坂東大毅 | Gene 美しさに歸る

株式会社Gene代表。歸美道源流。 「事業を生命体化させる」会社をやっています。 日本…

坂東大毅 | Gene 美しさに歸る

株式会社Gene代表。歸美道源流。 「事業を生命体化させる」会社をやっています。 日本は、拡大型成長から循環型成長へ回帰させていくことで、唯一無二の価値を 地域社会や世界に提供できると信じています。

最近の記事

ルールとは?

ルール、規則とはなんだろうか? 結局は共通の価値観、コンテクストをもたない人たち同士が、うまくやるために明文化されたものだと思っている。 けれど、最近は、グレーゾーンというか、明文化されてないことは何やってもOKとか、ルールさえ守れば良い、みたいなことが、美徳とされ、称賛されているように自分は感じている。 そして、ルールについて、明文化された文字通りが意味することのみを守れば良くて、その意図というか、解釈は自由、みたいなのもある気がしている。 だから、解釈もぶれないように法

    • 必要なのは、空(くう)だった

      事務所を契約したのが3月、部屋は、和室2部屋と、洋室1部屋と、メインルーム。 そこから必要なものを揃えて行って、最後にと後回ししていたのが和室1部屋。 借りた当初から、その1部屋は、瞑想部屋だ!と言っていたけれど、ここに何を置こうか、ずーっとうーんと考えていたけど、アイディアも出てきたけれどしっくりこなかった。 その部屋はずーっとこの4ヶ月ほど何もおかず、使いもせずいて、やっと色々な設備が整って、よし最後手を加えるぞ!と思ってたのだけれど、必要なものは何もなかった。 座

      • すべてはつながりの中で

        つながりや想像力を働かせなよっていつも言ってるにもかかわらず、自分ができていなかったことへの自戒を込めて。 自分はどこか、自分が見えたことを人に対して決めつける部分がある。 この人はこういう人間なんだな、とか。そして、それが自分にとって嫌いであったり、ダサいなと思うことであったり、好きじゃないなと思うことであれば、バサっとその人への想いを切ってしまう、つまり無関心になって、自分の世界からは締め出してしまうことをやりがちである。 でも、すべての地球上のすべてのものは、つまり

        • ドラムの役割は「ワン」

          ある経営者兼ジャズドラマーの方とお話しているときに、ドラムの役割は1つだ、という話をきいた。 それは、「ワン」という、役割で、ジャズだと特に、様々な楽器が自由に表現していくと、どこかでテンポがそれぞれ独立していって、どこかのタイミングで自由・無秩序すぎて崩壊してしまう。その直前を見極めて、「ドンっ」と、「ワン」をドラムが決めると、みんなそこに戻ってくるという役割だ。 それぞれの個が最大限、個を発揮して、でも共鳴していることで集団としての最大限のパフォーマンスが発揮される。

          主目的になってはいけない

          大体、ネガティブな感情が渦巻いてるときって、主目的がおかしいときだ。 手段を目的にしているときというか。 例えば、最近だと、組織とは?とか、やっと自分の仲間を集めて、一緒に活動する中で考えてたところだったけど、実現するための組織とはきっとこうあるべきだ。みたいな、勝手なイメージだけあって、その組織にするには?という問いを悶々としていたところがある。 けど、「組織をつくる」ことは、目的では本来はない。 じゃあなんのため?というと、より価値を多くの人に提供していくためと今は答

          主目的になってはいけない

          自我に気づく

          自分は、我がとても強い人間だと思う。 そして、自分が見えているもの、感じているものにとても自信があり、そのような世の中にしたい、と感じて、今の事業や、様々な人生における活動を行なっている。 けれど、自分と似たようなことを考えている人がいたり、話している人がいたときに、自分によぎる感情は、お、仲間が増える!同じことを考えている人がいる!やったぁ!ではなく、 なに?!自分と同じこと考えている人がいるだと?!ぼくのものなのに!そして、自分が実現したい!他の人に実現されたらどうしよ

          好きと嫌いと無関心

          自分は好き嫌いがはっきりしてると思う。 そして、結構スパッと決めれるタイプ。 決めれないものは大体どうでも良いっていう無関心。 そんくらい自分の中に良くわからないけど、評価の軸があるみたいで、最近は好きと嫌いが余計極端にわかれる。 自分は結構日本のことを考えてると思う。 どうしていくべきか?自分が何を貢献できるか?もちろん全然まだまだで、人口が減った時にどんな制度であるべきか?とか、どんな国政をすべきか?とかに仮説もない。それはこれからコツコツ考えていこうと思うけれど。

          伝わるのではなく、体験が起こる

          最近、人に伝えたいと思うことが多々あって、そしてそんな機会も少しずつ頂くようになって、伝えることを目的に言葉にして、物語にすることが増えてきた。 伝えようと必死になっていると、往々にして説明文っぽく、あれやこれやを言葉にして、自らの理解に従わせようと理論をこねくりまわして、異論が起きないように、完膚なきまでに逃げ道をなくそうとしていることが多い。 けど、そもそも自分が伝えたいことが、言葉で「伝わる」と思っていることが驕りであることに自覚的になりたい。 そもそも自分は、相

          伝わるのではなく、体験が起こる

          生きるテンポ

          きっと人それぞれ生きるテンポ、リズムがある。 リズム=調子であり、テンポ=速さである。 1週間も音楽だ。 月から始まり日で終える、そんな基本リズムの繰り返し。テンポの繰り返し。そして変調。 自分は月曜日は特にテンポを意識する。 朝はゆーっくり、落ち着いて、いつもより仕事への着手を1時間ほど遅らせて、1時間かけてゆっくり頭の中を空っぽにする。 そして、そこから、急激にテンポを上げて、嫌なものから全て片付ける。 すると、リズムが生まれてくる。大体その勢いで金曜日まで過ごせる。

          良い旅

          今日は旅行で美瑛に来ている。 朝一で、札幌から旭川に向かって、次の日旭川空港から帰るから、旭川空港に移動してレンタカー借りて、そこから決まってたのは宿と、青い池に行くことだけだった。 けれど、道中で見かけた素敵なソーセージ屋さんでブランチを食べて、なんか温泉の標識があったから、青い池のあとに白金温泉の日帰り入浴して、そしたら上富良野が近かったから、気になってた後藤純男美術館と、ラベンダー見頃っぽかったからラベンダーの公園行って、宿の道中素敵なカフェがあったからそこに行って

          次元を意識する

          自分はどうやら話してる中で、考えてる中で、次元をいったりきたりしてる。 次元とはなにか?それは座標軸が何個あるか?ということ。 普通人間は4次元空間のことは繊細にはイメージできない。ようは4座標軸で物を捉えるということだ。 から3次元の中でできるイメージで想像する。 ビジネスの世界ではすぐに二項対立を用いるように、多分2次元の座標の中で起きてることを、観測者として、俯瞰したもう1次元上の立場から眺めるということで理解してるのだと思う。これが3次元で理解しているということだ。

          覚悟をしていない

          ソクラテスの無知の知という言葉が好きだ。 知るというプロセスは、知らないということに自覚的になって初めて、知るということができる、ということだ。 それと一緒で、自分の人生、やりたいことを掲げて、本気で選択し進んでるようで、そもそもその覚悟をしていなかったということに気づいて初めて、その道に進んでいけるというプロセスを繰り返している。 いつだって、覚悟してないんだ、って気づいた時は苦しいし、情けないなって思うけれど、そこから道は開けるから、あー覚悟できるようになろうってなっ

          火と水

          神社とかでお祈りするときに、拍手をすると思うけど、それを柏手というらしい。 少し手をずらして、左手を少し上にして叩くやつだ。 これは左手は火、右手は水で、 火は下から上に登るもの。 水は上から下に流れるもの。 という説があるみたい。 火=ひ、か 水=みず で手を合わせて、 神=かみ となる。 神っていうのは、エネルギーが最高次元まで高まること。 火と水のどちらの性質のエネルギーも持ち合わせ、そして循環させるってことが大事なんだね。 自分のエネルギーの質はどちらかと

          私がGeneの中で実現すること

          ずっと悶々としていたものが昨晩、すっとすべてが繋がったので、ここに記しておく。 タイトルも迷った。Geneで目指すとは?Geneは共鳴したつながりである。Geneは人格ではない。法「人格」とかいうものを、会社という人ではないものに持たせるから、会社というつながりをもとにしたものがおかしくなる。 「Geneは共鳴したつながり」 これも今、言葉にできたものだった。 さて、自分自身が独立してから、もうすぐ5年が経とうとしているけれど、最初のころからずっとおもっていたことは、

          私がGeneの中で実現すること

          脳みそのお話

          ドグラ・マグラという小説を読んで、ずっと心に残っている考え方がある。 脳髄は様々な刺激を反射するための機関であり、人間は刺激によって何らかの処理がされ脳髄によって何らかの反射があり、行動(思考も含む)をするということだ。 これは、ロボットとかの研究の礎になっている「受動意識仮説」も同じようなものだと思う。 ぼくも人間は外部刺激によってなんらかの神経伝達が起こり、行動が起こると思っている部分はあるけれど、それが脳髄にまですべて到達しているか?というとそれはなくて、脳髄に到達す

          ほしいのは勇気

          今日骨を正しい位置に戻すというとある施術を受けていて、その施術の過程で本当にほしいものを願っていて、と言われて、本気で願ったものは勇気だった。 いろいろなことを最初は願っていたのだけど、どんどん頭の中から過ぎ去っていって、最後はずっと勇気がほしいと願っていた。 あー、自分は勇気がほしいんだなぁーと。 自分は強い人間だと最近どこか思い込もうとしていたけれど、そうだ全然違かった。 ぼくには勇気がない。というか、どちらかというと恐怖に弱い。 恐怖を感じないために、自分の身を置く