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論理的な思考は嘘を見抜く

嘘つきが嫌い


 考えてみれば、男にしても女にしても素直な人が好きだったんやで。それはワイが普通より論理的に物事を考える性分にあることが原因やと思うんや。

 ワイは16パーソナリティっちゅー性格診断では論理学者型に分類されるんやが、その説明に「パターンを好み、発言の矛盾点を指摘することにかけては、ほぼ趣味と言ってもいいほどなので、論理学者型の人に嘘はつかない方が良いでしょう」という一文があるんや。これが論理と嘘が密接に関係していて、ワイが嘘つきが嫌いなこともわかる良い説明やと思うんやで。ちなみにネットの議論大会でも優勝したりしてるで。

 じゃあワイがどんな風に日常会話を見て、聞いているかについて、なんとなく言語化していくんやで。


① トゥールミンの三角ロジック



 それはデータ、クレーム、ワラントというものがあると意見はより強固なものになる、みたいな理屈のことや。中学か高校の頃に知ったんやけど、これがわかると日常会話や人の意見がもう少しクリアに分かるようになるかもしれんで。ちなみにデータは根拠のこと、クレームは主張のこと、ワラントは論拠のことや。わけわからんやろ。

例えば

ソクラテスは人である    ➡︎ データ  (根拠)
人は必ず死ぬ        ➡︎  ワラント (論拠)
ゆえにソクラテスは必ず死ぬ ➡︎ クレーム (主張)


ってことなんやけど、もっとわけわらんやろ。でもこれは記号とかに置き換えると段々わかって来ると思うで。これは「A=B、B=C、ゆえにA=C」って言ってるだけなんやで。つまり「ソクラテス」を「A」に置き換えて、「人」を「B」に置き換えて、「必ず死ぬ」を「C」に置き換えるんや。そうすると、

A(ソクラテス)はB(人)である    ➡︎ A=B
B(人)はC(必ず死ぬ)        ➡︎ B=C
ゆえにA(ソクラテス)はC(必ず死ぬ) ➡︎ A=C


そのまんまやろ。記号と数学アレルギーの人は記号を見るだけで逆に拒否反応が起こるかもしれんが、よくよく見るとそんなに難しくないから頑張って欲しいんやで。「セミは虫で、虫は怖いから、セミも怖い」って言ってるだけやで。

 一番厄介なのはワラント(論拠)や。ワイの我流解釈によれば、データ(根拠)とクレーム(主張)を繋げてより意見を強固にするためのものがワラント(論拠)や。

 さっきのソクラテスの例で言うと、「ソクラテスは人だから必ず死ぬよね〜」でも意味は通じるやろ? これは、”人が必ず死ぬのは当たり前”という暗黙の了解のもと成り立ってるんや。だから端折りがちなんやな。でもこのワラント(論拠)が実は大切なんやで。この例の「人は必ず死ぬ」みたいな自明で反論の余地が無い場合は良いけど、日常会話の中ではもっとしれっと大事な部分が端折られてるんや。


② 会話の中の論理



 例えば「昨日ラーメン食べたから今日は食べたくない」って言った奴が居たとする。つまり

「昨日食べたから」 ➡︎ データ (根拠)
「食べたくない」  ➡︎ クレーム(主張)


 っちゅーわけやな。普通に納得出来る話ではあるやろ? でもここには”昨日食べたものを今日食べるのは嫌だ”っちゅー隠されたワラント(論拠)があるわけやな。こういうのが日常会話にも至る所に潜んでいて、これを見逃すと「うーんなんか言いたいことはわかるけどなんか納得できひん……」みたいな感想になるんやな。ワラント(論拠)だけじゃなく、このどれかが欠けてるパターンは山ほどあるんや。

 例えばクレーム(主張)のみの発言だと

「あいつって不健康そうだよね」 ➡︎ クレーム(主張)

みたいになる。だいたいクレーム(主張)だけの言葉に対して抱く感想は 「なんで?」 やな。根拠を求めてるから。

 データ(根拠)のみの発言だと

「あいつってタバコ吸ってるもんね」 ➡︎ データ(根拠)

みたいになる。だいたいデータ(根拠)だけの言葉に対して抱く感想は 「で?」 やな。何が言いたいか、つまり主張を求めてるからやな。

 データ(根拠)+クレーム(主張)だと

「あいつってタバコ吸ってるから不健康そうだよね」 ➡︎ データ(根拠)+クレーム(主張)

みたいになる。この場合抱く感想は 「本当にそうか?」 かな。果たしてタバコを吸ってると不健康だと言えるのか? というワラント(論拠)についての言及が必要になるんやで。

 だから日常会話の中で「で?」って思ったり「なんで?」って思ったりしたら何か欠けてる可能性があるんや。まあこんなこと知らんでもなんとなくわかることではあるやろうけど、もう少しクリアにする為の手助けだと思えばええんやで。

 これに注目してみると、クレーム(主張)だけとかデータ(根拠)だけの言葉ってドチャクソ多いんや。年寄りはクレーム(主張)だけの「あいつはクズだ!」だとか「韓国人は消えろ!」みたいな根拠すら無いことが多い印象やな。

 結構嫌いなのはデータ(根拠)だけのやつやな。日本人特有かもしれないが、「あの子は親がいないからねぇ……」とか「昨日あんま寝てないんだよね」みたいな下手な黙説法みたいのが多い。空気を読めだとか、察することが美とされてる文化によるものやろな。これらは「○○だから」っていうデータ(根拠)だけ示して、肝心のクレーム(主張)は勝手に読み取ってね戦法やな。要は、自分で明言したくなくて濁したいんやで。


 だからワイと会話してると、「ちょっと待って、今のどういう意味?」とか「つまり〇〇は〇〇だと思ってるってこと?」みたいな確認作業が入ることが多い。言われた方としては、同じようなことを繰り返させられるから「何回言わすねんボケ。さっき言ったやろ」って思うやろうけど、ワイにとっては大切なんやで。それはこのデータ、クレーム、ワラントの穴埋めか、記号化のために単純化する作業なんや。まあここまで明確に分けずに感覚的にやってる部分も多いけど、あえて言語化するとそういうことになるで。だから会話の流れを無視したり止めたりしちゃうけど堪忍な。ワイは逆に言うとこういう風に積み上げていかないと理解できないんやで。

 ただ現実問題、日常会話ではどれかを端折っていかないとめちゃくちゃ説明くさい面倒な会話になるから、端折っていくのも仕方がないんやで。でも何が端折られているのか認識してるってだけで物事の理解が結構違ってくると思うで。

 抽象的なこと言うようだけれど、「今、何の話をしてるのか」がわかるようになるんやで。どういうことかと言うと、今している発言が何かを主張しているのか、それとも主張に対しての根拠の説明なのか、そういう論理構造が見えるんや。だから「こいつ冒頭に『会社のために残業を増やします!』って言ったっきり、根拠をまるで説明してないやんけ(データが無いパターン)」とか「現状の説明ばっかでいつんなったら結論出てくんねん(クレームが無いパターン)」みたいなのが、多分普通の人より鮮明に見えてるんやで。今回の文章の中では短いセリフしか例に出してないけれど、だいたい感覚的には文節が3、4個ぐらい増えてくるとみんな見失うんやで。ワイの場合、そういうデータにもクレームにもワラントにも相当しない部分はほとんど聞いてなかったりするで。「いつんなったら重要なこと出てくんのかなー、夕飯何しようかなー」と思ってるんやで。ワイと話しててこういう論理構造の理解に長けていると感じた人も少なくないんちゃうやろか。


⓷ 結果、嘘が嫌いになる



 ここまで説明しといて何だけれど、あんまり嘘を見抜くこととは直接的には関係なかったかもしれないんやで。すまんやで。

 でも要は、このくらいつぶさに発言内容を観察しているってことなんやで。恐らく、普通はこんな風に発言を捉えてる人間なんて想定外だから、無意識的に適当な発言や適当な相槌がバレないと思ってるんだと思うんや。あくまで無意識的に。だから自分が嘘をついてることや、適当に話の流れに合わせてるだけなことを自覚すらしてないんやと思う。でもだいたいバレてるんやで。面倒だから見逃してるだけやで。

 嘘をつかれると、証明できないのが面倒なんや。証明できたとしてもいちいち説明するのも面倒だし、「そんなこと思ってない」って言われたらおしまいのことが多いんやで。だから嘘つきが嫌いなんやで。でもこっちからしてみれば「今の情報量でわかるわけないやろ」って時にわかったような顔してたり、「なんか話をややこしくしてケムに巻こうとしてるけど、要はこいつの言いたいことって自分のためだけやんけ」みたいのが透けてるんやで。もちろん全部じゃないだろうけど。

 結局、嘘って矛盾するんやで。嘘って”事実とは違う”ってことやから、事実を積み上げれば当然矛盾が見つかるんやで。それは些細な会話でも同じことや。だからわからないことはわからないって言うんやで。わかってないのは誰かにはバレてるんやで。月並みなことだけれど、自分に正直になるのが一番なんやで。それも意外と難しいけれど。

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