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(240229)私の心のギャラリーにある あなたの描いた風景は 悲しいほどお天気

暫くお休みします。ちょっとだけ近況。

相変わらず韓国語をガリガリと勉強している。
成果があるのかは確かめる場が無くわからない。
去年の夏に韓国に行った時も、新宿二丁目で韓国人と知り合って話す時も周りの人はpapagoやGoogleレンズがあるからもう語学の学習は要らないのではないかと言う。papagoを使えば会話ができるし、Googleレンズを使えば街中の地図も看板もメニューも読める。不便はしない。
なんか、僕はそうではなくて、外国語でも『自分の言葉』で喋れるようにならなくてはいけないと思うのだ。
papagoやGoogleレンズが訳してくれる言葉はあくまで最大公約数に通じる表現となるし、語彙は最大公約数が望む語彙である。
でも僕はそうじゃなくて、自分の言葉として、脳からまるきり出した言葉で、表現で、語彙で話したいので外国語を勉強する。
僕が死ぬまでに機械翻訳も自動通訳も今以上に進化をするだろうけれど、僕が死ぬまでに僕が求める水準の翻訳や通訳は機械にはできない確信があるので勉強をする。そもそも『フィルターを通さない』というのがコミュニケーションの芯だと思っている節がある。外国語にせよ日本語にせよ。
好みのタイプを聞かれて答えるのであれば、自分の言語を持っている人なのではないかと思う。それは、難しいことを言うとか語彙力があるとかではなくて、自分の脳内を上手に言語化できるとか、状況に一番肉薄した表現ができるとか、流行り言葉のうちどれが自分の哲学に合っててどれが合っていないのかをうまく選定した上で使用しているとか、そういうことが出来る人が良い。
かなり感覚的な話なので理解されない場合も多いが、言語観って結構大事だと思うし、だからこそ外国語だけはモリモリ勉強してるんだろうなぁって思う(この熱意でもっと役立つ資格とか取れればいいのにね)。

もうちょっと元気になったらまた再開します。
またね。



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