ひとは外部化することで進化してきたけれど

京都大学で総長を務められた山極先生のゴリラの研究の本に書いていたけれど、ヒトというのは、様々な能力を外部化(アウトソース)することで進化してきた。

たしかに1個体で見ると、ゴリラのほうがパワーも強いし、森の中で1個体で生きていけるけれど、ヒトはもはやパワーはないし、野生に1個体だけ放り出されたら自然界においては真ん中よりも下くらいに位置するんじゃないかと思う。けど、今生態系のピラミッドの中で上の方にいるかというと、
身体的能力を捨て、おそらく内臓的な機能も色々動物に比べたら削ぎ落とし、脳みそに能力を全振りすることで、それによって失った力は道具に代替してもらい、そして言葉による集団化によって自然界を生きてきたのだと思う。
ヒトの進化の3大要素は、火・言葉・道具と言われるように。

ビジネスにおいても、ヒトがやっていたことを機械にアウトソースし、物理的な移動を捨てインターネットによる接続によって情報伝達を行い、移動そのものも足ではなく車や電車といった乗り物にアウトソースし、事業そのものも可能な限りアウトソースし必要部分以外持たないということで発展してきている。

ヒトは無意識のうちに、「外部化することで進化する」ということをプログラム化されているかのように、実行している。

最近思うのは、AIの進化が目覚ましい現代において、ヒトの思考そのものも外部化しようとしているように見える。
自分は受動意識仮説を信じる派だから、それは五感だけではなく、虚部的な刺激も含めた外部刺激によって、意識が反応していると思うのだけれど、その自分の感性や感覚を信じずに、AIによる思考の外部化を大きな外部刺激として意識を反応させようとしているんじゃないだろうか。

思考・意識そのものも外部化させてしまったら、ヒトには何が残るんだろう。ヒトは今なにを残そうとしているんだろうか。
このまま何も無自覚にいくと空っぽになる方向に行くと思うからこそ、自分は意図をもって「人間性」を残していきたい。

人間性というのは全然合理的じゃないし、計算によって導き出される意思決定・行動はほとんどない。何なら無駄なことをわざわざやるってことが多かったりする。
けれど、自分のためではなく誰かのために、そして目の前のことではなく、そこから連なるつながりのために、想像力を働かせて貢献する。
これはヒトの美しい行為だと思うし、それこそヒトらしいなと思う。
ここきれいにしておいたら次のヒト気持ちよいだろうな!とか、
もっと美味しいもの食べてもらいたい!とか、
挨拶したら安心感もってくれるかな?とか、相手のことに思いを馳せながら
行動するなんて、なかなか他の生物じゃ見られないことなんじゃないか?

他の生命もそうだけれど、ヒトはこうやって繋がり共存することによって発展してきたとも言えるから、だから人間性を高め、ヒトと本質的な意味でつながり、ヒトとヒトとの営みの中で、世の中に貢献していく。

そんなことをしていきたいなと思っている。

読んでくださりありがとうございました。感謝します。

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