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淡水魚の魅力:下流編

川は河口に近づけば近づくほど、支流が集まり大きな流れになります。そこでは水質や環境に適応する魚の逞しい姿や、大きく雄大な海との関係性を見ることができるのです。

水質や環境への適応

下流に生息する魚は、中流域と重複する種類も多いですが、代表的なのはコイやギンブナ、ナマズ等の魚ではないでしょうか。

下流域の川底は、泥質或いは砂質の場所が多いです。これは上流域から石たちが流され、砕かれ、研磨され、徐々に小さくなってゆくからですが、先程挙げた下流域を代表する魚たちはこのような細かい川底を好みます。一般には下流になるに従い川幅が広くなり、流れも緩くなることから、彼らは緩い流れに適応したヒレの形や、川底の泥の中から餌を探し出すために特有の形状をした口などを発達させてきました。

下流域は、人為非人為を問わず様々な物質が流れ着くことから水質は悪く、水の透明度も低くなっています。環境に適応してきたコイを初めとする下流域の魚たちは低酸素の水、不純物の混じった水に極めて強く、また、川底にある水草、或いは他の魚の卵等口に入るものは基本的に何でも食べます。そして透明度の低い水の中で活動するため、口元にヒゲを持ち、匂いや音に敏感な身体へと成長してきたのです。
そういった彼らの姿を見ると、身体の特徴から彼らの水質や環境への適応の歴史を感じ、なんだか頼もしい気持ちになります。

コイの話

因みに、私の最も好きな魚の一つであるコイは、寿命は約20年と魚類の中では非常に長く、200年以上生きたという伝説もあります。体長は最大約1.5mほどにまで成長します。日本国内に生息するコイには、通常イメージされる体高が高く回遊するコイと、体高が低く、深みに暮らし殆ど動くことのないノゴイが存在します。遺伝子上はこの両者はほぼ別種に近いらしいです。

コイの滝上りの言葉から激しく泳ぐことを想像されがちですが、一般に20cm以下の小個体しか滝上りのようなジャンプをすることはなく、大きな個体は釣り等の際も深く深く潜るような走り方をします。

コイは一説によるとその名前の由来を「肥える」とすることからも、川魚の中では異例の大きさと肉付きの良さ、手軽に捕れることからも食用として用いられ、天皇陛下や将軍の食事として日常的に出されたほか、庶民が慶事に食べたり、妊婦が安産のために食べたりされていました。近年は海魚が安く大量に流通することから川魚は珍味のように扱われ主要なタンパク源からは退いていますが、鯉の洗い等のためまだまだ養殖されることは多いようです。

身体の大きなコイがお供を引き連れて優雅に回遊しているのを見ると、川の主を発見したような気持ちになって思わず笑みが溢れます。

海との関係性

下流域の淡水魚たちは、河口から近い場所を主たる棲家としているため、海との関係性を持つ場合があります。

海水と真水が交じる汽水域においては、塩分濃度が高く比重の重たい海水が下層に、淡水が上層に分かれつつ対流を形成しています。川から流れる栄養と海から潮汐によりもたらされる栄養、対流により川底から浮上する栄養が合わさって豊かな場が構築され、多くの生き物たちが共存しているのです。

コイ科の淡水魚たちは基本的には純淡水魚であり一生を真水の中で過ごしますが、時にはある程度の塩水へ順応した個体が河口付近で観察されることもあります。汽水域を棲家とするスズキやボラ等と一緒にフナやコイを見つけることができた時は、不思議な嬉しさが込み上げてきました。環境に適応し、頑張って生きているなぁと思ったものです。

また、汽水域では降海型の淡水魚たちも発見することができます。彼らは住み慣れた故郷を後にしてビッグになるため大海原へと旅立ち、或いは生まれた川に帰ってきますが、その度の一つの区切りとしてこの汽水域に滞留するのです。

淡水魚は、真水を主な生息区域とするため通常海水の中では生きることができません。淡水と海水の間には途方もない違いが立ち塞がっており、それを克服して汽水あるいは海水の世界に泳いでいく彼らの中には種としての途方もない努力があるのです。

当たり前の話ですが、淡水中には塩分が少なく、海水中には塩分が多いです。しかし淡水魚も海水魚も体液の塩分濃度に大差はありません。
淡水魚は腎臓から塩分を取り込み、残りの余分な水を尿として排出することで身体の中の塩分濃度を一定に保ちます。他方海水魚は不足する水を腸から取り出し、余分な塩分をエラから排出しているのです。
もし海水の中に淡水魚をいきなり放り込んだら、体液の浸透圧を維持できず身体に高濃度の塩ばかりがたまり、水分が抜けていって死んでしまいます。また、海水魚を淡水に放り込んだら、逆に塩分が抜け、水分が多くなって死んでしまいます。
淡水魚はそのような事態を回避するために、ゆっくりとゆっくりと海水に適応します。それはエラに存在する塩類細胞を増やす事で行われますが、文字通り身体を作り変えるような偉業をもって環境の変化へと挑んでいるわけです。
塩類細胞を増殖させ、或いは減少させて体を適応させている最中の魚たちは、極めて環境の変化に敏感です。河口域に滞留している降海型の彼らたちは、少しのph値の揺らぎにもショック死してしまうそんな環境にじっと耐えながら、徐々に自らの身体を作り変えているのです。一度目はより自分を成長させるため、二度目は子孫を残すために。

汽水域における彼らの頑張りとドラマを感じられるのは、やはり下流の魅力なのかもしれません。

まとめ

下流域の淡水魚の魅力は、水質や環境への適合、海との出会いと別れに見る努力や健気さに感じることができると思います。別に魚たちは多分何も考えていないと思いますが、勝手に自分を投影してドラマを感じてしまうのです。

この中では語りきれず捨象、或いは省略したいくつもの魚や要素や関係がありますが、それはまた折を見て語りたいと思います。

自分の大好きな淡水魚の魅力について十数年ぶりに向き合い、初めて文字にして上流、中流、下流について思いつくままつらつらと書いてみましたが、やはり好きなものを好きなように語るのは楽しいものです。
もしこれが誰かの目に止まったとき、いやこれは違うんじゃないかとか、楽しそうだなぁとか、話や思索のタネになったら幸いだなぁと思いつつ。

最後まで読んでいただいてありがとうございます!