を求める人間の、第一段階に生み出された存在」だと思っています。私自身が読み込みが浅いため間違いがあるかもですが、多分ヒメヒナ世界には「生身の人間」「ロボット」「琥珀の身体(有機アンドロイド? 神の病理実験体?)」「wwwなどのデータ上の存在」の4種類の人類がある? と思っています。なので

生身の人間は死ぬ! 永遠の身体を手に入れよう!! →ロボット(鉄の身体)
ロボットは壊れる! 人間らしさがない!! →琥珀の身体
琥珀の身体は所詮複製品だ! 今の「人間」が転生すればいい!! →www、幻人へ

となったのかな、と。若干この考察に、ヒトガタの立ち位置とかバチャライはどうなってんねんと言われると、纏めきれてないのでアレですが。
 なのでロボットも、最初は人間の代替であり、永遠を求めるために生まれたんだろうなと。でも「人間の代替」であった期間は凄く短くて、すぐ廃棄されたり壊れたり人間から排除されてしまったんだろうとは思いますね。悲哀……。

06.ロンドやナイデってどういう存在だと思う?
 これに関しては「ロンドとナイデの正体」と「ロンドとナイデの物語上の役割」という、二つの視点から語れるかなと思います。
 ロンドとナイデという人物に関しては
・キャロルの07と11。
・パノプティコンから抜け駆けた。
・二人は愛し合っていたけど、ロンドがナイデを置いていった?
辺りは、ある程度確定情報かな? と思っています。ここから妄想込みで語ると、ロンドから近づいたわりにロンドから捨てたっぽい辺り、何かしらの事情はあったんかな……とは思います。ただ細かい情報は、私の情報収集不足とかもあり分からないことも多しなので今後に期待です。
 そして「ロンドとナイデの物語上の役割」という観点では、上記でもチラッと話題に出したけど「ヒメヒナの二人の行く末Ifルート」という動きをしているなと感じています。
具体的には

[ナイデロンド]
・抜け駆け(運命や世界への反抗。今の自分達の否定)
・別れる(置いてかないでと縋るナイデ、置いていくロンド)
・最初のやり取りが、リフレクション(反射反応)

[ヒメヒナ]
・「心を叫べ!」などなど(今の自分達のあり方に対する肯定)
・二人で生きていく(「一人でも笑って生きていくんだ」と孤独を選ぶヒメ、「一人では生きていけないんだ」と押しとどめるヒナ)
・ボケとツッコミ(双方向的)

最後の所はちょっと無理矢理感がありますが、まぁそういうことです。
ただヒナは「resistance」の歌詞からも、若干世界への反発心は見えなくもないんですよね……。ここを「Vのヒナの考え」と捉えるか、「ヒメヒナ世界のヒナの考え」と取るかは、まだ悩み中です。

07.タイムリープみたいな時間遡行ってあると思う?
 時間遡行自体はないと思います。ただこれは超古代文明的な考え方になりますが「歴史は繰り返す」ということがあり、同じような場面や同じような歴史は繰り返し起きているのでは? と思います。星の記憶は堆積するので、全く新しいことが起きるというより、前にあった出来事が時間を一周してまた起こるというか。
時計を壊して一から始めても、過ぎた時間は存在しており、新たにもう一度始めるだけなんですよね、という感じ。

08~10.について
 ちょっと考えたんですが、情報不足だったり考察不十分だったりするところが多かったので、今回は省略します。CAROLSとMADAMSに関しては謎も多いものの、取っ散らかった考察妄想自体は多少あるので、そのうちしれっとまとめたいですね。
 あと考察妄想じゃないけど、私はCAROLSが凄い好きです。ビジュアルとか雰囲気とか、ヒメヒナ世界における役割も考えるだけでワクワクするし、その割にうたみたの千本桜以来結構はっちゃけてるCAROLSは、心の癒しです。もうこれは妄想ですらない戯言なんですが、楽屋でヒメヒナとCAROLSがどういう距離感で喋って一緒にいかを想像するだけで楽しくなれます。センターで張り切ったCAROLSにお茶とか渡しているんでしょうか。過去に因縁ありそうなヒメヒナとCAROLSとだからこそ、絶妙な距離感で仲良くしてくれてたらなと思います。もう私の中では、ヒメヒナとCAROLSは「本編で因縁だったり複雑な関係性になっていたけど、この現代においては「それはそれ」として、そこそこ蟠りも持ちつつ仲良くしている、現パロみたいな距離感の知人」と思っていますから。正直、CAROLSとヒメヒナが、ただなんとなくみんなでわちゃわちゃしているだけの小話わりと書けそうだし読みたい。

と、私の回答は以上になります。
今回は改めて色んな考察を考え、そして文章化するきっかけになりました。しぇみさん、本当にありがとうございました。

そして改めまして。
ヒメヒナという二人の存在も、またヒメヒナの世界観も、そして勿論音楽やそれにまつわる全てが最高に素敵です。いつも新情報が出る度、Studio LaRa様には、全力で感謝の念を捧げる日々です。ヒメヒナはいいぞ。
それでは、今週末のライブが、最高のステージになることを願って。

若竹和輝

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