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[人生にはBarが必要だ] 第7回 大阪ミナミ Barマスダ

現在私は東京在住だが、今年4月まで約7年半に渡って関西に在住し、大阪、京都、神戸のいわゆる「BAR三都物語」と勝手に銘打って、多くのオーセンティックBarへと足を運んだ。また、奈良や和歌山、三重のBarにも魅力溢れるBarが多く、関東とは雰囲気が異なる近畿地方のBar文化にもどっぷりと浸かってきた。

そんな関西をはじめ、ようやく国内各地のコロナ禍が明け、最も混みあうようになったBarエリアはどこですか?と尋ねられると、私は真っ先に「大阪ミナミ」エリアと答えている。

大阪ミナミ 道頓堀 戎橋の賑わい

東アジアを皮切りに世界各国のいわゆるインバウンドのお客さんが最初にドッと押し寄せたのは、東京ではなく関西、特に大阪ミナミの道頓堀や心斎橋近辺の観光地であり、夕方から夜にかけての戎橋商店街や宗右衛門町は人混みで歩けなくなるくらいの回復ぶりで、タクシーが全然拾えない時間帯も多分にあったことを思い出す。

大阪宗右衛門町 Barマスダ 増田 隆史氏
カクテル:マティーニ

その大阪ミナミでも特に忙しくなったお店を挙げるのであれば、宗右衛門町を代表する1958年に創業なさった老舗Barマスダ。

オーナーバーテンダーは、「なにわの名工」として表彰を受けた増田隆史氏。私にとって「大阪宗右衛門町のお父ちゃん」というべき増田マスターは父親である増田 章氏から2代目としてBarマスダを受け継ぎ、自店だけでなく宗右衛門町全体の地域発展にもご尽力しつづける熱き浪花節バーテンダーである。

宗右衛門町商店街振興組合の感謝状

昭和の頃の宗右衛門町は実に風情のある歓楽街であり、有名な料亭等も点在し、大阪の中でも粋なエリアであったが、平成に入ってややしばらくしてからは多様な業態の路面店が乱立し、街の雰囲気も俗っぽさに包まれた。コロナ禍に入ってからはインバウンドも常連客の皆さんも影を潜め、飲食店の方々が苦労なさったことを思い出す。

そんな中で増田マスターは宗右衛門町商店街振興組合理事長として、休業支援金の早期手続きに向けた行政への働きかけなどにも尽力なさっていた親分肌なバーテンダーであった。

コロナ禍が明けたとほぼ同時に、宗右衛門町は呼び込みなどが一斉に通りに立ち、海外資本の路面店などもネオンを華やかに灯しはじめたかと思っていた矢先、インバウンドが爆発的に回帰した。その宗右衛門町にお店を構えているBarマスダにも海外からのゲストが次々と訪れ、1F、2Fのバーカウンターはほぼ外国人客で満席になってしまうことも間々あり、インターナショナルな会話が飛び交う状態になっている。

Barマスダ カウンターの風景

そのBarマスダのカウンターでマスターやスタッフと楽しく会話し、カクテルを楽しみながら海外ゲストの様子に目をやると、気づいたことがある。

一つ目は、日本のチャームチャージ料は日本固有なため、海外ゲストには理解して頂きにくい点。Barでドリンク料金以外にチャージ料がかかることについて、ご不満を持つゲストも多かったように感じた。

二つ目は、満席だった場合に入店をあきらめて他のお店に行くのではなく、時間をつぶして何度も足を運び入店する点。日本人の私なら、その日の入店は仕方なく諦めて別なお店へとシフトするが、私が見た海外ゲストは「あっ、またいらっしゃった!」という感じで繰り返しお越しになっていた方が多かったように感じた。

三つめは、今では少し変化したかもしれないが、コロナ禍明け直後は関西観光の後に東京方面へは行かず、帰国する方が多かった。大阪や京都、神戸を楽しみ、そのまま自国へ戻る方が東アジア、欧米ともに多かったように感じた。

液体窒素を使用したカクテルを作る増田マスター

いずれもBarマスダでの経験だが、国内外問わずゲストに対しいつも丁寧で、そしていつも誠実なご対応で、そしていつも最高のカクテルを提供しようとするおもてなし精神に溢れたバーテンダーが増田マスターであり、いつも活力を頂いていることにあらためて深く感謝申し上げる。

儀保 陸雲(ぎほ つくも)バーテンダー
カクテル:フライハイト

尚、増田マスターの片腕でもある儀保氏も数々の国内カクテルコンペティションで活躍しており、加えるならば自称大阪一のお笑いバーテンダー部門チャンピオンである。

人生にはBarが必要だ。

Barマスダ
〒542-0085 大阪府大阪市中央区心斎橋筋2丁目 3番11号
電話: 06-6211-0690
https://www.bar-masuda.com/

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