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新社会人 ラオス人サラリーマン向け住宅をつくる#Ep.4 ラオス住宅に革命を 〜千里の一歩〜

止まっていた時が動き出す。
難航していた土地探しに終止符が打たれた。
 
 
『ラオス人サラリーマン住宅革命プロジェクト』
 
 
快適とは言えない住環境改善のため、
世界的建築デザイナーと組んで、ラオスで最先端のアパートメントをつくり、
庶民的な賃料で、ラオスの住環境にイノベーションを起こす。
 
 
 
 
最後のブログから6ヶ月が経つ。
あれから、過去の自分が予想し得なかった出来事がたくさんあった。
 
 
プロジェクトに関しては、
土地の探索範囲を広げ、しらみつぶしに売り看板から電話をかけ、知人の紹介から地主に会ったりもした。
 
ラオスには路線価なるものがない。
全ては土地持ちの言い値だ。
土地探しでは散々な目にあった。
 
いわゆる”マーケットプライス”からは程遠い価格を提示されたり、
土地を分譲しては売らないと言われたり、
契約寸前で土地権利書を持って来ず、
村長ぐるみでワケありの土地を売りつけられそうにもなった。
 
 
こんなに土地探しで苦労するとは誰が予想できただろう。
正直、もうこのプロジェクトを進めるのは無理なんじゃないか。と諦めそうにもなった。
 
全く土地は見つからず、
自分のプロジェクトは進まない。
しかし他人の仕事はそつなく進めることができ、
まるで人のプロジェクトを進めることに自分の時間が取られているような気がして、
ラオスにいる意味すらわからなくなりかけてきた。
 
 
そんな悶々とした気持ちを抱えた日々を過ごす中で、
込み上げる気持ちをごまかす一つの手段がドライブだった。
(ラオスには娯楽がなにもないため、それくらいしかない。毎日が修行僧のようだ。涙)
 
新しい場所が好き。
知らない土地を開拓するのが楽しい。
その日は土地探し兼、気分転換で、
未開の土地である政府のプロジェクト地にドライブすることにした。

40haある人工の湖を中心として田んぼが広がるそのエリアは、
ラオスの中心部から10km圏内と、
離れているわけではないが未だそのプロジェクト予定地の範囲が定まっておらず、
土地を所有するラオス人はそこに何かをつくることもできないし、
プロジェクト指定地として取り上げられることを心配して買い手がつかない。
 
そう巷で噂されている地域だったのでラオス人サラリーマン向け住宅革命プロジェクトの土地の候補から外れていたエリアだった。
 
 
未開の地に入っていく。
 
未開、と思っていたが、誰かがせっせこ道路を作っていた。
6車線もあろう道を。 

片側しか写せていないけど頑張れば車4台はイケる。🚙👀
 
 
ツルハシとシャベルを持つ人夫に声を掛ける。
聞いてみると、
またもや中国資本ではないか。
 
 
どこまで続くのかと「工事中立ち入り禁止」の看板があるにも関わらず、
関係者面してずんずん進む。
 
 
道はまだどこかとつながっているわけではなく、途中で切れていた。
 
 
グーグルマップで確認。
すると、真っ直ぐビエンチャンからタイへの国境へと続く道が描けるではないか。
おそらく中心部からタイの国境へと続く主要な幹線道路となるだろう。
 
 
誰も知らない(と思い込んでいる)驚愕の事実を知ったカイトは
プロジェクト予定エリアの土地を見て回り、勝手にプロファイリング。

プロジェクトエリアは
二つの幹線道路(片方は現在開拓中)に挟まれ、
人工の湖を中心として一面田んぼが広がる平原地帯である。
ビエンチャン中心部からは大きく見積もっても7〜8kmの首都圏内である。
 
 
拓けて明るさ感のある土地。
近くに水がある土地。
 
ここが発展するには5年、いや10年はかかるか。
しかし、今まで見てきたエリアの中で、直感的にここに住みたいと強く感じた。
 
 
早速、周辺に「土地売ります」の看板がないか探した。
 
 
そしていくつか見つけた。
 
 
例のごとくいくつかは、
広すぎるか、もしくは高すぎた。
かもしくはダブルブロー。。

いくつかは田んぼ指定だ。
(農地からの転用は手続きや造成に1年〜2年はかかる)
 
 
 
最後に、
一つだけ見つけた。
ちょうど良い価格帯の土地。
 
 
政府のプロジェクト指定地を道を挟んでちょうど向かい側。
総面積約1600㎡
前面道路は約4m。2車線分はある。
しかも分けて売ってもいいと言っている。
 
この場所でプロジェクトがスタートする明確なビジョンが頭の中に浮かび上がった。
 
早速土地のオーナーと話をしに行く。
土地オーナー「分けて売ってもいいけど、後ろの方ね。前はダメ。」
しかし、前面道路と面していなくては意味がない。
交渉を続けた。
 
 
が結局この日の説得はうまくいかなかった。
 
 
『犬は3回会えば、吠えなくなる。』
 
 
昔、恩師が教えてくれた言葉だ。
 
1回目は警戒心が強く、
2回目は相手を敵か味方か考えるようになる。
3回も会うと警戒心すら抱かなくなる。
 
と。
 
劉備玄徳も諸葛亮孔明を仲間にするために、
自ら3度も赴いたではないか。
意味は違うが、
何回か会わなければ、人は動かじ。だ。
 
 
別日。
東京ケーキで作っているパンをいくつか持って会いに行く。
前の方が欲しい。と何度も話をする。
いつも通り最初は「ダメ」の一点張りだった。
 
 
しかし話を続けた結果、
 
 
◯◯バーツだったら売ってもいいと言われた。
(ラオスで土地を購入するときは、タイバーツもしくUSドルでの取引が標準。数十年前は金で取引が行われていたらしい。)
ようやくYESを一つ引き出せた。
 
 
 
次の課題は金額だ。
 
 
この金額では少々高すぎる。
 
◯◯バーツでお願いできませんか。
 
もちろん最初はノー。
 
オーナーはどうしても後ろの方の土地を売りたいらしく、
 
「まだ道路が確定していないから、(前面は)取られるかもしれないよ」
「後ろだったら〇〇バーツで売るよ」
 
とか言ってきたが、
将来性を考えると2車線の道路に面している方が価値があるので、
絶対に前面を手に入れたい。
 
話を続けたが、
なかなか首を縦に振ってくれず、
最後は「考えてみてください。」とその日の会談は終了した。
正直、売ってくれるかダメかの確率は5分5分だった。
 
 
 
 
翌日、
 
 
 
電話があった。
 
 
 
提示額でOK。との。
 
 
 
・・・決まった。
 
 
もうここが決まらなかったら、プロジェクトを止める。
そう覚悟を決めて、
地主にはこの土地でこれから始まるカイトのプロジェクトについて熱意を込めて、
話しをした。
 
今まではいかに論理的に話を進め、
頭を使いながらいかに相手を“説得”しようか考えながら話を進めていた。
 
 
今回は違う。
 
成功すればラオスの住環境に大きな変革をもたらすこと。
ラオス社会に大きく貢献できるプロジェクトであること。
熱意を込めて、お願いした。
そして、感情で押し切った。
 
最初から進め方が間違っていたのだ。
 
感情は時に理性を超える。
 
8ヶ月かかった土地探しにようやく幕を降ろすことができる。
 
千里の道も一歩から。
ようやく、ようやく一歩前進した。
 
To be continued…

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