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旅の記憶 1994・夏 フンザ




30年前の夏
僕はパキスタンの山間の街
フンザにいた


フンザの街から対岸を望む 遠くに高い山々が見えた

改めてフンザについて調べてみた

パキスタン北西部、7,000m級のカラコルムの峰々に抱かれたフンザの谷
フンザとはカリマバードを中心とした
谷の総称のことで
厳密には僕の訪れた街には
別の名前があったのかもしれない


フンザの子供


この地域には1974年まで
フンザ藩王国があり
「フンザ」とは「弓矢を持つ人」
という意味

春は杏や桃、アーモンドの花が咲き
夏には新緑に、秋はポプラや紅葉が谷を彩り
冬は雪を頂く山岳風景
その景色の美しさから
「現代の桃源郷」と謳われ
今も旅行者の憧れの地となっている


スケール感に圧倒されたのを覚えている


中国の国境を越えて
ようやくこの街にたどり着いた時の事は
よく覚えている

ただとても残念なことに
ここで撮ったモノクロフィルムは
フィルム現像の手順を間違えてしまい
フンザの写真を見ることはできなかった


フンザの街は標高2400m 森林限界を超えるせいなのか、ある一定ラインから上に植物は見られない


なのでフンザについては
カラーネガを元に振り返ります

僕たちはこの街の麓で車を下り
歩いて山間の道を登って村を目指した

印象的だったのは村の人たちがみんな
通りすがりの僕たちに
「 ハロージャパーニー 」
と声をかけてくれたこと
中にはそのまま握手を求めてくる人もいた


雲の隙間に見える遠くの山々が美しかった

なぜだろうと不思議だったが
この村は 日本人の有名な登山家
長谷川恒男のゆかりの村で

長谷川さんは、僕が訪れる3年前の1991年
村の奥にそびえる未踏峰を登山中
雪崩で亡くなったのだが
その後この村に
長谷川さんの奥様と有志の方々が
長谷川さんの願いだった学校を建設し
現在も多くの子供たちが学んでいる

なのでその当時から
この村の人たちは日本人の僕たちにすごく好意的だったようだ

今なら一日中カメラを片手に山を見ているだろう


周りをぐるりと山に囲まれ
遠くに見える山々は
いったいどれ程の高さなのか
想像できないほどのスケール感に
圧倒されていた

現代の桃源郷と呼ばれるフンザ
僕が訪れた8月は
花が咲き誇る時期ではなかったけれど
その景観は素晴らしかった


僕たちが泊まったホテル フンザインのレストラン

僕たちはここで
フンザインというホテルに泊まる

山間のこの村は電気は来ていたが
水は川の水をそのまま引いているらしく
シャワーを浴びようとすると
下方に見えた川の水と同じグレーの水が出てきたのを覚えている


谷間を流れる川、川の水は泥が混じりグレーだった


このホテルのオーナーも気さくな人で
僕たちにとてもよくしてくれた

中国のホテルと違い
ここでは食事がついていて
オーナーが自慢の腕を振るってくれた

食事の給仕も1人でこなしていたオーナーは
僕たちが食べている姿を
嬉しそうに見て笑っていた

料理のほとんどは
パキスタンの伝統的な料理で
僕たちもそれを楽しんだ

ここでの写真が
あまり残っていないのが本当に残念で

ここは僕にとって
もう一度訪れてみたい場所の一つだ


パキスタンに至る前
シルクロード編はこちらのマガジンにまとめてあるので
良かったら見てみてください


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