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瀬々敬久 ピンク映画界の異端にしてトップランナー!

かつては、アダルトメディアの一角として、また新人映画監督の登竜門として数々の作家性溢れる名作を生んだピンク映画。いま、成人映画館のほとんどがなくなり、名作に触れる場も少なくなりましたが、DMMが運営するFANZA月額動画に入るとサブスクで!お手軽に!知られざる傑作に出会うことが出来ます。この連載では、ピンク映画に詳しいtanosiikagakuが水先案内人となって、(非公式に)FANZAで手軽に視られるピンク映画の魅力を伝えます。
今回は、二宮和也や佐藤浩市といった邦画を代表する俳優を主演に据えた映画を撮るまでになったピンク映画を代表するトップランナー・瀬々敬久監督の知られざる傑作『汚れた女(マリア)』の魅力をお届け!
(バナー・小鈴キリカ、執筆・tanosiikagaku)

 皆さんお元気ですか? 派遣労働先の契約も終了間近。全く適正からは程遠いこの仕事ともついにオサラバかとホッとしているtanosiikagakuです。
真面目に働いているのでそれなりにお金は貯まりましたが、淋しいからヤフオクやメルカリでヴィンテージもののエロ本をポチってしまう病は治ってくれません。こんな社会不適応者にこそピンク映画の「汚れと気安さ」はひらかれているのだと思います。
今回はまだ私がピンク映画鑑賞初心者だった20代前半に出会って鳥肌が立った瀬々敬久監督『汚れた女(マリア)』をご紹介します。

かつて瀬々敬久の描く男や女は、狂おしいまでに終末を求め、一点突破ののちに展がる無限の海へと勇んで旅立っていったものだった。だが、ひとたび成就されてしまった終末とは、なんと幻滅に満ちた、虚しいものだろう。(中略)破局がいとも簡単に達成されてしまえば、後に生じるのは、曖昧にして退屈な永劫の時間だ。地獄の亡者たちを苦しめているのは針の山や血の池の苦痛などではなくて、彼らの上にのしかかる永劫の時間、永劫という観念であるとは、よくいわれるところだ。このフィルムは地獄に迷える男女の間に横たわる、救済の不可能の物語である。

四方田犬彦 『汚れた女』公開当時のチラシコメントより
『汚れた女』
FANZA 作品紹介ページ より

つまらない日常から一転して現れる地獄

 他に人っ子ひとり見当たらない雪原の中、フラフラになりながら追いかけっこを続ける男女。
女は男の妻を嫉妬から殺し、男の命も奪おうと雪山まで誘ったが失敗。男は女の罪と企みを知り、怒りと憎しみから女を縛り、雪に押し倒すが、眠気と寒さからくる倦怠感から強制性交も未遂に終わる。
荒く息をしながら、雪にまみれて呆然とする二人。沈黙を続ける神の他に、彼らを見つめる者はいない…。

 これは1999年公開の瀬々敬久監督『汚れた女(マリア)』のハイライトともいえる場面です。人間の抱える憎しみも悲しみも怒りも殺意も、圧倒的な風景の中に融解していく異様な光景は、「風景の瀬々」とも評されていたピンク映画時代の瀬々作品の真骨頂と言えるものです。

 『汚れた女』は二部構成となっており、前半では、ヒロイン文子の感情を押し殺して生きる退屈な日常と、突発的に起こしてしまった犯罪のディテールが寒々しいまでに冷徹に積み重ねられます。
アニメを見る子どもの横で行われる文子と亭主の無味乾燥な性行為、呆気ない殺人と返り血を服に付けないための裸での死体解体、文子が子どもを自転車で幼稚園に送っていったその足でバラバラの肢体をせっせと複数のごみ集積所に捨てていく描写など、それらの場面に漲る即物性を前にすると、「絶望的」という人間的な言葉すらなまやさしいものに感じられます。

 後半は文子と、文子が殺した女の亭主・村上(村上は文子が犯人であることにまだ気づいていません)が雪山の先にある温泉宿を探すロードムービーになっていきます。
村上は妻がいなくなってからほとんど寝ておらず、気を失ったり雪で進めなくなったりするため道行きは停滞の連続。風景の中にほとんど人はおらず、一面の白銀の世界を見ているとほとんど異界に迷い込んでしまったかのようです。
それはまさに四方田犬彦の言う通り「地獄」であり、この二人にはもはやあらゆる救済すら残されていないかに見えます。

 とはいえ、本作は絶望だけを観る者に突きつけてくる作品ではありません。
遭難の果てに温泉宿を見つけた二人が仲良く布団を並べて一泊してしまうのには思わず笑ってしまいますし、そこで加害者と被害者遺族という断絶を超えて思わず肌を求めあってしまう姿には、切実なエモーションが漲っています。
次の朝目覚めた文子に、妻と同じように文子も去ってしまうんじゃないかと心配で一睡もできなかった、と村上が告白する時、この苦痛と絶望に満ちたドラマは、条理を超えたラブストーリーに変貌しているのです。

 決して濡れ場が多いわけではない本作が、それでも純度の高い「ピンク映画」足りえているのは、男女が絶望的な状況にまで徹底的に追い込まれた先に、文字通り「裸」になった時に生まれる卑近にして崇高な光景を見事に捉えているからです。
私が「ピンク映画」って凄いのかもしれない、と本気で思ったのは本作が最初かもしれません。

ピンク映画の可能性を極限にまで高める瀬々監督

 大分県出身の瀬々敬久は、数年の助監督経験の後に89年『課外授業 暴行』で監督デビュー。
実際の事件や社会的なテーマをどん欲に作品に取り込み、宮沢賢治、中上健次などの文学作品をモチーフにした作品を相次いで発表します。その表現活動は、ポルノを提供するピンク映画という産業の中では間違いなく異端でしたが、ポルノを隠れ蓑に表現の可能性を追及するピンク映画というジャンルの可能性に賭けているという意味ではまぎれもないトップランナーでした。

 詩人で映画評論家の福間健二に「映画以外のジャンルを見まわしても、いま、これだけ刺激的な発想をもった表現者はほかにいない」(「銀星倶楽部19 桃色映画天国 1980-1994」)とまでいわしめたその強靭な作家性は熱狂的なファンを生み出し、90年代には佐藤寿保、佐野和宏、サトウトシキと共に「ピンク四天王」と呼ばれました。

 前回掲載したいまおかしんじ監督のインタビューをお読みいただいた方は、いまおか監督の人生のターニングポイントにも瀬々監督がいたことをお分かり頂けたと思います。

 『汚れた女』はFANZAのピンク映画chで視聴可能。同じく性と死を巡って展開する重厚な展開が神話的なスケールまで広がった代表作『雷魚』はDVDレンタルで視聴可能です(他の動画配信サービスで観ることも出来ます)。
ピンク映画chでは他に『禁断の扉 スカートの中の性衝動』や『赫い情事』、『アナーキー・イン・じゃぱんすけ 見られてイク女』などの傑作も視聴可能です(『獣欲魔 乱行』や『猥褻暴走集団 獣』がもっと簡単に観られるようになれば、さらにいうことないのですが……!)。

 珍しいところでは、監督デビュー前の瀬々監督が脚本を手掛け、劇中劇の監督役で出演もしている『豊丸伝説 超変態』もピンク映画chに入っています。虚実が入り乱れるメタフィクションの手法を使い、当時大人気だった淫乱系AV女優・豊丸の素顔に迫る興味深い内容になっています。

 近年では、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』や『ラーゲリより愛を込めて』などの大ヒット作も手掛ける瀬々監督ですが、若き日の才気と表現意欲が注ぎ込まれたピンク映画作品のDIY精神は、やはり特別な輝きを放っています。
ピンク四天王の作品を観たことがなく、これから観ようと思っている方は、まずは瀬々作品から入ってみるのはいかがでしょうか?

作品情報

『汚れた女』
監督:瀬々敬久
公開年:1998年
FANZA視聴ページ:下記リンクより視聴可能


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