イン・マイ・ソリテュード

#私小説 #超短編小説

20歳を少し過ぎた頃、お金を貯めるために、昼はレコード屋で働きながら、深夜は電報局で働いたことがある。

深夜は本来の一般的な電報を受ける115番は営業を終えていて、僕が担当していたのは船舶からの電報を受け付ける番号だった。

大手町のNTTの大きいビルの地下の小さな部屋にオペレーター用の机が20個くらいあり、そこに常時10人くらいの男性が座って、世界中の海上にいる船からの電報を受けていた。ほとんどの電報は積み荷の内容を本社に連絡するという事務的な内容で、あとはごくたまに「お誕生日おめでとう。お父さんは今、南米のチリという国の港にいます」というようなものもあった。

しかし本当は、その部屋にかかってくる電話のほとんどが一般の方からの電話で「結婚式(あるいはお葬式)の電報をお願いしたいんだけど」というものだった。それでその電話に対して「大変申し訳ありません。こちらは船舶からの電報のみ受け付けておりまして、一般の方からの電報は明日、115番の方におかけ直しいただけますでしょうか」とお断りをするのが僕らの業務の大半をしめていた。

ほとんどの方がそうお断りすると、しぶしぶと電話を切ってくれたのだが、当時はNTTが色々と問題を起こした時期で、延々と「どうして船からの電報は受けられて普通の電報は受けられないんだ?」とクレームを言う人が多かった。そこの室長からは「困った人がいたらいつでも俺が出るから」と言われていたのだけど、室長には代わらないで自分で片づけよう、というのがその部署の暗黙の了解になっていた。

深夜に日本全国からその小さい部屋の番号にかかってくるので、東北や九州の全く聞き取れない訛りですごく酔っててどなりちらす人もいたし、今からそこにいくから待ってろ、と脅す人もいた。

結構困るタイプは理路整然としている人で、「それじゃあこういうアイディアはどうだろう? 君が僕の電報の依頼を受けて、それを文書にして本来の電報業務担当の人間に渡しておくというのは出来ないのかな? それを杓子定規に断ってしまうのがNTTの古い体質なんじゃないだろうか? もちろん組織に属している人間の気持ちは僕もよくわかるけど君個人の意見としてはこういうサービスをどう思う?」なんていうものだった。「すいません。バイトなんでNTTの体質なんてどうでも良いんです」とはもちろん言えなくてただひたすら謝った。

そして当時の僕を本当に落ち込ませたのが心の病を持った人たちからの電話だった。ただ寂しくなって誰かと話したいだけの人や、意味のわからない話を延々と繰り返す人もいた。今ならインターネットがそういう人たちの受け皿になっているとは思うのだけど、当時はそういうものもなく、日本全国から細くて長い電話線を伝って僕に心の叫びを訴える人がたくさんいた。そして僕はまだ20歳そこそこで、そんな彼らの心の叫びを簡単に受け流すような余裕はまるでなかった。

もちろん自殺をほのめかす人もいた。同僚の先輩にそのことを言うと、「結構あるけど電話が出来るくらいだからそんなに本気じゃないよ。気にしなくて良いよ」とは言われたのだけど、細くて長い電話線の向こうの日本のどこかの暗い部屋で、電報局の人にこれから死のうと思っていると伝える人の声を耳のそばで聞くと心が滅入ってしまった。

仕事を終えて、大手町の地下鉄の駅に行くと一流企業のビジネスマンや立派な官僚たちとすれ違った。僕は薄汚い格好をしていて、これから高円寺のお風呂のない部屋に戻らなくてはならなかった。僕の未来は不安だらけで働いてもお金は全然貯まらなかった。そして、さっき死にたいと言っていたあの女性が今頃自殺していたら、最後に話した人間は僕だったんだろうなあと想像した。

選曲家のpwmさんがこんなツイートをしてくれました。pwmさんありがとうございます。

飲食店って本当に面白いなあって感じの本を出しました。『バーのマスターは「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由』 https://goo.gl/oACxGp

この記事は投げ銭制です。この後、オマケでこの小説を書いた経緯をすごく短く書いています。

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