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「ベイトマンニュース」人と話すこと。認識されること。

スコットランドに引っ越ししてから今まで、つまりおよそ一年に渡って、私はほとんど(夫と息子以外の)人とは話す機会がない、という状況で暮らしてきました。
ここには家族もいないし、まだ友達もいません。そして今まで働いていた野菜工場には外国人労働者しかおらず、言葉でのコミュニケーションが全くとれない状態でした。私は名前で呼ばれることはなく、日々、手招きや身振り手振りでの簡単なやり取りだけでしたね。
それでもまぁ、日本の母とは普通に電話で話していたし、離れている友達ともSNSでやりとりしていたので、寂しいとかしんどいという気持ちはなかったんです。それにずっとこうして自分の気持ちをここに書いていましたからね。自分ではこういう状況も仕方がないよな、と受け入れていたんです。

ところが昨年12月から病院で働き始めたことで、ものすごく久しぶりに人と話すようになりました。同僚に「アキコ」と名前で呼ばれた時には、あぁ、私の名前を知ってる人がいる、としみじみ嬉しかったですね。
誰かが私のことを認識してくれて、名前で呼んでくれる。声をかけ、話しかけてくれる。そして私もまた患者さんや同僚に声をかけ、笑顔を向ける。そんなことが自分にこんなに大きな刺激を与えてくれるなんて、思ってもいませんでした。人と話すこと、人から認識されることって、自分が思っているよりずっと大事なことなんですね。気持ちが開く、というか、浮き上がる、というのかな。心から嬉しいな、と実感したし、人としての自信につながりました。
それにです。気持ちが違うだけではなく、身体にも変化がありました。とにかく髪や爪がめっちゃ早く伸びるんですよ。目も大きく開き、表情もはっきりしたように思います。こんなことってありますか?
もしかしたら「人と会って話す」ってこと、「人から認識されるってこと」は、自分が思っているよりももっと大きく、身体の細胞が活性化するほど大事なことなんやないやろか。

思えばここ数年はコロナによって直接人と人が会わなくなって、代わりに人々は手元の携帯を見つめ、あるいは携帯を通してコミュニケーションをとることが多くなりました。
このパンデミックの期間中、精神的に病んだり、身体的におかしくなった人が多いんやないやろうか。これはコロナ感染やとか、予防注射の影響もあるかもしれません。だけどそれ以上に、人と直接会って話さないこと、人と交わらないことが大きな原因の一つじゃないやろか。

人に声をかける、目を見る、名前を呼ぶ、触れる、できることなら思いを伝える、そんな人として当たり前のことをしないというのは、自分でも気づかないうちに、心身共におかしなことになるような気がします。

自分の好きなことだけを、自分の都合の良いタイミングだけで、一方通行に受信する。相手の反応はお構いなしに、自分の言いたいことだけを発信する。そういった今時のコミュニケーションは、実は人間のいろんな発達を妨げているような気がしてなりません。
それでもねぇ。今、この時代に生きている人たち、特にこういうコミュニケーション方法で育ってきた若者たちは、このやり方を変えろ、と言われたって無理ですよねぇ。携帯を通してのコミュニケーションのええとこだってもちろんあるし。

携帯のええとこを利用しつつ、時には顔を上げて空を見る。人と会って話をする。そんな風にできたら一番ですね。
私もこれから病院で働きながら、どんどん患者さんや同僚の名前を呼び、話しかける人になろう。時には空を見上げて深呼吸するような、ゆとりある時間を過ごそう。
そんな風に思っています。


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