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人生日記〜贅沢〜


明るい話題だけ聞きたい。
だって落ち込みたくないもん。

明るい話は今やめて。
だって今の私には自信がないから。

僕は
明るい話☀️も暗い話🌑もしたいなあ。
欲張りだから。

偏ると1つの世界しか見えなくなっちゃって
行動も思考も選択肢が減ってしまう。🌘


明るい世界だけを選び続けてると
暗い世界が見えにくくなるし、その逆も然り。


ずーっと美味しいものだけを食べていると
何が特別に美味しいのか分からなくなる。

たまにおいしいかどうか、よーわからん微妙な味とか、不味い味があるからこそ、
"特別な美味しい"が分かる。


心に置き換える。


ずーっと楽しい、幸せが続くと
何が辛いのか感じにくくなる。
良くも悪くも。


それはそれで良いし1つの形であると思う。


でもそれじゃあ、辛い辛い人の感覚は誰が見つけて、誰が拾うのだろう。


同じ辛い辛い人が救う?
それも素敵。

でも
自分が辛い中で辛い相手を助ける余裕があるだろうか。

きっと
楽しいも辛いも、その2つを理解できてるからこそ、自分を守りながら手を差しのべられるんじゃないかな。


思い出して。

楽しい人は
"辛い経験をした事があるからこそ楽しいが分かる。"


辛い人は
"楽しい、幸せな経験をした事があるからこそ辛いが分かる。"


全部の料理が美味しかったら、美味しいがわからへん。


僕は見つけたい。
幸せも辛いも。

両方常に知ってたいなんて、
両方に常に行ける世界線にいたいなんて、
なんて贅沢なんやろう。

こんな事言わなくてもいいのに。

こんな事言ったらまた

"あいつあっち系(スピリチュアル系)のやつや"

"あいつなんか危なくね?宗教?"

"はいはい、またなんか言ってる"


色んな世界線がある。


心を曝け出すだけで色んな世界が生まれてしまう。


そんな中でも
こんな些細な一言や自分の心を曝け出すだけで、救われてくれる人がいる事を知った。


みんなどれくらい自分に向き合ってるのだろう

みんなどれくらい心に目を向けるのだろう

僕がキッカケで少し心に目が向いたりするのかな。


向けたくない時に目を向けなくてもええんやけど、失望したり、刃が自分に向く時にも、自分が気づいてない世界線で何かは動いてるはず。


失望するから優しさを知れる。
刃が自分に向くから何とかしようと行動する。


あの時あの人の言葉が刺さったのは
自分が落ち込んでたおかげかもしれんなあ。


最近は99人に指さされても、1人をすくいあげる事ができるなら、行動すべきだなって思うようになった。


欲してる誰かに届くなら、刺さるなら
自分の心を曝け出すくらい余裕やなって感じる。


僕は輝きながらもボロボロでいたい。
成長しながらも未完成のままでいたい。


僕の輝きも
僕のボロボロも
必要な人に必要なだけ届けられる
セラピストでありたい。


楽しいも辛いも
美味しいも不味いも
明るいも暗いも
認めていたい。


1つの事を2つ以上で欲しがるなんて
自分はなんて贅沢な人生を選ぼうとしてるのか。


この記事の必要さを感じながら消したくなってる。
まあ、消さないけど。笑


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