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淡水魚の魅力:上流編

上流に住む淡水魚は、人間の目を嫌い、隠れるように生活しています。

「水清ければ魚棲まず」の言葉があるように、魚にとって上流域は必ずしも住みやすいところではありません。水が奇麗であれば捕食できる生物も少なく、鳥などの外敵から見つけられるケースも多くなります。そして流れは速く、急流や滝などの障害も多く存在しています。

そんな上流域に住んでいる彼らの魅力とは一体何でしょうか?

その前に、そもそも上流域とは何なのかの定義をしておきましょう。学術的な場ではないので、とりあえずこの記事では、上流とは「水源に近く、山間部を流れる川の範囲」としておきます。上流域にも源流、渓流、本流といった区分があるようですが、そういう突っ込んだ話はまたの機会にしておきます。

「狭い範囲に広がる多様性」あるいは「なんとなくの人間臭さ」

上流域に住む魚として、代表的なのはイワナ、ヤマメやアマゴといった種類でしょうか。彼らは一般に「渓流魚」と呼ばれる機会が多く、前述のような障害を克服して「水清い場所」に住んでいます。

上流域に住むマス科の魚の多くは降海型と陸封型とにわかれ、それぞれ別の名前をもっています。水清く棲み辛い上流域を後にして大きな海に向かって旅をするのが降海型、棲み辛さにじっと耐え忍び生まれた川で一生を終えるのが陸封型です。降海型になると、イワナはアメマス、ヤマメはサクラマス、アマゴはサツキマスという呼び名に変わり、しかもその体長は陸封型の倍くらいになったりもします。

そんな故郷の名士になったりする陸封型の彼らも、故郷を離れてビッグになった降海型の彼らも、産卵は生まれた川で行います。降海型の彼らは回帰性を持っていて、どんなに遠くに行っても生まれた川の匂いをたどって(諸説あります)戻ってこられるらしいです。そのためマス科の彼らは生まれた川ごとに独自の生態系があったりして、亜種というほどの差ではないにしろ地域差が多くあるみたいです。

生まれた場所で生きてみたり、故郷を飛び出してビッグになってみたり、でも結局帰ってきちゃったりとか。なんだか人間と同じだなぁとか、思いません?

というわけで上流域に住んでいる魚の魅力その一は、「狭い範囲に広がる多様性」あるいは「なんとなくの人間臭さ」とでも言えるのかもしれません。

「人間との民話的関係性」

上流域に生息する魚は、美味しいことが多いです。ちなみに私は魚を食べるのは好きでも嫌いでもありません。

かつての日本では、上流域に生息して、しかも美味しい彼らは山間部に住む人たちの格好のタンパク源でした。釣る、ヤスで突く、投網や果ては鷹匠等、様々な方法で人々に採られ、食べられてきました。当然それは中流・下流・海の魚も同じですが、上流域の魚は「ミステリアスさ」が違います。

山はかつて異界と考えられ、人間の世界とは区別して考えられていました。中流・下流に残る民話は概して人間同士の関係を描いたものが多いですが、上流域に残る民話は、人間以外の何物かや、人知を超えたものに対するものが多い傾向にあると思います。

そのような中で人目を避け、隠れるように生活している彼らではありますが、タンパク源として人間はまずその生息域にアプローチせざるを得ません。その行程そのものがすでにドラマチックです。

異界に踏み込むとき、そこには不思議が発生します。滝や渓谷への侵入、あまりにも多く採れる美味しい魚、暗くなる山中、不安や孤独。そういったものが民話的要素として、魚を嫋やかで美しい乙女や、人知を超えた怪魚に変身させるのでしょう。

美味しさの裏には秘密と不安があります。上流域の魚は、そのミステリアスな要素をもって、人間と民話的関係性を築いてきたのだと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございます!