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旅の記憶 1994・夏 フンザ〜ギルギット〜イスラマバード


フンザを後にした僕たちは
首都のイスラマバードを目指して移動を始める

まずはフンザからギルギットへ
その後イスラマバードの南約10キロにある街
ラーワルピンディを目指した

この移動も大変だったことを覚えているが
あいにくこの間の写真は全く残っていない


フィルム現像を失敗したのか
そもそも撮っていなかったのか
記憶は定かではないが
かなり強烈な移動だったので
当時の日記で振り返る


当時の日記より


1994年8月26日

フンザからギルギットに移動
プライベートコーチを利用したので
快適に移動できた

とんでもなく暑いが
3日ぶりのシャワーに
ありつけたのがありがたい


プライベートコーチというのは
当時パキスタン国内で走っていた
長距離バスの総称で、エアコンもついていて
値段も高かったが、快適だったと記憶している



8月27日

ホテルの前から
ラーワルピンディ行きの
バスが出ていることが分かり
そのバスで移動することにする

午後3時 定刻通りバスは出発
今までのどのバスよりも快適
このまま順調に進むかと思われたが
バスのクラッチの様子がおかしいようで
途中の小さな村に止まって修理が始まった


多分その時の村だと思う


修理はなかなか終わらず
あたりは暗くなり始めた


時間を持て余していたと思われる


修理は終わる気配のないまま時間だけがすぎ
僕たちは近くのレストランで晩御飯を食べた


同じような写真ばかり撮っている


待ちくたびれているイサク



あたりが真っ暗になった頃
ようやくバスが動き出す
星がものすごく綺麗に見えた


走り始めたバスから見た景色は
今でも覚えている


ほとんどが民家もないような
山間部の道路だったが
時折通り抜ける小さな村では
僕たちが乗ったバスが走る道路脇に
普通にベッドが並んでいて
そこで寝ている人がたくさんいた


大人も子供も
道路脇のベッドで寝ている横を
僕たちのバスが走り抜けていく


建物の作りはとても質素で
シャッターやドアで
完全に囲まれている建物よりも
中が丸見えの開放的な作りの建物が多かった

当然エアコンもなかったから
建物の中で寝るよりも快適だったのだろう



8月28日

午前0時を少し回ったあたりで
小さな村でバスが止まった
ここで宿を取るのかと思ったが
どうやら車を替えるようだ
修理は完全ではなかったようだ


ただそこにあった車を見て
僕たちは首を捻った

僕たちが乗っていたのはマイクロバスなのに
そこにある車は
トヨタのハイエース1台だけなのだ

バスには26名の乗客がいたが
そのうちなんと17人が無理矢理
そのハイエースに詰め込まれた

信じられない光景だった
ハイエースの座席は改造されていて
5列シートになっていた
当然リクライニングなんてないし
前後の感覚も恐ろしく狭い

席に座るのにも
座席が倒れたりするわけではなく
背もたれを乗り越えていくのだ

結局運転手2人を加えた
19人がそのハイエースに乗り込む

僕たち日本人の旅行者4人は
後部のハッチバックから
最後部の座席に乗せられ
真っ直ぐ座ることも困難な狭さの中で
大きなバックパックを膝の上に抱え
身動きの全く取れない状態で
車は動き出した

乗れなかった乗客もいたが
彼らはその後どうしたのだろうか・・・

真っ暗闇の中をハイエースは進む
道は悪く激しく揺れる

そんな僕らを真夜中の移動と疲れのせいで
睡魔が襲う

うとうとしていると
ガクンと車が激しく揺れて
左端に座っていた僕は
頭を窓ガラスに激しく打ち付ける

またうとうとしていると
ガクンと揺れて、今度は隣の人と
激しく頭をぶつける

眠っちゃダメだと思うのに
疲れたからだと真っ暗闇が眠気を誘い
何度も頭をぶつけては眠るを繰り返した


一度は激しく揺れた拍子で
メガネを足元に落としてしまい
身動きの取れない中で
壊れては大変となんとか拾い上げたりもした


あまりに過酷な状況と
周囲に街の明かりも全く見えず
真っ暗闇の中を走る車の中で
このままどこかに
売られてしまうんじゃないかという
えも言われぬ恐怖感があったせいか
みんな無口になっていて
この時に会話をした記憶はない

そして数時間が経った頃
また小さな村に着いた僕らは
再びさらに小さなバンに乗り換えさせられた
この暗闇の移動が永遠に続くような気がした


バンは山間をひた走り
翌朝7時、ようやく少し大きめの街に辿り着く

当時の日記には
マンセラという街らしいと書いてある

そこでようやく
元のバスと同じサイズのバスに乗り換え
そこからさらに数時間移動して
ようやく僕たちはピンディの街に着いた

その後ホテルに入った僕らは深い眠りにつき
夜の7時頃にみんなを起こして
晩御飯を食べにでたと書いてある


ギルギットからラーワルピンディ
Google MAPで調べると
その距離600km
当時はまだ道路事情も悪く
高速道路もなかった

当時の日記によると
27日の午後3時に出発した僕らは
翌日の朝7時にマンセルの町に
着いているようだ

ギルギットからマンセルまでやく440キロ
そこからラーワルピンディまで
移動したと日記に記されている

とにかく過酷な移動だった


パキスタンの旅は続く

次回から写真が増えます


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