悪夢を見た今朝のこと

新店舗に移転してから、もうじき一年が経とうとしていて感情的になっているのか、とても怖い夢を見た。


忘れてしまうのが夢の常なので、もう細かい事はほとんど忘れてしまっているが、ざっと【バンブーを営業できなくなる】という夢をみて、うなされるように今、目覚めた。隣では妻がスヤスヤ眠っている。


なんとか営業を再開するために東奔西走しているのに、色んな障害が立ちはだかってくる。怒っている前店舗の大家さんとか、なぜか親に借金を頼み込んでいる自分もいた。


夢だと分かった瞬間、心の底からほっとした。


いつもの日常が続いていることに、心の底から安堵した。


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事故当日の朝は地獄のようだった。


朝も6時台に常連さん数名から、大家さんから、警察から、色んな方面から早朝に電話が鳴り、隣で寝ていた妻もすぐにケータイを開いて、SNSをチェックしたあと、取り乱して叫んでいる。


「こーちゃん(僕の事)、やられた!

あいつにやられた!」


近々何か(へたしたら殺人とか)やりかねないなと思っていた常連が当時いたので、僕たちはすぐに彼の SNSをチェックしたのである。数時間前に現場近くにいた投稿をアップしていた。多量のアルコールを接種しており、とてもイライラしている旨の投稿だった。


すぐに現場に向かわないといけないのに、昼食を取れないくらい忙しい1日になることは想像できたから、落ち着かせるようにゆっくり、そしてたっぷり朝食をとった。


妻と別々の車で現場に向かった方が事情聴取とかで何かと都合が良さそうだったが、二人とも取り乱していてブルブルと震えるくらいだったので、一台の車でお互いを見張りながら、お互いの精神を支えながら、妻が40キロくらいの低速で車を走らせた。

本当は僕が運転しようと思ったのだが、僕の方が激しく手が震えて、とても運転できる状態じゃなかったのである。

何度も悪夢であってくれと祈ったが、その日の悪夢は覚めなかった。ポエムを書きたいわけでもなくて、本当に何度もそう祈った。しかし、夢は覚めてくれなかった。



現場に近づくに連れ、店方面からは激しい黒煙が上がり、多数の警察の方によって道が封鎖されてるのは、本当に物々しかった。自分の店や、自分に関係する件で国道を封鎖する日が来るとは、夢にも思わなかった。

この日は平成最後の日で、ゴールデンウィークだというのに、雨が降っていて肌寒く、物々しい雨曇と相まって、とても恐ろしかった1日として記憶に焼き付いている。




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事故があった日は、取り乱していた部分もあったと思うが、わりと冷静に状況を俯瞰して見れていた。



すぐに全焼認定されたので、事故日に全額分の保険金がおりることが確定したし、僕のメンタルの強さなら、時間はかかっても必ず再起できると思ったけど、危惧したのは、伊賀・名張では絶望的なくらい貸倉庫がない現状のことである。


それを知っていたから、【場所がなければどーやって再起するねん】【再起できへんやん】っていう絶望が頭の中に渦巻いていた。


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地獄だったのは、事故の翌日からで、夫婦の楽しみだった【バンブーの日常】が一夜にして失われたことだ。


夫婦の会話が、怒り・不安・恐怖の類に変わった。

当面の生活費・仕事・ジムの再起の事、犯人が住まいも燃やすんじゃないかという恐怖。犯人が火に関する投稿を続けている常軌を逸したその行動。(もうその投稿はすべて消されている。僕のケータイには全部スクショしてあるし、警察にも提出してあるが)


色んな苦しみがあったけど、目を閉じていても何も変わらないし、倒れそうなメンタルの中、行動だけは止めずに、ひたすら復帰への希望を追った。

自分のなかでは昨年の5月が、命を削りながら行動した感覚が残っていて、きっと少なからず寿命を縮めてしまった。大袈裟かもしれないけど、とてもしっくりする表現だ。


犯人が放火ではない別件で捕まった昨年5月20日あたりから、色んな事態が良い方向へ転がっていき、また、いつものように笑えるようになっていった。



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色んな縁や偶然もあって、わりとトントン拍子に、そして自分自身、楽しみながら移転オープンの日を迎える事ができた。


この頃には、再起の工程を楽しんでいた故に命を削ったという悲壮感もない。



移転オープンできる嬉しさは、何気ないいつもの日常がまた続いていく嬉しさが大半を占めていた。


売上が良い日も悪い日もあるけど、どの1日も同じような1日がなくて、この日どんなお客さんがきて、どんな会話をしたのかを自分の妻に聞いてもらうことが、僕の一番の幸せな日常だ。


妻もそれを聞いて嬉しそうに微笑んだんだり、問題があったりしたときは、一緒に解決策を考えたりする。




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自分自身が最近、また店があることや再起できたことに当たり前になっていたから、当時の状況を記しておこうと思った。


さっき見た悪夢が、いつもの日常のありがたみを自分にまた教えてくれたのかもしれない。



今いる常連も、事故があった直後のメンバーとは少しずつ面子も変わってきており、店は生き物だなって改めて思う。


メンバーが変わるということは、別れが付いて回るわけだが、何度やってもこの別れは慣れない。慣れるべきでもないだろう。

でも、少しずつメンバーが変わっていっても、 僕のやるべきことは変わらなくて、その時々で、バンブーを選んでくれる常連とクライミングを楽しむ、ということが使命だし、誰かが去ると代わりに誰か新しい人が入るという【新しい風】の真理も知っているから、ブレたりすることは一切ないんだけれども。

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再起した店舗ではお会いできていない方もまだまだ多い。


再起した店舗は、命を削った昨年5月の行動から来るものであるから、僕の店舗を一人でも多くの人に見てもらいたいと強く思っている。




どんな感情や理由が来店を阻んでいるのかは人それぞれかもしれないけど、【がんばって再起したんだから】と当時の悲壮感を一度だけ押し付けさせてほしい。

一度だけでも僕自身の生き様そのものである【新バンブーボルダリング】を見てほしいんだ。


お世話になった現物件のオーナーさんは昨年の年末に容態が急変し、結局、新店舗を見てもらうことができなかったのはとても心残りで、(これは"話がしたいよ"というタイトルでnoteにも書いた)
、頑張った姿を大切な人に見てもらえなかった未練が強くそう思わせてるのかもしれない。

自分の両親にもまだ見てもらっていない。両親も健康だけど、いうて高齢だし、明日にはいつもの日常が無くなることがあることも身をもって感じているから、年内には必ず見てもらおう。


さあもうじき移転してから一年だ。移転したのは、今では僕の中では大きな石につまづいて転んだだけの事として捉えているので、わざわざイベントをする必要もない気がするから、開催するか迷うところだ。


仮に開催するとしたら、どんな事をしたら、お客さんが喜んでくれるだろうかと考える。限られた予算の中で、自分らしいイベントを企画したい。

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