見出し画像

存在価値

あなたが所属している組織において、あなたの存在価値は何ですか?

あなたの存在価値を他人に決められていませんか?

あなたは自分の存在価値を自分で過小評価していませんか?

教育者として教育の最大の目的を問われたとき、私の答えはこうである。

「自分で決めて、自分でやった事に対して、自分で責任をとれる人間の育成」

2011年から母校の智弁和歌山高校に帰り、野球部の指導に携わってきたわけだが、上記の人間に自分自身がなれていないことが情けなかった。

2016年の秋季大会にて経験した3度のコールド負けは、私にチームの結果責任を背負う覚悟をもたらす出来事となった。

結果責任を背負うということは、自分の職をかけるということである。

智弁和歌山の指導者をするということは、アマチュアスポーツでありながら、ある種のプロ的な要素を含んでおり、自分にはその結果に対して、責任をとるという自覚が不足していた事に改めて気付かされたのである。

2016年の秋季大会敗戦後から、私は髙嶋先生に対して、意見・提案・相談を積極的に行うようにした。もちろん、日本一の監督に対して、変革を求める要望・提案を行うわけである。この行為をするという事はどういう事か。自分でも覚悟は決まっていた。

結果が出なければ辞職する。

その覚悟を持って、これまで自分が思っていた、チーム運営に関する事やトレーニングに関する事などにおいて、髙嶋先生の懐に飛び込んで行ったのである。

叱られる事や相手にされないことも覚悟していたのだが、髙嶋先生の反応は意外なものだった。意見や提案などが全て認められる。一切の否定も批判もないその反応にむしろ私の方が、今までの葛藤は何だったのかと腰が抜けた感じだった。
当然のように要望・提案に関しては、全て「目的」「意図」「手段」「効果」「見通し」などを資料としてまとめ、髙嶋先生に提出するも、特に意見を頂くこともなく、全てを任せてくれているような感じだった。逆に考えると、この時の智弁和歌山は、私のような若輩者の意見でさえ、取り入れて何とか前に進む事しかできない状態であったのだ。

しかし、私の進退をかける覚悟を込めた提案に中途半端なものは一切なく、全てにおいて、今までの経験と学びに基づいた99.9%現状を打破するための根拠をもった取り組みの提案であり、具体的な実践方法やトレーニング内容、そして意識改革の手段で綿密に立てられた計画には、相当な自信を持っていた。

そうして、自分の進退だけでなく、選手たちの人生もかけた戦いが始まった。

その戦いを進めていく上で、どうしても必要な要素がこのチームには欠落していた。それは強烈なリーダーシップを発揮する人材だ。

このチームの主将は大星博暉【佛教大学】

彼は非常に頭脳明晰で理解力が高く、大人との会話がしっかりできる主将であった。しかし、準レギュラー的な存在である自分に対して、イマイチ自信が持てず自分の事で精一杯であり、チームメイトの行動や取り組みに、ほぼ干渉する事はなかった。

秋季大会敗戦後のある日、外野手だった大星は実戦練習の時にカバーリングを怠っていた。同じ外野手で智弁和歌山で主将も務めた私は、チームの危機的な状況でありながら、怠慢プレーをする大星主将に憤りを感じた。

私は彼のことをよくこう叱っていた「お前は主将ではなく、ただの伝言係」

髙嶋監督から告げられるメニューを、ただチームメイトに報告するだけの役割。

彼にとってもチームにとってもこれは非常にいい機会だと思い、これでもかと言うほど、全員の前で思いっきり叱りつけた。

「お前がそんなんやからチームが勝てないんやろが!!!!」

今思えば、大星にはかわいそうなぐらいめちゃくちゃな事言ったかもしれない。しかし、大星にも思うことがあったのだろう。大星の中に溜まっていたものがこの時弾けた。

「じゃあ、どうすればいいんじゃ!!!!」

私の胸ぐらを掴みに来た大星の目には涙が溢れていた。

「それでいい!!!感情を出せるやないか!!!ただ、その感情をぶつけるのは俺か!!!同じような強い気持ちぶつけないといけないのはチームメイトじゃないのか!!!」

髙嶋監督をはじめ、全ての人に聞こえるグラウンドに響き渡る声で、改めて大星を叱りつけた。

すると、大星は「ハッ」としたような表情を見せ、落ち着きを取り戻した。その後、主将というのは、チームおいてどういう存在でなければならないのか。大星の良いところを生かしチームを引っ張っていくことの重要性や主将次第でチームが変わることを伝えた。

もちろん、こんな粗治療が誰にでも通用するわけではない。大星だから通用する。しっかりと受け止めて、チームを変革してくれるという可能性にかけたのである。

これで、チームが変革に向けて始動する最低限の基盤が整ったのである。

まず、私が選手たちに求めたのは大星と同じように、選手たち1人1人に「チームの結果責任に対して存分に責任を持つ」という事だった。

「チームの勝敗責任は全て監督の責任」「会社の業績は社長の責任」「子供の行動は親の責任」という人がよくいるが上に立つ人間が発する言葉としては良いだろう。

確かにその通りなのだが、チームの選手たちや、社員たち、子供が本気でそう思っているのであれば、終わりである。

素晴らしいチームや組織というのは、所属している全員がいかに当事者として、結果責任を背負っているかが重要である。ましてや、自分の人生であり、自分で勝負をかけて智弁和歌山に来ているのであればなおさらだ。
学校や部活において子供に少しでも嫌なことがふりかかった時に、心配してでしゃばる親に対して、それを制止できる子供でなければ、何も大成しない。いや、逆を考えると、子供に対して「自分の人生はしっかりと自分の足で、自分の責任で進んで行きないさい」という教育をしている親の子供だからこそ大成するのである。もっと言えば、自分を強く持ち、たくましく生きる子供にそんな災難はふりかからない。

それは教師・指導者と生徒・選手にしても似たような関係性であるが、教師・指導者はその中でも、親御さんから大事な子供を預けられている以上、個々に合わせた教育・指導するために個性を理解し、個々の長所や短所、躓きポイントや支援の度合を巧みに調整しながら、自立に向けて人材育成を行う教育のプロフェッショナルとして、確実に成果を上げる責任がある職業だと自負していた。

「一人一人が当事者としてチームの結果責任を存分に背負う組織」を目指し、ありとあらゆる手段を使い選手たちにニード喚起を行い、実際に背負える実力をつけるために日々練習に励んでいった。

当然「当事者として責任を負う」という事は、他人任せにならず、練習の細かい内容や、トレーニング内容のプランニングなど全てにおいて選手達を巻き込み、「自分たちで決めた事を、自分たちで実施し、その成果に対して、自分たちが責任を負う」という流れを大切にした。

それらを生み出し、実践していく上で髙嶋先生に時間を頂き、私が改めて様々なテーマに基づきミーティングを行なっていった。

「このチームの目的は何なのか」
「目的に基づき導き出される目標は何なのか」
「誰のために野球をやるのか」
「智弁和歌山の髙嶋監督が目指す野球とは何なのか」
「全国制覇をするための具体的な能力指標とは」
「そもそも野球というスポーツはどのような特性を持ち、どのようなプレーを実行できれば勝利をあげ続けることができるのか」
「目的・目標を達成するために自分たちに必要なことは何なのか」
「生産性を高めるためにチーム全体で徹底する事は何なのか」
「体の仕組みに基づくトレーニング論」
「成果を出すための最短距離で成長するためのトレーニング計画」
「チーム全体での情報共有ツールの作成」
「これから起こりうる問題とその問題への対処方法」
「定期的に成果を確認するために活用する数値指標の項目設定」

これらをミーティングによって徹底的にティーチングすることによってインプットさせ、アウトプットする際にコーチングを行う事によってサポートし、選手たちが生み出したものを実践し、数値で成果を出せるシステムを作り、活動と成果を常にフィードバックしながら、練習内容のプランニングを柔軟性を持ちマイナーチェンジしていく。
このサイクルで、より高い成果を出せる方へと選手主導で導いていった。

そのかいあって、体力測定の数値も、野球の専門体力の数値も目まぐるしく向上し、11月から2月まで一冬超えて、体力的にも、技術的にも、人間的にも成長した智弁和歌山が3月の練習試合解禁を迎え、実戦経験による確認作業と課題の明確化と修正のサイクルを経て、いよいよ、秋季で大敗を喫した雪辱を果たすべく期待と不安の中で、春季和歌山大会に乗り込むのである。     
〜つづく〜