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西村賢太と癇癪玉



伊野孝行氏のスケッチ。ものすごく似ている…

 イラストレーターの伊野孝行氏が西村賢太を激怒させたというラフスケッチは、鼻の形や髪型から、アンダーシャツの袖から出た二の腕の様子、肩の厚み、体全体に対してちんまり見える手等々に至るまで、本当にそっくりです。
 『日乗』シリーズにも頻出しますが、頚椎症性神経根症でブロック注射を打っていたりした酷い腰痛持ちだったので、立ったり座ったりはリスクがありすぎるため家ではこんな風に床に座っているのは見たことがないし、料理をするときはもっとドッカと踏ん張って足を開いて立ちますが(と言ってもお蕎麦を茹でるところ以外は、見たことがないのですが)、それでも懐かしくなります。

 右上のスケッチが着ている、ジャケットのクタッとした襟元の様子もそうです。芥川賞の受賞会見の時に着ていたこの「上っ張り」はこれ一枚っきりで、合皮が擦り切れてペラッペラのスエード調になってもいても、なかなか次の新しいのが見付からず、ボタンの縫い付け部分の破れの繕いを何度も頼まれたものです。
「よくこんなんで寒くないんですね、って言われんだ」と言っていました。
 編集者の方によると、亡くなった夜にも着ていたこれは、他の衣類も併せて全て病院で処分されてしまったとのことでした。欲しかったな。

…店員さんがどやしつけられた、とか???
ご慧眼!!!

 そして能町みね子さんの推測、たった数時間の対談とはいえ「すごいできごと」があれば、分かってしまいますよね。「激情型」なのです。
 瞬間的にボルテージがマックスに達する。

 「瞬間湯沸かし器」という言葉がありますが、私は「瞬間火吹達磨!」と思っていました。
 そう云えばダウンタウンDXで松本人志に「圧力釜」と呼ばれたけんけんですが、それはさておき、一瞬で発火点に達する、そして何とか、何度か、自分を抑え込もうとする、その理性と怒りとの摩擦が、どうにもこうにも、却って爆発的な破裂、発火、火を吹くに至らしめる。いつもこんな感じでした。
 あ、我慢しているな、と思ったら、もう結果は目に見えている。

 そして、相手も場所も選ばない、というか選べない。
 相手が芸能人だろうが、テレビカメラが回っていようが、爆発してしまう。
 それが所謂DVと違うところだと思っています(擁護ではありません)。

 2013年の当時、私の住むところではかの東京の地方局の番組は映らず、テレビに出ている彼にはとりたてて興味がなかったのに「お前、ファンなんだからよ、観るだろ普通」と言われて、どうでロハ(=YouTube)で観られるものを…と思いながら渋々、ひかりTVのチューナーをレンタルしていました。
 当日は「今日テレビだね」、「テレビの前にいるからね」云々、アホなメールを送りながら観ていましたが、あんな放送事故は生まれて初めてで、文字通り早鐘の動悸がしました。
 「そろそろ電話しようかな」と思っていた元彼の訃報をテレビの中のアナウンサーに告げられることに比べたら軽いものですが、とは言えそれでも、もう、何んと次のメールをしていいやら分からない。かといって、見なかったことにもできない。
 今の私ならしゃぁしゃぁと「何、怒ってたん?」とメールできますが、当時はそうではなく、わなわなする手で文面を打っては消し打っては消しして、どうにかこうにかやっとこさ送ったのが、「白いジャケット似合ってたね」でした。その後確か2時間以上して、「やめてきた」と返事がありました。
 その後、付き合っているときも、この話題に触れたことはありませんでした。

 同じ年の後半には、夜中2時過ぎに電話で叩き起こされました。
「○○○○〇とケンカした」
 ポソポソと濡れそぼった11音。水底から弱々しく浮いてきた水泡が破れるような声でした。あの体のどこからこんな声が?というような。
 寝起きで訳が分らないながら、可笑しくて笑いそうにもなりながら、思わず「なんで?」と言えば責めてしまうと思って必死でググッと避けて、
「大丈夫?ケガとかしてない?」と返しました。
「…うるせえッ」ガチャン。
(…何んなんよ、もう!?)
 同時に「他に電話できる人、いないんだ…」と思いました。
 
 一度だけ、必死で矛を収めていたのを見たことがありますが、その時は田舎の観光地へ車で出掛けた先で、大学生か何か若者の享楽的な団体に、黙ってスマホを向けられたのに気付き、でも私がいるから怒鳴ったりして目立つことができなかった。
 車に戻って助手席で短い呼吸で下を向いてポソリと「すまんかったな」と言っていました。「大丈夫、大丈夫」と言ってずっと手をさすってやりました。その日はしばらく元気がなかった。
 まさに発作のようで、それこそ「廃疾」でした(西村賢太『廃疾かかえて』2008年)。これをかかえて生きるのはしんどかったろうな、と思います。

 アンガーマネジメントのカウンセリングを勧めたこともありますが、「興味本位で面白がられるだけに決まってんだろがっ!!!」と聞いてくれませんでした。説得して、自分のことなど考えずに引き摺ってでも連れて行けていたら、もう少し違っていたかな、と思います。

 能町みね子さんのツイートに話を戻すと、顔だけの"似顔絵"だったなら、そこまで怒らなかったんじゃないかな?と思います。厳密に言うと、"お腹"と"汗"がダメだったんじゃないか、と。

 汗かきなのはすごく気にしていて、「例の、酒類は生ビールとウィスキーのハイボールしか置いてないラーメン屋(『日乗 堅忍の章』)」で向かい合ってラーメンをすすっているときに、本当に嫌じゃないのかとしつこく聞かれたこともありました。
 伊野孝行氏のスケッチは、「根がスタイリストにできている」だけに、彼にとっては悪意が感じられてしまったのでしょう。自分でも書いていますが、猜疑心と被害妄想のつよい性格でもあったと思います。

 「激情」は遺伝や家庭環境に依るものも大きいでしょうし、強い猜疑心や被害妄想は、家庭が一夜にして瓦解することが小5の男の子に与える影響というものを考えてみれば、それはそうなるよな、と私は思います。

 機嫌のいいとき、つまり平生の彼は、もうしつこいくらいに、鬱陶しいほどに、こちらを笑わせたがる。一度私が笑うと知るや、日に何度も同じギャグを繰り返す。毎日決まった時間に繰り返す。ワンパターンのルーティン癖がありました。
 私が笑っていれば安心したのだと思います。
 幼児か?、5歳児か?、ついでに火吹達磨の身長もそれぐらいで頼んますわ、と私は思っていました。

 「俺のこと嫌ってるやつは、目で分かんだよ」と言っていましたが、芥川賞の受賞会見やその後のテレビ出演を経て、リアルな初対面でのそういう視線には散々晒されていて、やはりその都度それなりに傷ついていたのでしょう。
 しかしそうでなければ、徹底して他人を笑わせて楽しませることができる人だったと思います。

わかります…

 『一私小説書きの日乗 不屈の章』によると、対談は2015年10月6日のことで、『en-taxi』終刊号に掲載され、その後、対談集に収載されている。
 「芥川賞を獲られる前から西村先生の本を読んでたんです」で始まり、お互いの執筆スタイルやメディア仕事、住んでいた町のことなどで話が弾んでいて、読んでいても楽しいです。

西村 能町さんは現場で怒りを覚えたことはありませんか。
能町 テレビはもう、(略)司会者の人から芸人さんみたいにイジられて、
   それで機嫌悪くなるぐらいだったら深夜番組だけにしておこうと。

〈 (対談) 後記 〉 能町氏との”牛込談義”は、まことに楽しいものであった。

『風来鬼語 西村賢太対談集3』(扶桑社、2015年12月)

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