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〜止まらない悪循環〜

一度狂い出した歯車の動きを止めることは容易ではない

本質に気づかない限り負のスパイラルは猛スピードで広がっていく

3年目の夏の和歌山予選敗退。

4年目はエース・東妻勇輔【千葉ロッテマリーンズ】を擁して選抜甲子園大会には出場したものの、初戦で明徳義塾高校に延長の末敗れ、夏の和歌山予選では市立和歌山高校に決勝戦でサヨナラ負けを喫し、智辯和歌山の決勝戦不敗神話も崩れた。

5年目はエース・斎藤祐太、3番・山本龍河、4番・西山統磨、5番・春野航輝の高校通算40発越トリオの強力クリーンナップを擁し、和歌山国体の年に意地を見せ、苦しみながらも和歌山予選を勝ち抜き甲子園を勝ち取った。

しかし、、、甲子園初戦で智辯和歌山に悪夢がふりかかる。

投打の柱が存在し、戦力が充実していたこともあり、自信を持って臨んだ第97回全国高等学校野球選手権大会。

1回戦は三重代表の津商業高校。

3年ぶりの甲子園というのもあって、初戦までに入念な準備を行った、つもりだった。しかし、一度遠ざかった甲子園で勝利するのはそう甘くはなかった。

結果、9ー4で敗戦。エース齋藤が7回で降板。終盤バントを絡めた攻撃に守備が対応できず、7失策を記録。記録に含まれない失策も合わせれば10をこえていた。

確かに、スター選手が存在し、実力がある選手が多かったが、試合中に一度崩れた流れを取り戻せずに、終わってしまった。

最大の誤算はエース・齋藤の不調だった。

昨冬の一件もあり、投手陣のトレーニングメニューを髙嶋先生に任せて頂けるになり、夏の大会に向け、投手陣とは二人三脚で体作りと大会までの調整と大会中の調整を行なっていた。

和歌山予選では投手陣がうまく機能し、特にエース・齋藤は決勝戦のマウンドで自己最速の143km/hをマークし、相手を全く寄せつけない投球を見せた。

それに安心した私は、今までずっと管理していたトレーニングに関して、甲子園初戦までの調整を選手に任せてしまい、油断をしてしまった。

それが初戦の敗戦に直接影響したのである。

津商業戦の齋藤のボールは135km/hがやっとで明かに予選の時とは別人で、ストレートにも変化球にも全くキレがない状態だった。

それに加えて、智辯和歌山の守備の対応力の低さを見事についてくる津商業の攻撃。そして、凄みはないが抜群の制球力でコーナーをしっかりつき、失投を投げない津商業のエースの投球。

全てにおいて完敗だった。

ここ数年で、当時の智辯和歌山のブランドは消え、むしろ智辯和歌山は怖くないという評判に完全になっていたのである。

この敗戦でチームが気づかなければならなかった。いや本当はとっくの前から気づいていた。

今の練習では、今のチームのあり方では、今の指導では、時代の変化によって格段にレベルが上がった甲子園では通用しないということを。

しかし、通用しないことはわかっていても何をどうすればいいのかはわからない。

そこで新たに着目したのが、チームマネジメントであり、チームの組織化であった。

当時の智辯和歌山の選手は、基本的にトップダウンの中で育成されている。だから、試合中に想定外のことが起こった時に対処できないチームになっていた。

自分たちのペースで試合の流れを運んでいる時は、凄く伸び伸びと力を発揮するのだが、いざ劣勢になると、チームが機能しなくなるという傾向が練習試合などでも顕著にあらわれていた。

実際に和歌山予選でも、一度も先制されることもなく、ビハインドの展開になることもなく、順調に勝ち上がっていた。

その部分を改善するには、フィールドの中で意思を持つ自立した実力を持つ選手を育成しなければならない。

この経験から、再び甲子園で勝ち上がるチームにするためには、一人一人がチームの結果責任を背負った当事者意識を持つ人材育成が必要だと悟ったのである。

その段階での私の指導権限の範囲というのは限られており、立場上、チームを大きく変えることはできない。

しかし、いつも学ぶことはできる。計画を立てることはできる。マネジメントに関する書籍を読みあさり、組織論・経営論を学んでは、智辯和歌山の現場に当てはめ計画案を練り、いつか来るその時のための準備を始めたのである。

チームの現状はというと、スター選手達が抜けた穴はやはり大きく戦力は落ち、和歌山大会は何とか勝ち上がるも近畿レベルでは通用しなくなっていた。

日々選手達は懸命に戦っている。なのに何事もうまくいかないこの状況。

そして、それをどうすることもできない自分の無力感に押しつぶされそうになりながら、夏の季節を迎えるのである。   〜つづく〜