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アウトサイダー的小学生①

今回は、私の小学校時代前半の話をする。

母校では、1年生初めの何日かは給食を食べ終わったら集団で帰っていた。

前回の記事(https://note.com/baroque_0408/n/n45e712aa4c96)を読んだ方なら想像がつくと思うのだが、私は「集団で」帰るということが苦行だった。そもそも①たまたま年が近い②学校から通える範囲の地区に住んでいるという2点の要素だけで、漠然と「みんな同じ○年生」という肩書を付けられることそのものが、漠然とした不快である。
7歳でそんなアウトサイダー的な考えを持ってしまった私は、「みんなとは違う場所に住んでいるので先にばいばい」をしてやり過ごしてしまおうと考えた。実は教員も地区ごとに一緒についてきていたので、今にして思えば浅はかすぎる逃げ方だと書きながら思う。しかしこれが案外通用した。一度だけ勝手についてくる男児もいたのだが、ほかの手のかかる生徒に気を取られている隙に、前方に誰もいない校門を通り抜けた時の優越感は最高だった。


そんなことをしているような私だったが、不運が襲う。
それは係決めだ。
私の母校は、1年生から二人一組の係に強制的に就任し、学級の運営を行っていた。ちなみに新学期ごとに転職(?)でき、楽なものは環境管理系の電気係や窓係などだった。一切予備知識を持たない子供たちは、係の名前に惹かれメダカの飼育係だの学級会の司会係だのに立候補していた。私は当然楽な係を選びたかったが、狙っていた電気係や窓係はスイッチや窓に近い人がやるという暗黙の了解で、決まってしまった。
こうして不運にも、毎日の学級会で歌う歌謡曲の設定・ラジカセ管理の音楽係に就任してしまった。当時の私は歌謡曲が嫌いだった。情けないことに、当時全く歌番組を見なかったので、知識がないことに劣等感を抱いていたのだ。またペアの生徒は何をすればよいのか理解できていなかった。係の仕事を説明し、話し合って役割分担をすればよいのに、私は傲慢にもコイツは使えないと判断し、一人で取り組もうと決めた。選曲が思いつかないなら、とクラス全員に手書きのアンケートを作って集計し、担当から急いでCDを取り寄せてもらい、慣れないラジカセの使い方を覚えて…ほかの係より圧倒的に仕事が多く、しかも一人だったため、ここまで一通りできれば良いだろうと画策していた。


当たり前だがすぐにアンケート作成と集計を全て一人でやってしまったことが担任にバレ、ペアの生徒はほぼ「無」罪なのに一緒に怒られた。理不尽に叱られ、やることも多く、新学期を過ぎたら二度となりたくないと心に誓った。(※その後の係決めは、服の汚れる黒板の文字消しや、病的に床板に机を合わせる係に就任し、最悪単独で行動しても問題のない係を選択した)

この一件があってから、私は他人(≒同級生)のことを益々信用できなくなった。また、友達と小さなコミュニティを作って一緒に何かをするのが楽しいだとか、教室が静かになるまで帰してくれない教員の命令に逆らうなどということが理解できなかった。さらに悪いことに(姉弟がいたと自己紹介でも述べたが)、成績の良い姉に勉強を先取りして教えてもらい、図書館に入り浸って学研漫画ばかり読んだせいか、自分はほかの子とは違うと勘違いしていた。異様な雰囲気を漂わせていたであろう、頭でっかちな人間として見られていたのかもしれない。


とにかく私の低学年時代は、暗黒とは呼ぶほどではないが年相応に楽しめなかった。

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