見出し画像

犯した罪

私は言葉で人を殺しました。

もちろん本当に人を殺したわけではない。

智辯和歌山野球部ほど甲子園に行かなければならない、甲子園に行って当たり前だと思われている高校は他にあるだろうか。そのような特殊な環境で勝ち続けなければならない重圧の中、12年間高校野球に携わってきた。そんなチームだからこそ、甲子園を逃した時「死」にも等しい感覚になるのは、おそらく殆どの人に理解してもらえない感覚だろう。

2013年の夏、この夏は特別な想いで臨んでいた。なぜなら、私が母校に赴任したタイミングで、共に入学した世代の最後の夏だったからだ。

自分が高校時代に育てて頂いた指導こそ、高校野球の指導者としての、智辯和歌山イズムだと感じ、とにかく厳しく選手たちを指導していた。自分自身も夏に悔いの残らないように全力で戦った夏だった。

このチームの主将の天野康大は、天真爛漫で明るく、芯が一本通った我慢強い素晴らしい人物だった。厳しい練習が続いても、常にチームの先頭に立って鼓舞し引っ張っていく。そのせいで体を酷使し、ボロボロの状態の中でも主将として、4番打者としての責任を最後まで果たした。

そんな素晴らしい主将が率いるチームは夏の大会3回戦で惜しくも敗退。選手全員グラウンドに崩れ落ち、少しの時間立ち上がることが出来なかった。奇しくも、私が高校2年生の夏から続いていた夏の甲子園9年連続出場の記録を途絶えさせてしまった。

3年間はじめて共に過ごした選手たち。

青春を高校野球に捧げた青年たちに、私は何も言葉をかける事が出来なかった。

敗戦後、改めて3年間を振り返った時、自分の指導の愚かさに気づく。

自分が正しいと思って厳しく発していた言葉がそのまま現実になっていたからだ。

「このままだったらこのチームは甲子園にはいけない」「意識が低いからダメなんだ」「なぜこんなこともできないんだ」

中学時代に各チームのスーパースターだった選手たちが発奮するように投げつけた厳しい言葉が、次第に彼らの自信を削ぎ落とし、「死」へと導いてしまっていたという可能性が見えた時、犯罪者ににたような感情になったのを今でも鮮明に覚えている。

指導者という立場の人間が、チームをそして選手を言葉によって殺してしまったという、取り返しのつかないことをしてしまった。

当時の教え子たちあうと、今でも当時の罪悪感が蘇ってくる。それでも、明るく私と話してくれる教え子たちにも支えられ、気づかせて貰いながらここまできた。

この3年目の出来事で、私の指導的価値観が一度リセットされ、智辯和歌山がもう一度全国の舞台で輝くためにはどうすれば良いのかという本当の学びが始まるのである。 〜つづく〜