落ちた日の自分を認める

フェードアウトするように休み始めてから数ヶ月経った。

先日投稿した2024年の抱負を書いたnoteには「休職した2023年をプラスだったと思えるよう教訓を活かして頑張りたい」的なことを書いた。


抱負の通り、休職での学びを活かしたい、今年こそ転職して社会に復帰したい!という思いはある。
あるのだが、ただやはり波もある。

「絶対に復帰できる、合った仕事がある!」と思える日と、
「あー100パー無理、終わったな人生、はい終わりー」という日。

2つの感情をずっと繰り返してて、最近になって少しずつポジティブな日が増えてきた。


落ちてる日は数独のスマホゲームをずーとやっている。
数独は、最初メンタルが落ちてた時期に色んなゲームを始めてみたことがあって、その時に唯一頭を使ってる感があり罪悪感を感じないでできたゲームだった。

しかし、落ちてる日に数独をやりすぎてしまい、今は数独でさえ罪悪感を感じてしまうようになった。
ごめん数独。
(note更新後にやると少しご褒美感はある)


落ちてる時は延々と自己嫌悪に陥ってしまう。
特に強く考えるのは、「人生で今が一番落ちてるわ」ということ。

幼稚園、小中高大、思い返すとどの時期も多少サボりはしたもののちゃんと集団生活に参加していた、社会に参加していた。

小学生の頃から学校に行くのが本当面倒くさくて、朝起きると「あー学校爆破しろ!」とか思っていたが、それでもちゃんと学校に登校していた。

行きたくないという感情はどの時期もあったけど、きちんと学校に行っていたという事実がある。その事実が何よりも大きい。


私は感情よりも事実や結果を重視するタイプだと思っているので、余計に「家で何もしてない自分」が応えているのだと思う。


こういう落ちてる時にどう立ち直っていくか。何もしなかったという事実は変えられないので、まずは認めたい。

その上で、この先の人生をより楽しむための準備期間と捉えたい。


休職なんて無縁だと思っていたし、休職するよりストレートに働き続ける方がいいだろと思っていた。(実際、受験は浪人よりストレートの方がいいと思う派で、これは自分でもなんとなく良くない考えだなと思う)


だけど、休職をしたからこそ「一度立ち止まれた、自分の底を知れた」と思いたい。

休職があったから、より深みのある人間になれてより濃い人生になれたんだと、そう思いたい。

物事をプラスに捉えるかマイナスに捉えるかの問題で、休職という今までプラスに捉えられなかったことをプラスに捉えたい。珍しい(と思っている)経験なのでどうせなら人生の糧にしたい。そう思わないとこの時期やっていけない。


なので、何もしない日があっても
「いいねー人生の底ついてる」と思いたいし、「こういう日があるから人間らしい自分ができるんだ」と肯定してあげたい。

落ちてる日も準備期間と思えればより充実した休職になると思う。


休職中の生活リズムや転職活動のやり方はなんとなく要領がつかめてきたが、休職している自分自身、特にぐーたらした日の自分に対してはどう思っているのか、どう向き合っているのか、休職している方に聞いてみたい。





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