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なぜ毎年誕生日に花束を贈る彼氏は浮気しそうなのか

 姉の友達にそんなことをする人がいると聞いた時の最初の感想は、「なんだか嘘くさい」でした。

 みんなはどう思うのでしょうか。本来はマメだとか、「愛されてるね」と思うべきなのでしょうが、私はどうやらそこまで純粋ではないようです。

 その理由を言語化していこうと思います。

予定調和感

 そもそも、花束を贈りたいと思うことなんてあるんでしょうか。私は贈ったことがないのでわかりません。確かに、もし送ったとしたら喜ばれることもあった気もします。でもそれは例えばプロポーズとか、よほどのイベントごとじゃないと釣り合わないような気がします。「これをあげたら喜ぶだろうな」と想像しながらあげるのは確かにアリなような気もします。

 でも毎年だとか、誕生日ぐらいのことで花束を送りたいと思うんでしょうか。本当に? 心の底から? 相手を想って? なんだか信じられないのは私だけでしょうかw

 「花をあげときゃ喜ぶでしょ」というか「男は女に花を贈るもの」というか、そういうしきたりめいた、義務感めいた、形式めいたものを感じてしまいます。


好きなのはどっち?

 好きの気持ちの量が花束に表れるんでしょうか。気持ちが表れるとしたら、それは花束を贈る行為そのものではないように感じます。例えば彼女が花をすごく好きだとか、「花束をもらったことがないからいつか貰ってみたい」とポロッと言っていたとか、そういう相手のためを想った目線があって初めて意味があるように思います。

 もしそれらの目線が無いのに花束を贈るのはなぜか。それは花束を贈ること自体に意味があるからではないでしょうか。では花束を贈ること自体に意味があるときとはどんな時でしょうか。前述した大きなイベントを除けば、花束を贈る自分が好きなだけに感じてしまうのです。毎年花束を贈っている素敵な彼氏をやれてるオレ、が好きなだけでは?


誰にでもやる

 「彼女が花が好き」「以前欲しいと言ってた」というような、その人個人に依存する理由もなく花束をあげてるのだとしたら、それは”彼女”という存在に対してあげてることになります。であれば、きっと元カノにもそうしただろうし、今後出来る彼女にもそうするでしょう。つまり、「彼女という存在には花をあげるものである」という形式を元にやっているのに過ぎないのではないでしょうか。であれば、それはとても大きな愛情の発露に生まれた行為ではないでしょう。

 むしろ、女を喜ばせるためにはとりあえずやれることであるわけです。であれば、むしろ”特別”とは対極にあることなわけです。すぐ好きだの愛してるだの言う人間ほど浮気するように、形式的なことをとりあえず出来る人間には大して気持ちなどなく、誰にでも同じようなことを出来るわけです。今にも浮気しそうだと思いませんか?w

最後に

 だいぶ偏見強めでお届けしましたが、みなさんはどう思われたでしょうか。

 彼女個人に由来する理由でなければ、彼女という存在に対してやっている。彼女という存在にやっているのなら大して特別な意味を持たない。むしろそれをしている自分に酔っているナルティシズムに依るもの。そうやってカッコつけていたい人間は誰にでも良いカッコするから結局ヨソにもいい顔してる。そもそも大した気持ちがあって花束を贈ってるわけじゃないから浮気する。

 そんな感じに思います。はたして愛を込めて花束を贈ることはあるのでしょうか。


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