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水玉模様と月の光と、恋を止める方法

1度だけ仕事で一緒になった、8歳年下のちょっと可愛いカメラマンの男の子から、食事に誘われた。彼は、日本の若手カメラマン10人にも選ばれていて、かつては有名なモデルとの噂もあった。

彼が連れていってくれたお店は、日本酒と気のきいたおつまみがあるカウンターだけの私好みの小料理屋で、「良いお店ね。若いのによくこんなお店知ってるのね」と私が言うと、「絵里子さんの職場関係の人たちにヒアリングして、絵里子さんが好きそうなお店を調べ尽くしました」と言った。

カウンターの中の大柄な料理人が、「このお兄ちゃん、昨日、1人で偵察で飲みに来てね、『すごく良いお店ですね。明日、大好きな女性と一緒に来ます』って言ってたよ」と言って大きな声で笑った。

彼は「え、ご主人、それ言っちゃうんですか」と言って、顔を真っ赤にした。

私はなんだか気まずくなって、わけぎのぬたに箸をのばし、日本酒で流し込んだ。

彼は、「僕、今、月と女性を撮りたいと考えているんですけど、今夜、帰りに、絵里子さんと月を撮っても良いですか?」と言った。

「別に良いけど…」と答えると、彼は「やった~!!」とその場ですごく嬉しそうにガッツポーズを見せた。

こんなのって、何年ぶりだろう。夫が私に「付き合ってください」って言って「良いですよ」と答えたあの時以来だから、ちょうど10年ぶりだ、と思った。

彼は撮影場所は完全に下見をしていたようで、私にいくつかポーズをとらせると、10分くらいで撮影は終わった。彼はずっと「絵里子さん、その表情、すごく可愛いです。最高です」とばかり言っていた。もちろんそれはカメラマンの仕事上の常套句というのはわかっていたのだけど、私はずっとずっと嬉しくて心が震えていた。

「お手間をとらせてしまってすいませんでした。後で、良い写真を何枚かメールで送りますね」

彼はそう言って、10時過ぎに手を振って暗闇に消えた。

真夜中の3時になんとなく気になって、メールを開けると、ちょうど彼から「2枚良い写真、送ります」というタイトルのメールが届いたところだった。

「どの絵里子さんもすごく可愛くて悩んだんですけど、今回はこの2枚を選びました」

1枚は、最近流行の、私が両手で満月をそっと持っているという構図の写真で、もう1枚は私が、こっちを向いて女の子のような笑顔を見せていて、その後ろに小さい満月が浮かんでいた。

どういう返事をしようか少し悩んで、やっぱり返事はしないことにした。夫が、私が真夜中にPCを開いているのに気づいたようで、ベッドの方から「こんな時間に仕事?」と言った。「うん、明日アップする記事の写真確認」と私は嘘をついた。

ベッドに戻って、彼のメールと写真を何度も思い返し、「今回はこの2枚を選びました」ってことは、これから何回も私がモデルをするのだろうか、と思った。

次の満月が近づくと、彼からメッセージが届き、「今度は海の方で撮影したいんですけど」とあった。ちょうどその日は私も用事がなかったので、彼の車に乗って、海の方へ向かった。

やっぱり彼が、私がすごく好きそうな小料理屋を見つけていて、私はアジの南蛮漬けに日本酒をあわせ、彼は車だからウーロン茶を飲んだ。

今回の撮影も彼は入念に下調べをしていたようで、「絵里子さん、ここで座って、こういうポーズをしてください。ええ、そうです。絵里子さん、すごく可愛いです」と言われ続け、10分ほどの撮影が終わった。

帰りの車の中で、彼はジャズのカセットテープをかけてこう言った。

「この曲、ビル・エヴァンスの『水玉模様と月の光』というんですけど、オリジナルは、こんな歌詞なんです。

月明かりの下のダンスパーティーで、さえない僕が、水玉模様のドレスを着たすごく可愛い女の子に出会って、一目惚れをしてしまいます。僕は勇気を出して『僕と1曲踊ってくれませんか?』って誘うんです。そしたら彼女が、僕の腕の中に入ってきて、僕のおどおどした腕の中でパチっと火花が飛ぶんです。周りのみんなは、『おいおいどうなってんだ』なんて感じで僕たちを見てるのですが、僕はもう全てがわかってます。

僕が絵里子さんと月の写真集を作ったら、タイトルは『水玉模様と月の光』にしようって決めてるんです」

私は車の中から、ずっと追いかけてくる満月を見た。

3回目の誘いで、彼は「今度は真夜中の誰もいない遊園地が撮影場所です。絵里子さんと真夜中の遊園地と満月、すごく楽しみです」というメッセージをくれた。

遊園地は彼が一度撮影に使ったとき、園長に交渉して、真夜中の1時間だけ貸し切りにしてもらったそうだ。

私たちはまたいつものように、私が好きそうな小料理屋で日本酒を飲んで、遊園地の門を開けた。

私がメリーゴーラウンドのそばで満月を眺めているポーズをとっていると、彼が「絵里子さん、その表情、すごく可愛いです。最高です」といつものように言った。

私はその彼の言葉を止めて、「あのね、私、結婚してるの」と言った。

「知ってますよ。でも、僕、絵里子さんのこと、好きになっちゃったんで、どうしようもないし」

「私はそういうあなたの気まぐれには付き合えないの」

「どうしちゃったんですか、絵里子さん。僕、気まぐれじゃないですよ。本気で絵里子さんのことが好きです。だからこんな風に可愛い絵里子さんを撮影しているんです」

満月が私の方をずっと見ているのに気がついた。

家に帰って、「恋を止める方法」と検索してみると、こんな3つの提案があった。

①彼のメールやメッセージは全部ブロックしてしまって、彼からの連絡は全て断ちましょう。絶対に彼の言葉に返事をしてはいけません。

②彼との思い出の写真やメールのやり取りは、全て完全に削除してしまいましょう。彼の名前も絶対に検索してはいけません。

③他の男性と一緒に遊びに行きましょう。他の男性とドキドキしましょう。

その夜から、私はこの「恋を止める方法」を全て実行することにした。

全部を試し始めてみて、半年がたった。

彼からの連絡はなくなった。

たぶん私の恋は止まった。

あとほんの少しで私の恋は終わる。

これで私の恋は終わる。

窓の外を見ると、満月だった。もしかして彼もこの満月を見ているのかもと思った。


#新しいお月見

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