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一期一会がつきものならば

12月の北風は「ああ冬か。でもこの寒さ、嫌いじゃないわ」と毎年思う。そして一月二月になると「ひーこっちがほんとの冬か!だまされたぜ!!いやだ寒すぎるう!」ってなります。
だから毎回12月は「冬本番」ではなくってまだ「プレ冬」。
肌寒さ心地よく紅葉もギリギリ薄く残っている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

11月は風邪を引いたのもあって鬼ほどぐうたらしていたのに、12月に入ると師走へ向けてにわかに忙しくなってきた。
そのスタートが二週にわたるワークショップ。
一週目はWagさんの主宰するアクターズラボで、二週目は豊橋PLATでの朗読×演劇ワークショップでした。

ワークショップ、KAKUTAでかつてはしょっちゅうやっていたのだけど本当に久しぶり。年々やる機会が減っていったのは、毎度毎度始まるまで「楽しんでもらえるかしら・・・」と心配でならず当日までずっとお腹の辺りがぞわぞわしてしまうから。
新しい人に逢うのは素晴らしいことで、でも、だからこそ体力を要する。

作品づくりで出逢うなら、出演者と少なくとも一ヶ月は一緒にいられる。けれどワークショップは長くて一週間、短くて三時間。ひょっとするとなにひとつ有意義な時間を作れずに「なんだこいつ」と思われてお仕舞い、なんてこともあるわけで、そう思うとお腹がぞわ・・。
だけど、ひょんなことで昨年再会したwagの主催者・澤口さんの誠実なお人柄に、なぜだかつい、やりますやりますと引き受けてしまった。
おかげで12月に入る前からぞわぞわしっぱなし。
「なんとかして断れないかしらん」とギリギリまでビビりつつ、当日を迎えてたら。

やっぱり素晴らしかったです。
ワークショップってほんと、良いよね。(単純すぎる)

本日の扉絵はラファエロ「アテナの学堂」
ワークショップで空間構成を考える「絵」というワークをやるときに思い出してしまうのがこの絵。中央にアリストテレスとプラトン、いろんな哲学者たちが介している、見事な配置。手前の太ももあらわなおっさん(哲学者ディオゲネス)のポージングがなんとも良い。

いや、わかってた。
始めちゃえば緊張もあっちゅうまに消えるし、面白いし、参加してくれた人たちに興味が湧いてゆく。それぞれの良いところが見えたら一緒に何か創りたくなって、ああもうすこし、とおもう頃に終わってしまう。
そういうものだということを。

ワークショップには興行を打つという目的、公演を成功させるという目標がないから、私も俳優も各々がプレッシャーから解放され自分のペースで考え、発見し、挑戦できる。正解を誰も持っていないから自然とお互いに尊重しあって創作する。
本当は普段の芝居づくりだってそうあるべきなのだけれど、脚本や演出が正解であるっぽく勘違いしてしまう。だから、こういう機会に気づかされる。
そうして理想的な環境でお互いにのびのびと向き合うと、この人たちと一緒に何かやりたいなあ……とやっぱり「目的」が生まれてしまうというわけ。ある意味、円環構造のジレンマ。だから最終日はいつだってすこし切ない。
この充実の出逢いと別れが切ないから、ワークショップは好きだけどしんどい、といつも思うんだろうなと書きながら気づきました。

演劇には「一期一会」がつきものだけれど、私はその一期一会が、もしかすると苦手なのかも知れない。一回きりでお別れするというのがいやだから、劇団をやってきたのかもしれない。

その切なさを払拭するべくやったのが二週目のPLATワークショップ。
こちらはKAKUTAがやっていた朗読公演を下敷きにした企画なのだけど、昨年PLATで「甘い丘」を一緒にやったメンバーや、「市民と創造する演劇」「高校生と創る演劇」に出演した面々にお声がけして、不定期で良いから継続してやっていきませんか、という試み。
だから初めましての出会いもありつつ、お馴染みの豊橋の仲間とまた創作に取り組めるという嬉しい機会だった。

この、市民と創造する演劇「甘い丘」を見て、いたく感動したという人たちが、東京からワークショップに参加すると言ってやってきた。

KAKUTA入団20年の方々
(ハワイこと松田君、せんだみつおこと横山さん、旅人こと野澤さん)

松田昌樹と横山真二はもう大分前に就職して社会人になってる。だから普段は仕事しているんだけど、ここ数年の間に自らを「KAKUTAセピア」と名乗り(ちなみに現役俳優は”カラー”と呼ぶらしい)、セピア組だけで仕事しながら公演を打てないものか画策しているそう。その理想型が「市民と創造する演劇」だそうで、週末だけのワークショップに来たというわけ。

アシスタントで来てくれたメンバー含め、KAKUTA40代組が豊橋に集合するという謎の事態。

一緒にワークショップするなんてもう15年ぶりくらいかもしれない。しかし横山も松田も相変わらずだった。あいかわらずうまかないし、クセも強いけど、謎に面白い。ひさびさ腰が砕けるほど笑った。
昔、KAKUTAで横山さんを演出していたとき「うん、多分全然お客さんには伝わらないと思うけど、私が死ぬほど面白いからもうそれでいい。いつかお客さんも理解してくれるし、してくれなくてもいい」と、クオリティより横山さんのオモシロをとった思い出がある。そんなこと初めてだったし、その後もないけれど、今でもあの判断は間違っていなかったわ。

「最近モノクロにこっててさ」とオシャレな感じで写真を撮ってくれた松田君、送ってくれた写真の8割がピンボケだったよ

良いワークショップだった。
最後のグループ発表が、グッときたりゾクッとしたりどれも面白かった。
お馴染みの面々と遊べたしまた新しい豊橋の仲間が増えた。

一期一会じゃなくて、刹那じゃなくて、続いていくものを創りたい。

続いていくものといえば、昨年「火球」という舞台の取材で知り合った宮崎の離島・島野浦の漁師さんたちとも相変わらずワイワイやっております。

そんななか。

近ごろSNSでまた、演劇にまつわる胸が苦しくなる出来事を知った。
ほんと、どうしてなんだよ。寒気がする。
「こんな演劇界は潰れてしまえ」「焼け野原になれ」と、誰かが言う。
演劇を知りもしない人がそういうのはどうでもいい。そんな言葉には潰されないから。けれど傷つけられた女の子がそう言うのを聞くと悲しくてたまらない。
違う、そんなの本当の演劇界じゃないよと言いたくなるけれど、その人が体験したことがその人の世界で、その絶望が真実ならば、私の世界を押しつけたとて意味がない。それが辛い。
その人が、だれか、ひとりでも心から信頼できる演出家に出会えていたら、そんな風に言うだろうかといつも考える。自戒を込めて考える……。
だから今回のワークショップや、普段の創作現場でも、行動で示していこうと思った。どこかでつぶやくとかじゃなくて、自分のからだで、活動で示して、信頼関係のある環境を創っていこう。
なのに、やってもやっても、こういうことがあると……、
知らない誰かがいう「潰れてしまえ」も、本当に刺さるよ。

演劇には「一期一会」つきもので、いつだって続いていくものばかりじゃないなら、その一会に絶望なんてあってほしくない。
一会をどれだけ大切にできるか。かんがえる。かんがえていく。

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