お膳立ての道

たとえ毎日ピアノが弾きたくても、毎日ピアノを買って配送してもらうところから始めないといけないとしたら、続くものも続かないし、始まるものも始まらないかもしれません。

幸いピアノは一度買ったら、だいたいいつでもすぐ弾けます。弾いたら拭くとか、定期的に調律するとかは必要ですけどね。

やらなければいけないこととか、やるべきこと・やりたいことにも「お膳立て」というか準備がいることが多いようです。その準備の部分を自分自身で担えれば単独でもやれるし、そこが自分ひとりではできないことだとしたら、他人の力を借りなければなりません。

たとえばピアノを買って家に運んでもらうとしたら、売ってくれる人や配送してくれる人の協力なしには実現できません。この場合はたまたま一度済めば、長期間(永続的に)その準備過程が有効なので、その日以降はピアノ屋さんや配送屋さんの協力なしに、弾く意思を持ったその瞬間から短い時間で実際にピアノを弾く行為にありつけます。(ありがたいことです。)お風呂に入るにしても服を脱がないといけないし、トイレに行くにもズボンをおろさないといけませんから(例外もありますが)、いちど「準備」が済んでしまえば、家でピアノを弾くことのハードルはだいぶ下がります。

寝坊した朝にオリジナルのミックスでパンケーキを焼きたいけれど、材料を準備して下ごしらえを済ませ、混ぜたり焼いたりする時間がないために、諦めることがあります。

こんなとき、朝、すべての準備が済まされて焼くだけの状態になっていたらなあなんて思うことがあります。前の晩に準備しておくという手もありそうですが、生の新鮮なフルーツを焼く直前に刻んで入れたりしたいし…夜はもう眠いし…とかなんくせつけて、寝坊した朝はたいてい「諦める」を選択し、すぐ食べられるグラノーラに牛乳を注いでカリポリシャクシャクと顎を動かすことになります。

食う・寝る・住む・交わるといった基本的な生活、生命の存続のための「お膳立て」や準備過程が深刻に差し迫るという状況でもなければ、いくらでも怠惰に生きていられるかもしれません。その先にある行動にありつくためには、一段一段のハードルを低くして、徐々に階段を登って上がって行くような「お膳立て」が有効なことと思います。高くて険しいところに行く必要があれば、階段をながーくながーく引き伸ばして、ほとんどスロープ、それどころか水平、場合によっては勢いをつけるための下り坂…なんてのを自分や誰かのために用意してやることもありそうです。気が遠くなるほど長くなっちゃって、人生一代で終わらないかもしれません。

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bandshijin

11013の手紙に寄せて

11013でなければならない理由も、ないのだけれど。
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