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〜四国を2日でサクッと〜私のJR乗りつぶし(1)〜J R四国

概要

 私は2021年4月に日本のJR線全ての乗車を終えた。中には乗車自体が難しかったり、窮屈な乗り継ぎや1日中の移動を伴いながら路線の乗りつぶしをするような区間もあった。しかし四国に関して言えば無理をせずとも、2日で乗り潰すことができる地域である。しかも切符が激安でほぼ通年購入することができ、日程が近づいてからでも旅程を組むことが可能。難易度の低さの一方、車窓は素晴らしくまた観光客も含めた乗客もそれほど多くないため、密を避け快適な旅行ができるため、コストパフォーマンスもJRの中で一番いいと思う。乗り潰しの観点でいえば四国を全て乗り潰しても800km強(JR全線の4%くらい)にしかならず、少し残念ではあるが、ぜひ乗車するのを楽しみにしておいてほしい地区である。私のJR四国の乗車歴としては、以前からごく短距離乗車していたのだが、2020年に結局全てもう一度乗車することになった。断りのない限り、以下2020年の乗車経験に基づいて記載する。

きっぷ

 8800円の「四国満喫きっぷ」を利用した。このきっぷで、JR四国全線と、土佐くろしお鉄道、阿佐海岸鉄道、JR四国バスの一部が乗り放題になる。四国ではこの切符の他にも期間限定でとてもお得な切符が発売されるので、タイミングを見て旅行するととてもお得に周遊することができる。お得な切符が発売されていない時期でも、自分の誕生月には「バースデイきっぷ」というきっぷを購入することができ、これも8000円くらいでJRが乗り放題になる(しかも同行者一人まで同じ切符を買うことができる)ので、知り合いが多い人であれば常時安い価格で四国旅行を楽しむことができる。切符の値段の面でも四国はとても旅行しやすいので、他の乗り潰しを優先して、空いたタイミングで四国乗り潰しの旅をするといいだろう。

行程

 徳島線と高徳線の存在が四国一筆書きを少し困難にしていて、これらの路線のどちらかには必ず二度乗らなければならない。私は鳴門から徳島線→室戸岬→徳島→松山→高知→高松、というルートで乗車した。

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*私の四国JR全線乗車行程。少しずつ乗っていた路線もあったのだが、最後の旅行で全てのJR線に乗ることができたので、その行程を図解している。金曜日の夜に徳島空港に降り立ち、日曜の夜にサンライズ瀬戸で帰るルートだ(実際ルートでは、サンライズには宇野線の乗り潰しをしてから岡山で乗車。)。

*具体の日程
○1日目(赤線):羽田空港19:20→20:35徳島空港→(8kmほど歩き(途中からバスもある)→鳴門22:05→22:14徳島
○2日目(橙線):徳島6:46→8:10阿波池田8:29→9:31御免9:43→10:49奈半利11:02→12:51甲浦13:33→13:45海部13:54→14:14牟岐14:20→16:11徳島16:46→17:44高松17:53→20:28松山20:45→伊予大洲21:21
○3日目(緑線):伊予大洲6:02→7:16松山8:09→9:30宇和島9:33→12:00岩井12:13→13:04中村13:10→14:00宿毛14:34→15:04中村15:10→17:00高知17:13→19:25高松21:26→7:08東京

3日目は予讃線海線の乗り潰しや高知より先の行程に余裕を持たせており、伊予鉄やとさでん交通の乗り潰しも行うことは可能だと思う(実際いのからごめん町まで路面電車に乗っても、一つ後ろの特急南風にギリギリ間に合う行程になっている。)。
上記行程通りに乗車できれば、四国の私鉄とJRを2日(+α)で乗り潰すことができる。乗りつぶしの日程は始発から終電までぶっ通しで乗り続けるなどタイトな日程となることも往々にしてあるが、四国の乗り潰しでは5時台や23時台に乗車しなくとも無事完乗は果たせるので、体力や食料の心配は不要である。

予讃線

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高松→坂出 : 21.3 km( 2019/11/21 )
坂出←宇多津 : 4.6 km( 2016/1/2 )
宇多津→今治 : 119 km( 2020/12/5 )
今治→松山 : 49.5 km( 2019/11/19 )
松山→向井原 : 14.1 km( 2020/12/5 )
向井原→宇和島 : 89.1 km( 2020/12/6 )
向井原→内子 : 23.5 km( 2020/12/5 )
新谷→伊予大洲 : 5.9 km( 2020/12/5 )
 四国のメイン路線であり、貨物列車も特急列車も走るような路線ながら、1両編成の普通列車が単線で行き違い、特急に抜かれノコノコ走る。そのギャップに「かわいい」という情が湧くのを禁じ得ない路線である。「かわいい」と一口に言っても超大路線なのでそれぞれの区間で印象も異なる。高松から多度津は本州方面の電車が行き交い、四国にいるという漢字はあまりない。多度津からが予讃線のハイライトで、前述のような設備の貧弱な区間を多くの列車が走る。伊予市を過ぎると予讃線はいわゆる内子線を分け、超インスタ映えスポット下灘駅を経て大洲城を要する大洲へ。この区間も素敵である。最後はみかん畑をかき分けながら宇和島に着く。肱川が進行方向に流れていたと思ったら今度は逆向きに流れており、この蛇行ぶりから同じ川であるとは最初は気が付かない。
 車窓がよく見える座席は、北側ー西側(海向き)がおすすめ。工業地帯を交えつつ海を遠くに望む高松ー伊予西条間、瀬戸内海の島々ののどかな風景が手に取ってわかるような伊予西条ー伊予大洲間、みかん畑と肱川・宇和海の織りなす風景が素敵な伊予大洲ー宇和島間と、長大路線でありながら飽きのこない車窓が続く。

坂出駅

 本州からの列車と四国の大幹線を走る列車が出会う駅で、運転系統上の一台ターミナル駅で交通の要衝である。実際に乗り潰しをしていても乗りかえで立ち寄る機会も多いものと思われる。乗り潰している道中にご飯を食べたいと思った時、真っ先に食べる場所として思い当たるのは乗り換え駅で、ご飯が有名なところだろう。すると、交通の要衝でありうどん県として名高い香川のしかも坂出であればなんでもあるように思われる。坂出には大きな町もあるし、なんだか巨大なショッピングモールも駅から見えるし絶対にうどんくらい食べられると思ったら大間違いなのである。うどん屋もあるにはあるが駅前のうどん屋はすぐに閉まってしまい、しっかり夕食の時間までやっているうどん屋は駅から徒歩15分の国道沿い。坂出駅前にはイオンタウンだってあるのに、その実高松のベッドタウンとしての坂出市の住民のためのスーパーくらいの機能しか果たしておらず、ちゃんとした中心市街地は駅から離れた国道沿いにあるのだ。

今治駅

 今治は造船とタオルのまち。とはいっても駅前の雰囲気から工業都市の風情はあまり感じられない。駅前のコンビニやスーパーでは必ず今治タオルが一押し商品として目立つところに置かれている。今治では、レンタサイクルを利用してしまなみ海道を走った。しまなみ海道に架かる橋はいずれも大きな橋で、海面からの比高はおよそ100m。電動自転車でもこれを登るのはとても大変で、当初は今治から尾道まで50kmなら走れるとたかを括っていたのが完全にやられてしまった。しまなみ海道を走る車道である西瀬戸自動車道に関しては標高100mくらいの位置をずっと維持して、山の上、橋の上を平たい道路で結ぶのに対し、自転車・歩行車道はいちいち橋を渡ると地上まで降りなければならないのだ。真っ直ぐ軽快に走る自動車を横目に橋を渡り終えた時に坂を下ると、下る時はスピードが出ていいのだが、下り切って上を見上げた時に絶望することになる。しかし一つ一つの島で集落のある高さまで下ることで、それぞれの島を十分味わうこともできる。私は伯方島の塩ラーメンとお魚を堪能することができて、心底満足した。

松山駅

松山駅は松山市街の外れにあるので、寄り道して中心市街に向かおう。路面電車に乗ると大手町が中心市街地。松山城の下にある県庁を過ぎると、いよいよ松山城がとても綺麗に見える。松山城は街の中にある山城の中で一番美しいのではないだろうか。そして最後、路面電車は道後温泉に到着する。道後温泉の本館はとても歴史を感じる古い建物の中に入っており、本当に中に温泉があるのか、あったとしても入っていいのかと不安になるが、400円を払って入って仕舞えばそんな不安もなんのその、とてもノスタルジックな欲情ではあるものの普通の銭湯となんら変わらない。地元のおじちゃん、おばちゃんが語らういつもの銭湯の光景が広がる。

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* 下灘駅。予讃線は高松から松山を経て、その先宇和島まで向かうが、その松山の先の区間のうち伊予市から伊予大洲までの間は海に極めて近いところを走る。幹線を成すにもかかわらず土砂災害の危険性が高いこと、線形改良がしにくいため高速化の障害になっていたことから、この区間は内陸に「内子線」という路線を敷設し、特急などの速達列車はすべて内子線を通ることになったため、予讃線の伊予市から伊予大洲の間は「予讃線(海線)」だとか、「愛ある伊予灘線」だとかと呼ばれ、もっぱらのんびりなローカル線としての役割を果たしている。最近になって青春18きっぷのポスターに途中駅である下灘駅の上屋・ホームと遠景の瀬戸内海の写真が採用され、それがTwitterやインスタなどで拡散。一気に有名な駅になり、鉄道オタクでなくとも映えスポットとして大人気に。今や「下灘駅」で通じない人の方が少ないのではないか。

廃止路線:仁掘航路

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 本州四国を結んでいたもう一つの航路。広島県呉市の呉線・仁方駅近くと松山市の予讃線・堀江駅近くを結ぶローカル航路だった。呉の中心部から出ているわけでもない、松山の中心部から出ているわけでもないこの路線は、宇高航路に比べると輸送力・知名度・利便性は格段に悪かったという。戦後、輸送力が逼迫していた宇高航路の輸送力増強のため2番目の航路が必要とされ開業したものの、駅から港には行きにくく、また呉から松山の中心地相互を結ぶ民間のフェリーにも押され、全く太刀打ちできなくなってしまった結果1982年に廃止された。利用客があまりいなかったためか、趣味的にも記録があまり残っていないのが残念なところではあるが、特筆すべき点として、この航路があったことにより本州と四国を結ぶルートが2つあったということが挙げられる。このことが何を意味するのかというと、通常切符は片道でしか発行できない(乗車区間は重複してはならない)というルールがあり、その制約があるがために、本州から一旦四国島内に入ると、本州四国間の連絡船が1本だった場合同じ切符で再び本州に戻ることはできない。しかし仁掘航路があることで、宇高航路を使って四国党内に入り、島内をぐるっと一周して仁掘航路を利用して広島に戻ることができた。これにより、日本全国を片道切符で旅行するときに、そのルートに四国を組み込むことができていた。現在では本州四国間の路線は瀬戸大橋線しかないため、趣味の観点から仁掘航路の存在は今ではとても興味深いものである。

本四備讃線

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児島→宇多津 : 18.1 km( 2016/1/2 )
 この路線の特徴はなんといっても、愛称である「瀬戸大橋線」が表すように、「一本列島」を象徴する、瀬戸大橋である。毎回、船でのんびりと海峡を渡れない味気なさと、海の上を走るワクワクが混じる。景色がいいのも素敵なのだが、長大橋ならではの楽しみ方として、まっすぐ敷かれたレールをガタゴトガタゴトと走る列車の音それ自体を楽しむというものがあり、夜のサンライズ瀬戸で電気を消して、カーテンを開け放ってラジオをつけながら渡った瀬戸大橋が一番好きだった。
 車窓は左右どちらの座席に座ってもそれほど変わらない。児島から瀬戸大橋手前(鷲羽山トンネル)までは山を突っ切るトンネルとこじんまりとした駅を擁する谷間が連続して里山的情景。瀬戸大橋からは車窓両側に広がる瀬戸内海を望むことができる。瀬戸大橋線にはサンライズ出雲・及び快速マリンライナーという2種類の2階建て車両を連結した列車が走っており、これらに乗る際は2階の座席を指定して乗車するとより迫力のある風景を楽しむことができると思う。


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* 瀬戸大橋。本四備讃線のハイライト区間であり、海の上を電車が走る日本でも数少ない区間である。瀬戸大橋は一つの橋の名称を表しているのではなく、いくつかの橋の総称である(※)。写真中央の線路2本が本四備讃線の上下線で、上には高速道路(瀬戸中央道)が通っている。ちなみに線路の両側にスペースがあるが、これは将来四国新幹線を建設することになった時のために用意されているものである。この橋を電車で渡ると大体15分くらい橋の上を走る。ずっと海が見えて、橋を眺めるもよし、島を眺めるもよし、船を眺めるもよしと大変贅沢である。ではこの橋を景色がよく見える日中にしか楽しめないのかというと、そうでもない。上述のように僕はサンライズ瀬戸に乗ってごとごと音を立てながら橋の上を走行して遠くに見える明かりをぼんやり眺めながらラジオから流れる音楽を聴くのが、これが最高なのです。高松からサンライズに乗っても正直あんまり所要時間変わらないよね?と言っている人にはそんなのもったいない、瀬戸大橋を渡るべきだよ!と声を大にして伝えたい。

※下津井瀬戸大橋・櫃石島高架橋・櫃石島橋・岩黒島高架橋・岩黒島橋・与島橋・ 与島高架橋・北備讃瀬戸大橋・ 南備讃瀬戸大橋・ 番の州高架橋の10橋(下線は特に目立つ橋)

廃止路線:宇高航路

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 岡山の宇野から高松を結ぶ路線で、本四備讃線(瀬戸大橋線)の前身にあたる。瀬戸大橋線ができた1985年に、実質的に連絡船としての役目は終えた。かつては東京から宇野まで直通列車(夜行含む)が運行され、乗客は船に乗り換えて高松に向かい、高松から列車に乗ってそれぞれの目的地を目指していた。宇高連絡船は乗客だけでなく、荷物や列車(!?)も積み込むことができた。船にはレールが敷かれ、地上のレールと接続させてそのまま列車を走って入れることができたのだ。列車を入れる際は機関車で列車を外から押しながら入れることになる。一度は乗ってみたかった。穏やかな瀬戸内海とはいえ、天候が悪化すると船は運休する。また、悪天候の中出帆した船が沈没してしまった、国鉄五大事故の一つである「紫雲丸事故」が1955年に発生。168人の死者を出す大惨事となったこともあり本州四国間の架橋構想が一気に高まり、瀬戸大橋の建設につながった。


内子線

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内子→新谷 : 5.3 km( 2020/12/5 )
 運転系統上は、予讃線と一体となって運行される路線。この路線に関してできる話といえば、鉄道建設公団による鉄道建設の話題だろうか。政治的判断で凍結されてしまった建設計画がなんとか進んだが、地方交通線のまま開業し、今に至る。内子は県境に近いところで、山奥で田んぼを中心に農業が営まれており、日本家屋が多めの風景で、武士の奥座敷といった感がある。高速道路が車窓の高いところを突っ切っていくが、鉄道もそれに負けじと頑張って走るところが萌える。
 内子線単体で言えば、南側車窓が谷の開けた側をよく眺めることができるので宇和島方向に向かって左側の座席がおすすめだ。

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* 特急宇和海。松山から宇和島の間を走る特急で、昔は松山から高松方面や岡山方面に直通していたという。この特急は、予讃線の新線として建設された内陸部を走る内子線を経由することで、従来に比べて大幅なスピードアップを実現しており、多分旧線を走っていたら30分は余計にかかっているのだと思う。しかもこのN2000系車両は振り子式車両で、きついカーブでも振り子装置を作動させて車体を傾けることで、高速で走行しても乗客の乗り心地を損なうことなく(乗客にかかる遠心力を減らしているため)走ることができる。

予土線

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若井←北宇和島 : 76.3 km( 2020/12/6 )
「のんびり」とはこのことだったのかと気付かされる路線。普段自分がのんびりしていると思っていることは全てのんびりではなかった。四万十川の流れと20kmくらいで走る予土線は、自分の価値観を揺さぶってくる。主要な駅でも電波が通じなくなるし商店もない(電波が通じない路線は多々あるが、主要な駅前ではさすがに電波は通じるし、商店もある。線路沿いほとんどの区間を通して(主要駅前にも)商店が本当にないなんてことは三江線と予土線でしかなかった。大体の路線には線路沿いに"主要な”国道がありそこにコンビニがあるものである。)ので、美味しいご飯と読書の準備があるといい。四万十川は進行方向両側に繰り返し現れるので、どちら側の席もお勧め。

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* 予土線の列車。四国には新幹線がないこと、予土線の列車の速度の遅さを逆手にとって新幹線を走らせようというアイデアを閃いたらしい。1両編成の新幹線(しかもハリボテ)がコトコト走るのはめちゃめちゃシュール。これだけのために四国に行く価値があると僕は思う。

高徳線

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高松←池谷 : 64.2 km( 2020/12/5 )
池谷←徳島 : 10.3 km( 2020/12/4 )
 特急街道。県庁所在地相互間を結ぶ路線だけあって、高規格な線路が整備されている上に車両も高性能の振り子式車両が用いられている。振り子式車両が使われていてもその振り子機能を存分に使える路線は意外と少ないが、高徳線では振り子をフルで活用し、その真髄を感じることができる。高徳線に乗車するときはぜひ特急に乗ってもらいたい。あっという間に高松に着いてしまった。高松に急いでいるときは栗林でことでんに乗り換えるのが裏技(というほどでもないが、ちょっとだけ早く着くことがあると思う。特に市街中心部に行くときはことでんの方が早いこともあると思う。)。
 車窓は海がチラッと見える北側がおすすめ。徳島平野部では両側に綺麗な風景が広がる。徳島平野が終わり讃岐山脈を越えるところでは平野を一望できる南側が景色がひらけて好きなのだが、見える時間は少ない。

徳島駅

 徳島は結構不思議な場所である。都市の規模としてはそれほど大きいものでないし、四国の中心高松から見ると本当に小さな街にしか見えない(そもそも架線から集電して走る「電車」が走っていない唯一の県であることが鬼の田舎感を隠しきれていない)のだが、その地図上で見た印象とは裏腹に交通量も多く、賑わいも感じられる。というのも、明石海峡大橋を通じて直接関西圏につながっており、1時間〜2時間くらいで大阪に行けてしまう立地にあるのが要因として大きいようである。実際、徳島は便利だと思う。東京からも飛行機で1時間、新幹線とバスで3時間半。すぐ着くのに遠くに来たことを十分に実感できる距離感と田舎感がありつつ、人の営みを所々で感じられる。こうした良さもあり、徳島には必ずしも出勤が求められないテレワーク主体の働き方ができるIT企業などが東京から移ってきているという。
 しかもご飯が結構美味しい。山菜が豊富、海鮮も豊富でバランスの取れた美味しい色を味わうなら徳島ではないか。アクセントとして生産量1位のすだち。徳島ラーメンにも使われている。徳島駅によったら駅前の徳島ラーメン屋さんにふらっと入るのがおすすめだ。

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* 特急うずしお。高徳線の列車は気動車なのにめっちゃ早い。エンジン音が体に染み渡ると幸せな気分になっているとすぐ着いてしまう。脳内がうずしおになってしまっている。

廃止路線:鍛冶屋原線

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 吉野川の左岸を進む(進みきれなかった)路線。鉄道敷設法では美馬市の穴吹まで繋がる予定だったという。高徳線よりも先に開業していたため開通当時は鳴門線の接続があった池谷からの路線であった。しかし利用客はほぼなく、戦時中は不要不急線として休止されレールは貴重な鉄資源として軍事利用されるなどほぼ骨抜き状態の路線であったという。1970年ごろに廃止された。

鳴門線

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池谷←鳴門 : 8.5 km( 2020/12/4 )
四国では珍しい短距離盲腸線。こいつがなかなか曲者で、徳島での旅程を組むのに苦労する。高速バスで鳴門に降り立つのが最善手だと思う。路線を総括するとゆっくり走る地域路線という感。人口稠密な区間を走るものと思っていたが田畑の広がる区間ばかりで、存続が心配になった。乗り潰す際は池谷から鳴門の区間列車に乗るよりも、徳島を起点にして徳島から鳴門までの直通列車に乗車する方が楽だと思う。池の谷を起点にするのは結構難しく、普通列車の時間も規則的でなく読みにくい上に乗り継ぎも悪く、特急も停車しないものが多いなど不便が多い。

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* 鳴門駅。金曜日、仕事終わりに徳島空港まで飛行機に乗り、その後空港から鳴門駅まで7kmくらい歩いたのでもうヘトヘトだった。なんとか列車に間に合い、ヒイヒイ言いながら撮った記憶がある。写真でも分かるように鳴門市街もそれなりに人がいそうな感じだったので、都市近郊路線として75kmくらいで走るのかと思いきや、45kmくらいしか出さない路線だったので拍子抜けしてしまった。

徳島線

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佃←佐古 : 67.5 km( 2020/12/5 )
川沿いを走る路線である。線形が直線的なのはこの吉野川と徳島線が通る谷間が、断層(中央構造線)によって生まれたからである。川沿いの路線というのはカーブとトンネル、そして橋梁で過酷というイメージなのだが、徳島線は違う。さすが吉野川、河岸段丘が発達しており、かなり上流まで平地が残されているため、徳島線の線形はとても良好。景色もよく、気に入った。キツ過ぎないカーブと、段丘を上下する勾配と、良好な線形のおかげで、ジェットコースターのような乗り心地。長過ぎない乗車距離ということもあり、四国の中で一番好きな路線であった。

祖谷

「いや」。あまり広く知られた地名ではないが、四国を旅する人には知られている地名かもしれない。かつて平家の落武者が住み着いたことで人の生業が始まったところだという。「祖谷のかずら橋」というかずら(つる性植物)をよって作られたワイヤーを何本もさらによって、川を渡る橋を作ったというものがある。そうした橋が残るほど、物資が豊に届く場所ではない、山深い場所で最近まで近代的な生活が導入されてこなかった。古い日本家屋が残り、そばを作るという営みが行われており、今でもその一部は続いており日本人よりも外国人がその生活感に引き込まれて大変海外から有名で移住する人もいるという。日本人にも特異な場所として、落合集落の急傾斜に整備された畑と古民家がある。かつて「鉄腕DASH」でも大きな流しそうめんを集落の上から下まで町ぐるみで行うという企画を行っているほどの急な坂に作られたまちは見るものを圧倒する。それらの街を、「奥祖谷モノレール」というミカンばたけでよく使われるようなモノレールに乗車して上から見下ろすことができ、2000円で1時間半楽しむことができる。ベース駅から最高地点までの比高は確か600mくらい(標高1400m)に及ぶ。山奥に向かうときの簡易郵便局の佇まいもとても素晴らしいもので、人の追ってから逃れて住み着いた平家の落武者の生活がいまだによく残っているような気がする。

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* 徳島線を走る特急剣山(左)。徳島線といえば吉野川と剣山。祖谷渓も抱え、観光資源が実は豊富で僕も好きなのだがどうも有名にならない。徳島線自体も軽快に列車が走る路線で景色も綺麗なので自分が満足しただけでなく、人にもおすすめしたい路線だった。紅葉の時期に行くと8割増で素敵な景色になることを請け負う。さらに、なぜだかわからないが冷え込んだ朝が徳島線には似合う気がする(自分が乗った時間だからかもしれないが…。)。少し冷えた朝の乗客乗務員の白い息、まるで昭和を閉じ込めたような駅舎と車両の冷たい木の温度、鋼鉄の冷たさが手にとるように感じられて、強烈なノスタルジーを今執筆している自分に思い起こさせる。多分、再訪しても同じ気持ちになると思うし、誰が訪問しても同じ感覚を味わえるのではないかと思うので、何が言いたいかというと紅葉がハイライトを迎える11月最終週に四国を訪れ、徳島線に乗車してほしい。

牟岐線

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徳島→阿波富田 : 1.4 km( 2020/12/4 )
阿波富田←阿波海南 : 76.4 km( 2020/12/5 )
牟岐線は、四国東岸の町を結びながら室戸岬に向かうのんびり路線。徳島県は内陸部にも広がっていて大きめな県に見えるがその内実はほぼ山ということもあり、多くの日は海沿いに住んでいる。そのため沿線の小松島、阿南、牟岐は人口もそれなりにいて、閑散という感じはあまりなかった(とはいえ御多分に洩れず典型的なローカル線であることに違いない)。阿佐海岸鉄道のDMVに乗りたいと思っているので、再履修が必要。

甲浦

かんのうら。牟岐線の終点阿波海南から3駅ほど先に行ったところにあり、ここで徳島から続いている線路も終点になる。この駅だけ高知県は東洋町に所在しており、本当に線路を、室戸岬を経て高知まで伸ばしたかったんだな…という気概を感じる。

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* 牟岐駅。奈半利から室戸岬を回ってバス、阿佐海岸鉄道と乗り継いだので、なんだか疲れてしまった。使えるちゃんとした写真がなかった・・・。山間の農村と漁村を結ぶ路線、阿南市街地から徳島市街地までを結ぶ路線という2つの大きな性格を持っている路線かなというのが私の印象だった。

廃止路線:小松島線

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 かつて小松島港が徳島港よりも入港しやすかったことから、その小松島港までの利便を図る路線として開通した。しかし利便性の悪さは解消しきれず、徳島港に入港する船が多くなったことからその役割を終えることになり、1981年に廃止された。人口の稠密な区間であったことから地域輸送も小松島線の輸送人員の多くを占めていたという。

寄り道:阿佐線(阿佐東線・阿佐西線)

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(注:赤線は現在線(土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)・阿佐海岸鉄道阿佐東線)。ピンク点線は未成区間。なお牟岐線として開業している区間(阿南ー阿波海南間)は特出しで掲載していない。)

 阿佐線は四国一周路線の一部であり、鉄道敷設法では後免から室戸を経て徳島の阿南に向かう路線と定められていたものである。阿南から牟岐までは国鉄により牟岐線として建設され開通している。また一部は日本鉄道建設公団のAB線として実際に建設が進められ、牟岐から阿波海南までが牟岐線として開通した。国鉄再建法の施行により、一旦工事が中断され、建設が放棄された区間では長大なコンクリートの高架橋の見た目から「万里の長城」と呼ばれていたという。その後阿波海南から甲浦は徳島県の第三セクターである阿佐海岸鉄道が、後免から奈半利までは高知県の第三セクターである土佐くろしお鉄道が運営を引き受けることになった。現在では奈半利から甲浦までがバスで結ばれており、運行頻度も1時間に一本程度あり気軽に室戸岬周遊の旅ができるようになっている。実際にそのような周遊ルートでの観光は公的機関も促進しているところであり、観光客によるシームレスな周遊も主眼におき、阿佐海岸鉄道には「DMV」(Dual Mode Vehcle)と呼ばれる列車とバスの機能を両方担う世界初の車両が導入される。この車両には道路を走れるタイヤと線路の上を走る車輪の2種類がついており、モードチェンジ部において車輪の出し入れを行い、線路と道路を直通することができる。この車両があることで、乗客はいちいちバスに乗り換えずとも勝手に列車が道路に直通していくことになる。乗り換えが減り便利になる上、世界初のもの見たさで集まる人々にお金を落としてもらおうというのが目論みのようで、実際とても面白い取り組みだと思うので興味を持った方は是非言って欲しいなと思うところだ。

土讃線

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多度津←佃 : 38.8 km( 2020/12/6 )
佃→後免 : 77.4 km( 2020/12/5 )
後免←窪川 : 82.5 km( 2020/12/6 )
土讃線は、四国の中央を「ぶち抜く」路線だ。四国を縦断する路線は土讃線しかない。なぜなら、四国の中央には険しい四国産地が横たわっており、これを越えるために土讃線も相当な苦労を強いられている。実際に乗車すると、よくぞここに幹線鉄道を通した、という感嘆に尽きる。高松・岡山側から乗車すると、まず琴平を過ぎると電波も通じないような山間に入り、長いトンネルを抜けて吉野川流域に出る。一旦ぐいぐい標高を下げ、阿波池田。大歩危、大杉にかけぐいぐいカーブを描きながら標高を上げ、分水嶺を越えるとスイッチバックで有名な新改を含む区間、土佐山田まで急勾配をトンネルを交えながらすごいスピードで降る。高知平野に入ってからもスピードは落ちず、全速力で駆け抜ける。そして最後は窪川に向けて長大トンネルで須崎の海岸から四万十川の中流へと、200m近い標高を無理やり突き抜ける。何をとっても角ばった性格の「強引な路線」という印象。
高知・いの町(伊野駅)から洲崎市にかけては一旦川を下る海沿いのルートと峠を超えて海にいたる山沿い(佐川町を通るルート)のルートがどちらも取れるように見えるが、政治的な駆け引きの結果山沿いのルートどりになったと前に座った座席の乗客が言っていたのをよく覚えている。
 車窓は多度津から琴平の平地を走る区間では東側(高知に向かって左側)。開けた景色が続く。琴平から阿波池田までの間は西側(高知に向かって右側)。途中にある坪尻駅というこちらもスイッチバックのある秘境駅が現れ、そして阿波池田にかけて吉野川の盆地を望むことができる。阿波池田を過ぎてからしばらくは東側(高知に向かって左側)が吉野川の渓谷(小歩危)だが、小歩危駅を過ぎて大歩危に到達すると今後は反対側(高知に向かって右側)が川沿いに広がる渓谷を眺められる。高知平野では両側に開けた田んぼが広がる。洲崎から窪川は、一気に標高を上げる区間。海がよく見える、窪川方面に向かって左側の座席がおすすめ。

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* 高知駅。土讃線の一つの区切りである。土讃線は偉大なる幹線だと思う。険しい山を超え険しい山を越え、険しい山を越えに越えて、高知の人々の暮らしを支えているからだ。その重大な使命を背負いつつ、琴平までの参詣客の輸送、吉野川沿いの地域輸送、大歩危までの観光輸送、高知近郊の都市輸送、そして窪川より先へ人々を誘うという何重もの顔を持っている。にもかかわらず、四国を縦に貫くというそのイメージばかりが先行してしまい、それ以外の面にはあまり注目が集まらない感があるのも応援してあげたくなる土讃線の可愛いところだと思う(何を言っているんだろうか…)土讃線には心の底から惚れてしまう。いつまでも、窪川までの完全な土讃線であって欲しいなと思うところだ。

寄り道:中村線・宿毛線

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(注:赤線部が現在線(土佐くろしお鉄道中村線・宿毛線)、ピンク線部が宿毛線未成区間。)

 現在は第三セクターである土佐くろしお鉄道が運営しているが、中村線・宿毛線は国鉄が運営主体となる予定だった。実質的には土讃線の延長であるから、全線が国鉄の路線として開通していれば土讃線の一部として組み込まれたのではないか(ちなみに中村線として中村までが開業した時点では国鉄中村線を名乗っていた)。最近まで高松からの特急南風号の一部が宿毛まで乗り入れていたし、今でも高知から特急あしずり号の直通列車がある(高知で岡山・高松方面に乗り換え。)。しかも、中村駅にはなんと東京までの特急乗り継ぎ時刻表まで置いてある。どれだけ高知県が鉄道ではアクセスしにくい場所でも、こうして鉄路に誇りを持って仕事をしてくれている人がいるのを見ると感極まってしまう。ちなみにこの路線のある高知南西部は本当に東京からアクセスしにくく、鉄道だけで行くと新幹線・特急を使っても8時間ほど、飛行機を使っても高知空港まで1時間半、高知からも車で3時間ほどかかる。半島の先端にある土佐清水市は東京から最もアクセスのしにくい(所要時間のかかる)自治体だそうだ。そんな不便さもあり、四国一周鉄道(内陸周り・今の予土線)の通過する窪川より先の宿毛までの区間は鉄道敷設法予定路線ではあったものの日本鉄道建設公団のAB線として建設が開始されたのがそもそも1963年からであり、すでにモータリゼーションが急速に進んでいる時代であった。国鉄再建法が成立した1980年には建設は一旦中村でストップし、中村線も特定地方交通線の第3次廃止対象路線に指定された。そして宿毛線区間は建設計画を宿毛までに改めた上で、両路線を土佐くろしお鉄道が引き受ける内容で決着がつき、引き続き工事が進められ完成の運びとなった。ちなみに土佐くろしお鉄道中村線・宿毛線は建設が上述の経緯でかなり最近になったため、かなり高規格な路線になっており、列車はスピードを出して走る。トンネル区間も多いが、その反面橋梁区間も多く、海側(南側)座席に座ると広い太平洋を独り占めすることができる絶景路線だ。

土佐清水
 行くも帰るも途方もない奥地にある都市。人口1万人。ここより先に行くことはできない感じが漂い、ただでさえ奥地であることを否めない高知県の、その中心部からのびる鉄道路線や高速道路の終点を通り過ぎ、さらに2時間弱進んだところに土佐清水はある。上述したが、日本で最も東京から到達まで時間のかかる「市」なんだそうである。街にある信号の数は2桁どまりだろう。本土にありながら果てに立地しており、まるで離島にいるかのようなのんびりとした時間が流れる。魚ともんじゃ焼きがとても美味しい。

おまけ:鉄道敷設法予定路線

ここまでは乗車済路線と廃線をご紹介してきたが、最後に未成線にも触れようと思う。鉄道敷設法(大正11年法律第37号)の別表に建設予定線として掲げられた鉄道路線のうち、四国の部として分類されていた路線をご紹介する。

■香川県の未成線…川之江線・綾川線

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川之江駅から阿波池田駅を結ぶ川之江線、高松からほぼことでんに沿って琴平を目指す綾川線。

■高知県中央部の未成線…高岡線・蕨野線

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西側が土讃線の波川駅から分岐する高岡線、東側が土佐山田駅から分岐する蕨野線。

■愛媛県・高知県西部の未成線…久万線・大野見線・四万十線・宮ノ下線・肱川線

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ピンク色:松山から砥部町・久万高原町・仁淀川町・越知町を通り西佐川駅に至る久万線。
青色:仁淀川町崎ノ山で久万線から分岐し、四万十川沿いに土讃線窪川を目指す大野見線。
赤色:予土線江川崎から四万十川沿いに中村を目指す四万十線。
オレンジ色:伊予大洲から肱川沿いに出目を目指す肱川線。
紫色:予土線のスピードがでない宇和島から伊予宮ノ下間を経由しないショートカット路線である宮ノ下線。
茶色:宿毛線延伸部。

(おことわり)

画像は全て筆者撮影。地図は国土地理院の地図(縮尺不記載・方位は全て上が北・座標系:EPSG 4019)。路線データは国土数値情報をもとに筆者加工。

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