見出し画像

マ・シマシマ1周年おめでとうと諸々。

各SNSで書こうと思ったけど長くなりそうなので使ってなかったnoteを使うことにした。
思うこと、ダラダラと書いていくのでお付き合いいただけたら幸い◎


マシマシマとはこちら。



深くはない付き合いかもしれないけれど、もう10年以上お互いを知っているマ・シマシマの夫婦。

彼等との出会いは遡ること10数年前。

当時わたしはマ・シマシマのある網走で喫茶店をやっていました。
40年人気店として続いていた純喫茶の跡を引き継ぐかたちで「番外地カフェ」と名乗り営業してました。

で、ある日、不動産屋の封筒を片手に若く良い雰囲気の男女が入店してきた。

その頃その封筒に記された不動産屋の社長となかなかしんどい喧嘩の末に勝利したばかりで、若い2人に同じような思いはさせてなるまいと言う気持ちで声をかけた。
「ア○マンお勧めしないよ」と。
それが彼等とのファーストコンタクト。

んでいろいろ話す中で画家でもある夫が家業の漁師を継ぐために帰郷を考えていて住む場所を探している最中にたまたまうちの店に立ち寄ってくれたことを知った。

その後は時々お店を訪ねてくれたり、出かける先で会ったりと顔を合わせる機会が増えていった。

しばらくしてわたしは網走の店を閉め、隣町の北見へ移転することになったのだが、
その時の看板製作をその夫、恒雄氏が引き受けてくれたのだった。

S夫妻の夫は画家であり漁師。
北見移転後の看板はその恒雄氏が手がけてくれた
特別なもの。
店が無くなった今も大切にしている。


この看板がまた彼らしいギミックが繊細に施されていてもの凄く感動した。

ただロゴを描くのではなく、その下に何重もの様々な色を立体的に施しその上にロゴを乗せ、風化するとともに隠された色が現れより雰囲気の良さが増すだろうという彼の企み。

今はもう番外地は無いんだけど、この看板だけは死ぬまで持っていたいと思って取ってある。

そんな出会いや交流もあった彼等が昨年、それまで住んでた家をリフォームしてレンタルスペース兼カフェでもあるマ・シマシマをオープンさせた。

まぁ知ってはいたけど顔を出す機会もなくダラダラ時は過ぎていて、
昨年末と年始にそこでフィッシュマンズの映画の上映会をするって情報を知った。

映画が作られたことは知ってたけど「どーせこっちじゃ観れないだろーしDVD待ちかー…」ってショゲていたんだけど、
同じ道東でやってくれるんならそりゃ観ておきたい!と、、
無理矢理時間作って行くことにした。

まー映画も良かったし、
改めてそのマ・シマシマのロケーションの良さに感動したり、
上映会に向けた色々な裏話だったり、
ひさびさの人たちとの再会だったり、
いい時間だった。

その時間を過ごしてる間、
「ここで音楽鳴らしてみたいなぁー」っていう妄想と、
もひとつ頭の中で1人の男のことを考えていた。。

ちょっとマ・シマシマから話が逸れてしまうけど良ければこのまま聞いてください。


その1人の男ってのはちょっと前に病に天国連れてかれちゃった男で音モダチ。

そいつとはそんなに長い付き合いではなかったけど、
お互いなんというか大事なシーズンを共感し合った仲。

ちなみにそいつも漁師なんだけど、
家業の漁師が「このまま魚獲って言われるがままに捌いてるだけじゃ未来がない」って若いうちから考えていて、
そのために大学行って就職していろいろ学んで地元に戻り、
獲ったもの加工したりして新たな付加価値つけて幅を広げようとイメージしていた。

すげーなーと思いながら話聞きつつも此奴はバカ面白いやつで、マジ話1割悪ふざけ9割の付き合いをしてた。

「美味しい海産物」を知ってもらうためにそいつが考えていたのは、自分の好きな音楽を通じて音の鳴る場に集ったついでに自分の料理でオモテナシする文化。

文化…いやパーティー。

そんなパーティーをやっていきたいんだって熱く語ってた。

名前は「Ku-kai?!」にする!っつって。

クーカイ?
喰うかい?

面白くない。

ま、楽しそうだしいいんじゃない?って乗っかって彼のパーティーに呼ばれてみた。

初期の会場は彼の自宅。笑

2世帯住宅で壁の向こうには両親も暮らす彼の自宅。

そこで夜な夜な友人知人集めて爆音でパーティーしながら手料理振る舞うっつう無茶苦茶な企画。

ほんとのこと言ったら気がひけていたんだけど、
まぁー出してくれるもの全部美味しいし、
いわゆるDJパーティーなんだけど、DJしててもなんか変なテンションに襲われて調子も良くなる。

なもんで次の日は前の晩なにが起きたかも覚えてないレベルの狂った宴を味合わせてもらった。

音が出過ぎてスピーカー倒れたりしたのは覚えてる。
スピーカーがスマホのバイブみたく震えながら落ちるの。

そんな夜を共に狂いながら関係は深いものになり、自分が沈んでるときは隣りで泣いてくれたりもした。こっちは泣いてないのに。

そのパーティーは徐々に彼の行動力の高さとともに拡がって、遠くは札幌の名店「Provo」なんかでも行われるようになった。

余裕ない生活の中で遠くまで付き合ってあげることはできなかったけど、
進歩とか成長とか自分ごとのように喜んでいた。

で、釧路に移り住んで以来は会うことなくて、白血病発症したって聞いて半分信じてなかった。

1度目の治療からはちゃんと復活してまたバカみたく動き回っていたようだけど、
2度目の治療中に悔しいけれど天国行っちまった。
道半ば。生き急ぎ過ぎだろ。

生きてる中で自分にとって印象的だったり付き合いが深くなるのって、
必要なのは長い時間ではないよね。

勘さえ良ければインスピレーションで「この人とは永くなるな」って思う。

居なくなったらほんとにポッカリ穴があく。

きっとみんなそうなんだと思う。

そろそろ話を戻していかなきゃ。


マ・シマシマでの時間を過ごしてる中で浮かんだそいつ。

思ったのは「アイツだったら必ず『ここでKu-Kai?!やらせてください』ってなってたろうな」って。

そしたらブァーーって音楽と音の鳴る空間に浮かぶ笑顔とかのイメージが沸いて溢れた。
ほんとに溢れた。

「そのうちあの場所で音楽鳴らせたらいいな」って頭の隅で考えながら過ごしていたところに
「マ・シマシマ1周年記念イベント」の告知。

しばらく考えたけど、やっぱりやらせてほしいって気持ちが強くなって立候補。

誘ってもらったわけでもなく「立候補」なんです。

おそらくわたしだけガチで立候補。

なんか話としては湿っぽい話になってるかもしれないけど、
湿っぽいばかりのことを『お祝い』の席でやる気はない。

マ・シマシマへの賛辞と
集まる人みんなへの活力を。
あと、いまもあちこち飛び回ってそうな魂とも一緒に笑って、治ったばかりの40肩がたとえ再発しても悔いがないくらいにハンズアップできるようなひと時に向かいたい。

もしその日、同じ時間を過ごせる方がいらっしゃいましたら是非すばらしきロケーションと魔法のかかるマ・シマシマへお越しください。

待ってます。

きっとその日は新たな始まりだと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?